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第九章 「噴き出す悪意」

 しばらくして、再びノックの音が響いた。

「失礼します。経理部の石川瞳美です」

若い女性が入ってくる。整った身なりだが、どこか気の強そうな目をしていた。

山岸と中島は立ち上がり、軽く会釈する。

「新宿東警察署の山岸です」

「中島です」

山田の時と同じように挨拶を交わし、三人はソファーに腰を掛けた。

 石川は座ると同時に足を組み、二人をまっすぐ見据える。

先ほどの山田とは対照的に、緊張よりも警戒の色が濃い。

 山岸が口を開く。

「関根さんの事件についてですが、雨宮さんが殴ったことは間違いないと思うんですが、それで死んだわけではない様なので再捜査することになりまして」

一瞬の沈黙。

石川の眉がぴくりと動く。

「私が殺したって言うんですか!?」

鋭い声だった。

「いえ、まだ型通りの捜査をしている段階で、誰が犯人かは……」

山岸は落ち着いて答える。

だが、その説明を遮るように石川が吐き捨てる。

「死んでまで迷惑かけるなんて、本当に最低な男!」

強い嫌悪が滲む。

「どうせ死んでくれるんなら誰にも知られずに樹海で自殺でもすればよかったのに」

言葉は過激だが、ためらいはない。

中島がわずかに目を細める。

山岸は静かに問い返す。

「随分辛辣ですね」

「事実ですから」

即答だった。

「仕事もできないくせに、上の人にうまく取り入って、部下の手柄を横取りして出世して」

石川の声は徐々に熱を帯びていく。

「自分の立場を利用して女子社員を片っ端から食事や飲みに誘ったり、体を触ってセクハラしたり……」

言葉を重ねるごとに、怒りが露わになる。

「殺されて当然ですよ」

その言葉に、部屋の空気が一段重くなる。

山岸は表情を変えない。

「被害を受けたのは、あなたもですか?」

少しだけ踏み込む。

石川は一瞬だけ視線を逸らす。

「……ええ」

短く答える。

「でも、私はうまく避けてましたけどね」

言葉とは裏腹に、その奥にある感情は単純ではない。

「断ると評価に響く、とか?」

中島が補足する。

「そういうことです」

石川は小さく笑う。

「でも、それを分かってて近づいてくるんですよ。気持ち悪い」

吐き捨てるような口調。

「事件当夜は何処で何をされましたか?」

中島が話を戻す。

石川は少し考えるように目を上に向ける。

「あの日は女友達と二人で飲みに行ったんですけど……」

「どちらで?」

「新宿の居酒屋です」

「店名は分かりますか?」

「ええ、覚えてます」

迷いなく答える。

「それで……二、三日後にその友達と話したら、ベロベロに酔っぱらってて途中から記憶なくて」

肩をすくめる。

「どうやって帰ったかも覚えてないって言ってたから、アリバイの証明はできないかも……」

「お店の方とかも覚えてなさそうですかね」

山岸が問う。

「どうでしょう……」

少し考え込む。

「あ、でもレシートがありますよ」

そう言うと石川はバッグから財布を取り出す。

中から折りたたまれた紙を取り出した。

「これです」

テーブルに差し出す。

山岸はそれを受け取る。

「お預かりしても?」

「良いですよ」

あっさりとした返答。

中島が覗き込む。

「よくレシートなんか取ってありましたね」

「一緒に行った友達と割り勘でって話してたのに、友達がベロベロだったから私が全額払ったんです」

淡々と説明する。

「それで次に会った時に半分請求しようと思って」

「なるほど」

中島が頷く。

山岸はレシートに目を落としたまま、別の質問を投げる。

「他に被害者を恨んでそうな人に心当たりは有りませんか?」

「女子社員のほとんどが殺してやりたいと思ってたと思いますよ」

即答だった。

誇張でも冗談でもない声音。

その場の空気が凍る。

「貴女もですか?」

中島が思わず口にする。

石川はにやりと笑う。

「もし、関根が殺されたこと自体が間違っててまだ生きてるとか言ったら」

一拍置くと目つきを変えて続ける。

「今度は私が殺しますよ」

軽く言ったつもりなのかもしれない。

だが、その言葉は冗談には聞こえなかった。

山岸はわずかに息を吐く。

「そ、そうですか……」

わずかに間を置いてから、事務的に締める。

「また何かあればお話を聞くかもしれませんので、次は営業企画部の内海さんを呼んで下さい」

「分かりました。失礼します」

石川が立ち上がる。

ヒールの音を響かせながら部屋を出ていく。

ドアが閉まる。

 しばらく誰も口を開かなかった。

先ほどとは違う種類の重さが残る。

 中島が小さく呟く。

「……どう思います?」

山岸はレシートを指で軽く叩きながら答える。

「動機は十分すぎるな」

「ですね……」

中島は苦笑する。

「でも、石川さんの方はアリバイは有りそうですけど」

山岸はレシートを見ながら言う。

「この店、現場から近いし」

視線を上げる。

「友達がベロベロだったら、抜け出して殺してから戻ってくることも可能だ」

中島が頷く。

「レシートの時間を見る限り、犯行時刻より後だ」

「そもそも、このレシート自体、拾っただけかもしれんし」

「そうですね」

中島は納得したように言う。

「そうすると石川さんの方もアリバイは有って無い様なものですね」

山岸は背もたれに体を預ける。

「雨宮さんの自白で簡単に片付いたと思ったが……」

一息。

「甘かったな……」

その言葉の後、再びノックの音が響いた。

次の人物が、この積もった怨嗟の中から浮かび上がる。

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