第五章「二度目の衝撃」
田所探偵事務所の応接スペースで、山岸はソファに深く腰掛けていた。
向かい側には田所と夏野。テーブルの上には、先ほど山岸が持ち込んだ事件資料が広げられている。
「……という事で署で取り調べした結果、逮捕したという訳だ」
山岸が言い終える。
短い沈黙が落ちた。
「なるほど」
田所が静かに応じる。
その声音には納得の色はなく、どこか冷めた響きがあった。
田所はゆっくりと資料に手を伸ばす。
「それじゃ、説明していこう」
山岸は腕を組んだまま頷く。
田所は一枚の写真を取り上げ、テーブルの中央に置いた。
「先ず、凶器はこれだな?」
血の付いたワインボトルの写真。
「ああ、そうだ」
「凶器から指紋は出たか?」
「いや、拭き取ってあった」
即答だった。
田所はわずかに顎を引く。
「逃げるのに必死な上に、殺したと思ってなかった雨宮さんが、そこまで冷静に指紋を拭き取るとは思えないな」
「まあ、そう言われればそうだが……実際に拭き取ってあったんだ」
山岸は腕を組む。
田所は次の資料をめくる。
「供述調書には“空のワインボトルで殴った”とあるが――」
写真を軽く叩く。
「この凶器、未開封だな」
その一言で、空気がわずかに変わる。
「必死で抵抗してたんだ。勘違いもあるさ」
山岸は即座に返す。
だが田所は首を振った。
「勘違いするほどの精神状態なら、“空の”なんて付けずに“ワインボトル”とだけ言う筈だ」
夏野が小さく頷く。
「たしかに……わざわざ“空の”と付けるのは、そこを意識しているからですね」
「罪を軽くしようと、殺意を否定するために軽い空のワインボトルで殴ったと言ったのかもしれん」
山岸が言う。
田所は淡々と返す。
「そもそも殺したと思ってないのに、殺意の否定もないだろ」
「殺したと思ってないかどうかは分からん」
「いや」
田所は静かに言い切った。
「殺したと思ってるなら、子供でも多少の偽装工作はするもんだ」
山岸が指を立てる。
「だから凶器の指紋を拭き取ってあったじゃないか」
その言葉に、田所は別の写真を取り上げた。
現場の床を写したものだ。
「ここにワインのこぼれた跡があるだろ」
「ああ。確かに」
「じゃあ、栓を開けたワインボトルもある筈だよな」
「そりゃそうだ」
「何処に?」
一拍。
山岸の視線が資料の写真の上を泳ぐ。
「……見当たらないな」
田所は一枚の写真の隅を指差した。
「このゴミ箱からちょっと出てるこれ……多分、空のワインボトルだ。指紋を調べてみろ」
「分かった」
山岸が立ち上がろうとする。
「ちょっと待て」
田所の声がそれを止めた。
「何だ?」
「ここまでは前菜。メインディッシュはこれからだよ」
山岸が思わず顔をしかめる。
「まだ何かあるってのか!?」
「あるよ。まあ座って」
渋々といった様子で山岸は再びソファに腰を下ろす。
田所は新たに一枚の資料を取り出した。
「この被害者の頭部のレントゲン写真を見てくれ」
山岸が覗き込む。
「これがどうしたというんだ?」
「プッペの法則って知ってるか?」
「何だそれは?」
「骨折が二回生じた場合、二回目の骨折線は一回目の骨折線を超えない」
山岸が眉をひそめる。
「どういうことだ?」
「一回目の打撲で骨折して、同じ場所に二回目の打撲を受けた場合、二回目の骨折は一回目の骨折線より先には伸びないって事だ」
「……よく分からん。このレントゲンで説明してくれ」
「いいだろう」
田所は骨折の周囲を指でなぞる。
「これが一撃目の骨折線」
指を少しずらす。
「一撃目より少し後方に二撃目が入る」
さらに指を動かす。
「前方は一回目の骨折線を越えてないが、後方は一回目の骨折線を破壊して骨折線が伸びている」
夏野が身を乗り出す。
「……つまり」
「前方はヒビが入っただけの範囲が広いが、後方は折れた骨が内部に食い込んでいる。これは、一撃目よりも威力のある二撃目が、少し後方に入ったことを示している」
山岸が顔を上げる。
「ってことは……」
一瞬の間。
「二回の打撃を受けているって事か!?」
「そういうこと」
田所は静かに頷いた。
「しかも一撃目よりも二撃目の方が強い」
室内が完全に静まり返る。
山岸が深く息を吐いた。
「こりゃ、再捜査だな……」
そして小さく笑う。
「やっぱり大した男だよ、お前は」
田所は肩をすくめる。
「レントゲンに関しては専門家に再検証してもらってくれ。それからゴミ箱の中のワインボトルの指紋と血痕。これで雨宮さんは正当防衛による傷害として、殺人や傷害致死の疑いは晴れる」
「よし!」
山岸が勢いよく立ち上がる。
「署に戻って再捜査だ!助かったよ、資料は置いていく。他に何か分かったら連絡してくれ」
「ああ」
短く応じる田所。
山岸はそのまま事務所を後にした。
ドアが閉まる音が響く。
静寂が戻る。
だが、それは先程までとは違う種類の静けさだった。
事件は、ここから本当に動き出す。




