第13話 休むのも仕事です
第13話 休むのも仕事です
秋の風が迷宮都市アルカディアを吹き抜けていた。
鋼鉄の牙の訓練場では、朝から木剣のぶつかり合う音が響いている。
だが、その音はどこか鈍かった。
「おらぁっ!」
ガルガが剣を振るう。
相手の新人は簡単に吹き飛ばされた。
ところが次の瞬間だった。
ガルガ自身がふらついた。
「おい!」
セリアが慌てて駆け寄る。
「大丈夫?」
「問題ねぇ」
そう言ったものの、額には汗が浮かんでいる。
目の下には濃い隈。
頬も少しこけていた。
ケイはその様子を遠くから見ていた。
黒いベストに白いシャツ。
いつもの格好だ。
手には分厚い帳簿。
視線だけが静かに訓練場を観察している。
その日だけで問題は三件起きた。
斥候が地図を紛失。
回復術師が薬の調合を間違える。
ベテラン剣士が依頼書を読み違える。
どれも普段ならありえないミスだった。
夕方。
ギルドの食堂。
香辛料を効かせた肉の煮込みと焼きたてのパンが並ぶ。
しかし皆の顔色は悪い。
椅子に座ったまま眠りそうな者もいる。
ヴィクトリアが首を傾げた。
「最近変よね」
「はい」
ケイは即答した。
「疲労です」
翌日。
ケイは大量の資料を抱えて会議室へ現れた。
ガルガ。
セリア。
ヴィクトリア。
幹部たちが集まる。
皆、嫌な予感しかしなかった。
ケイが資料を配る時はろくなことがない。
「何だこれ」
ガルガが紙をめくる。
そこには数字が並んでいた。
「過去六か月間の依頼失敗率です」
「数字ばっかりで分からん」
「そうですか」
ケイは黒板へ向かった。
そして棒グラフを描く。
「こちらが連続勤務日数」
「こちらが怪我率」
「こちらが死亡率」
会議室が静まり返る。
数字は残酷だった。
働けば働くほど事故が増える。
働けば働くほど死亡率が上がる。
働けば働くほど失敗する。
「……嘘だろ」
ガルガが呟く。
「事実です」
「でも休んだら弱くなるだろ!」
「根拠はありますか」
「え?」
「休むと弱くなるという根拠です」
ガルガは固まった。
昔からそう言われてきた。
だからそう信じていただけだった。
セリアが口を開く。
「でも休むのは怠け者じゃない?」
「違います」
「違うの?」
「休まない方が迷惑です」
一同が絶句した。
ケイは資料を指差す。
「疲労状態の冒険者は味方を危険に晒します」
「依頼失敗率が上がります」
「怪我率も上がります」
「結果として仲間が死にます」
静かな声だった。
しかし誰も反論できない。
その時だった。
後ろの席からベテラン戦士が立ち上がる。
「甘い!」
五十代の大男だった。
傷だらけの顔。
鋭い目。
歴戦の冒険者だ。
「俺たちは命懸けなんだ!」
「休みたい時に休める仕事じゃねえ!」
周囲が頷く。
確かにそうだ。
迷宮は待ってくれない。
魔物も待ってくれない。
しかしケイは表情を変えなかった。
「失礼ですが」
「何だ」
「最後に休日を取ったのはいつですか」
男は考えた。
「……覚えてねぇ」
「睡眠時間は」
「四時間くらいか」
「最近の怪我は」
男は黙った。
包帯の巻かれた左腕を見る。
古傷ではない。
三日前のものだ。
「その怪我は疲労による判断ミスです」
男が目を見開く。
「なぜ分かる」
「報告書を読みました」
会議室に笑いが漏れた。
ケイらしい答えだった。
男は頭を掻いた。
「くそっ」
「認めたくねぇな」
その日の夜。
ヴィクトリアは執務室で頭を抱えていた。
机の上には休日制度導入案。
「反対意見が山ほど来てる」
「予想通りです」
「どうするの?」
ケイは書類を整理しながら答える。
「強制します」
「は?」
「半強制です」
ヴィクトリアは嫌な予感しかしなかった。
翌週。
鋼鉄の牙に新しい規則が貼り出された。
『七日連続勤務禁止』
『月四日以上の休日取得義務』
『違反者は依頼受注停止』
ギルド中が大騒ぎになった。
「ふざけるな!」
「働かせろ!」
「金が減る!」
だがケイは冷静だった。
「死ぬより安いです」
誰も勝てなかった。
三か月後。
結果は明らかだった。
怪我人が減った。
死亡者が減った。
依頼成功率が上がった。
新人の定着率も向上した。
何より。
皆の顔色が良くなった。
ある休日。
ガルガは久しぶりに街へ出た。
青空。
市場の賑わい。
焼き肉の匂い。
大道芸人の演奏。
休日など何年ぶりだろう。
セリアも隣にいた。
白いブラウスと長いスカート姿。
戦闘服ではない。
「平和ね」
「そうだな」
二人は屋台で蜂蜜入りの焼き菓子を買った。
甘い香りが漂う。
ガルガは一口食べて驚いた。
「うまい」
「でしょ?」
セリアが笑う。
その笑顔を見てガルガは思う。
こんな時間があったのか、と。
その頃。
ケイはギルドで書類整理をしていた。
休日なのに。
ヴィクトリアが呆れた顔で言う。
「ねえ」
「何でしょう」
「あなたが一番休んでないじゃない」
ケイは手を止めた。
少し考える。
本当に少しだけ。
そして答えた。
「……確かに」
「気付くの遅いわ!」
ヴィクトリアは思わず笑った。
窓の外では夕日が街を黄金色に染めている。
広場では休日を楽しむ冒険者たちの姿。
笑い声。
子どもたちの歓声。
屋台から漂う焼き鳥の香り。
かつての鋼鉄の牙にはなかった光景だった。
休むことは怠けではない。
明日を生き抜くための準備だ。
その当たり前のことを。
この世界で初めて教えたのは。
剣でも魔法でもなく。
一人の事務員だった。




