第12話 新人教育マニュアルを作ろう
第12話 新人教育マニュアルを作ろう
朝のギルドは騒がしかった。
鋼鉄の牙の食堂には焼きたての黒パンの香りが漂い、大鍋では野菜とベーコンのスープがぐつぐつと煮えている。新人冒険者たちは眠そうな顔で長机に並び、朝食をかき込んでいた。
その平和な光景を破ったのは、入口の扉が勢いよく開く音だった。
「た、大変です!」
若い受付嬢が飛び込んでくる。
「新人パーティーがまた怪我人を出しました!」
食堂が静まり返る。
ガルガが眉をひそめた。
「今度は何だ」
「迷宮一層で毒草を食べたそうです」
「馬鹿なのか?」
「空腹だったそうで……」
「馬鹿だな」
ガルガは即答した。
周囲のベテランたちも苦笑する。
「最近の若いやつはなあ」
「昔はそんな失敗しなかった」
「根性が足りねえんだよ」
そんな声が飛び交う中、ケイだけは手を止めた。
彼はスープを一口飲み、静かに尋ねる。
「なぜ食べてはいけないと知っていたのですか」
「は?」
ガルガが顔を上げる。
「知ってて当然だろ」
「誰から教わりましたか」
「え?」
「その知識です」
ガルガはしばらく考え込んだ。
「……親父?」
「なるほど」
ケイは手帳に何かを書いた。
その日の昼。
さらに問題が起きた。
新人の魔術師が魔力切れで倒れた。
翌日。
新人の斥候が落とし穴に落ちた。
その翌日。
新人の剣士が仲間を斬りかけた。
ギルドの治療室は怪我人でいっぱいになった。
消毒薬の匂い。
包帯。
苦しそうな呻き声。
ケイは資料を読みながら眉をひそめる。
死亡者こそ出ていないが異常だった。
三日後。
彼は倉庫に積まれた古い資料を調べ始めた。
埃っぽい空気。
紙の匂い。
夕日が差し込む薄暗い部屋で、ケイは何百冊もの帳簿を確認する。
そして。
一時間後。
彼は固まった。
「……存在しない」
ヴィクトリアが首を傾げる。
「何が?」
「教育資料です」
「教育資料?」
「新人向けの手引書、行動指針、安全管理資料、危険生物一覧、緊急対応手順」
「そんなもの必要なの?」
ケイはゆっくり顔を上げた。
その表情は珍しく驚いていた。
「存在しないのですか」
「うん」
「本当に?」
「だって先輩が教えるし」
ケイはしばらく黙った。
そして頭を抱えた。
ヴィクトリアはぎょっとする。
ケイが頭を抱えるなど天変地異に近い。
「どうしたの?」
「原因が分かりました」
「何の?」
「事故です」
翌朝。
ギルドの掲示板に大きな張り紙が貼られた。
『新人冒険者マニュアル作成プロジェクト始動』
冒険者たちは首を傾げる。
「何だこれ」
「またケイが何か始めたぞ」
ガルガが紙を読む。
そこには細かな項目が並んでいた。
『食べてはいけない植物一覧』
『魔力切れの前兆』
『迷宮内で迷った場合の対処法』
『毒を受けた時の応急処置』
『仲間との連携方法』
ガルガは吹き出した。
「子ども向けか?」
その日の午後。
新人たちを集めた説明会が開かれた。
会場は満席だった。
ケイは壇上に立つ。
相変わらず地味な黒いベスト姿だ。
「質問です」
新人たちを見る。
「毒キノコを見分けられる方」
誰も手を挙げない。
「解毒薬の使い方を知る方」
誰もいない。
「迷宮で遭難した場合の生存率を知る方」
沈黙。
ケイは資料を閉じた。
「なるほど」
新人たちは居心地悪そうに顔を伏せる。
「皆さんは無知です」
ざわつく会場。
だがケイは続けた。
「無知であることは罪ではありません」
新人たちが顔を上げる。
「教えられていないのですから」
その言葉に会場が静まった。
一人の少年が手を挙げた。
まだ十五歳くらいだろう。
新品の革鎧を着ている。
「質問です」
「どうぞ」
「僕、何回も怒鳴られました」
少年は俯く。
「役立たずだって」
周囲が静まる。
「でも何を覚えればいいか分からなくて……」
ケイは少しだけ目を細めた。
「当然です」
「え?」
「教わっていないのですから」
少年の目が見開かれる。
初めてだった。
失敗を責められなかったのは。
その日から新人教育が始まった。
危険な植物の実物展示。
魔物の特徴解説。
模擬戦。
応急処置訓練。
ベテランたちも半ば強制参加だった。
最初は文句ばかりだった。
「こんなの意味あるのか」
「根性が足りないだけだろ」
しかし一か月後。
数字が変わった。
怪我人が減った。
迷子が減った。
依頼失敗率が下がった。
そして三か月後。
死亡者数がゼロになった。
会議室で資料を見たガルガが呆然とする。
「嘘だろ……」
セリアも目を丸くした。
「こんなに違うの?」
ケイは淡々と答える。
「説明しただけです」
「それだけ?」
「はい」
ガルガは頭を掻く。
「俺たち、ずっと根性の問題だと思ってた」
「違います」
「じゃあ何だったんだ」
ケイは資料を閉じた。
窓の外では新人たちが訓練している。
木剣の音。
笑い声。
夕暮れの光。
その光景を見ながらケイは言った。
「説明不足です」
静かな声だった。
だが誰も反論できなかった。
かつての鋼鉄の牙では、新人は潰れるものだった。
生き残った者だけが冒険者になれる。
そう信じられていた。
しかし違った。
新人たちは弱かったのではない。
知らなかっただけだった。
そしてその事実に気付いた時。
ベテランたちは初めて理解する。
教えることもまた、強者の責任なのだと。
その夜。
食堂では新人たちが嬉しそうに夕食を囲んでいた。
香草焼きの鶏肉。
温かいシチュー。
ふかふかの白パン。
笑い声が響く。
その様子を遠くから眺めながらヴィクトリアは呟いた。
「ねえケイ」
「何でしょう」
「あなた、また未来を変えたわね」
ケイはパンをちぎりながら首を傾げた。
「いいえ」
「え?」
「私はただ説明書を作っただけです」
ヴィクトリアは笑った。
そして思う。
剣も魔法も使えない男が。
今日もまた誰かの命を救ったのだと。




