最終章「真相」
翌日。
田所探偵事務所のドアが開き、山岸が入ってくる。
「小林が自供したよ」
開口一番、それだけを告げた。
田所は椅子に座ったまま視線だけを向ける。
「そうか」
短い返事だった。
山岸はそのまま応接スペースのソファに腰を下ろす。
「全部、話した。経緯も、動機もな」
そして、ゆっくりと語り始める。
事件当日、十九時半頃。
小林は自宅で翌日のプレゼン資料の最終確認をしていた。
「……あれ?」
画面を見つめたまま、眉が寄る。
「これ、キャンペーンの商品じゃないのに……画像とロゴが入ってる……?」
指を止める。
数秒の沈黙。
「危ない、危ない……気付いてよかった。このままだったら大変なことになってた」
すぐに作業を開始する。
該当箇所を削除し、正しい構成へ修正していく。
だが、ふと手が止まった。
「……でも、何でこんなミスを……?」
机の上の書類に手を伸ばす。
関根から渡されていた指示書。
そこに、問題の画像が記載されていた。
「……関根部長の指示書には入ってるのか」
苦い表情になる。
「だからこんなミスを……」
一度、深く息を吐く。
「……勝手に直したら、また文句言われるな。一応報告しておくか」
時計を見る。
二十時十六分。
「この時間なら、まだ起きてるだろ」
電話をかける。
呼び出し音が鳴る。
だが――出ない。
もう一度。
やはり出ない。
「……出ないな」
一瞬考える。
「仕方ない。そんなに遠くないし、直接持っていくか」
二十時五十八分。
関根のマンションに到着。
チャイムを押す。
反応はない。
だが、部屋の明かりはついている。
ドアノブに手をかける。
鍵は掛かっていなかった。
ゆっくりと開ける。
「関根部長?」
声をかける。
奥から、かすかなうめき声。
小林は足を踏み入れる。
リビングへ。
そこには――頭から血を流した関根の姿。
「関根部長!?」
「ああ……小林か……どうしたんだ……」
関根はまだ意識があった。
「その頭……どうしたんですか?」
「雨宮に……ワインボトルで殴られたんだ……」
「大丈夫ですか?」
「ああ……痛むが、死ぬほどじゃない……」
関根はゆっくりと身を起こす。
「それで、お前は何しに来た?」
「明日のプレゼン資料に重大なミスが見つかって……修正して持ってきました」
「何だと?」
関根の目が細くなる。
「確認してもらえますか」
「分かった……ちょっと待て」
関根は立ち上がると、足元に転がっていた空のワインボトルを拾い上げ、ごみ箱に放り込む。
それからタオルを手に取り、床にこぼれた液体を拭き始めた。
動作は荒いが、まだ動ける状態だった。
やがてテーブルの前に戻る。
料理を脇に押しやり、そこにノートパソコンを置く。
蓋を開く。
小林はUSBメモリを差し出した。
「ここに修正後のデータが入ってます」
関根がそれを差し込み、操作する。
「……どこが変わってる?」
「三ページ目です。キャンペーン対象外のNATUVEの画像とロゴが入っていたので削除しました」
「そうか……危なかったな」
関根は画面を見ながら言う。
「ええ。このままだったら、先方の信用を失うところでした」
その時だった。
関根がキーボードを叩きながら、平然と言う。
「まあ、失敗したらお前のせいにすればいいだけだ」
小林の動きが止まる。
「この修正もな。お前のミスを俺が直したってことにして、今、本部長にメール送ったところだ」
「……は?」
空気が変わる。
小林の拳が震える。
「あんたって人は……」
「何だその態度は?」
関根が顔を上げる。
「気に入らないなら辞めろ。明日にでもクビにしてやる」
その言葉が、最後の引き金になった。
小林の視界が赤く染まる。
次の瞬間、手近にあったワインボトルを掴み、全力で振り下ろしていた。
鈍い音。
関根の身体が崩れ落ちる。
動かない。
静寂。
「……やっちまった……」
呼吸が荒くなる。
ふと、ノートパソコンに目がいく。
タッチパッドの横に、血が付いている。
小林はさっき関根が使っていたタオルで、それを拭き取る。
そしてノートパソコンを閉じる。
だが――
「……待て」
自分が持ってきたデータ。
それがコピーされている可能性に気付く。
慌てて開く。
しかし画面にはパスワード入力要求。
「くそ……!」
何度か試すが入れない。
「ダメだ……」
再び閉じる。
USBメモリを引き抜く。
さらにワインボトルの指紋を拭き取る。
周囲を見回す。
自分の痕跡が残っていないか確認する。
そして――そのまま部屋を飛び出した。
「……という訳だそうだ」
山岸が話を終える。
事務所に、短い静寂が落ちた。
「ま、これで本当に一件落着だな」
田所が淡々と言う。
「ああ。冤罪事件にならずに済んだ」
山岸はポケットから封筒を取り出し、テーブルに置いた。
「これはその礼だ」
田所が中を覗く。
「ビール券と商品券?」
口元がわずかに緩む。
「何だ、今回は警察からの正式な捜査依頼じゃないからって事か?」
「いや、これは俺個人からだ」
山岸が肩をすくめる。
「警察からの捜査協力費は、いつも通り口座に振り込まれる」
「なるほどな」
田所は封筒を指で弾く。
「これで打ち上げやろうって事か?」
「残念だが今回は無理なんだ」
山岸は苦笑する。
「後処理が山ほどある。代わりに、お前のところの優秀な調査員にでも飲ませてやってくれ」
「そうか」
田所は小さく頷く。
「じゃあ、そうさせてもらおう」
夏野が立ち上がる。
「皆さん呼びますか?」
「ああ、そうしてくれ」
田所は言う。
「ついでに買い出しも頼もう。夏野君、必要なものをメモして渡してくれ」
「分かりました」
夏野は頷き、ペンを取る。
事件は終わった。
だが、その余韻はまだ、この部屋の中に静かに残っていた。




