第十一章「欠けていた一枚」
鑑識に届けられたノートパソコンを、田所は自分の机で静かに調べていた。
画面には、解析の結果として開けるようになったファイルや履歴が表示されている。田所は椅子に深く腰掛けたまま、ほとんど身動きせずに視線だけを走らせていた。
夏野はその横から画面を覗き込む。
「どうです? 何かありました?」
「あったよ」
田所は短く答える。
「何があったんです?」
「あったにはあったんだが、これだけじゃ決定的とは言えないな」
そう言って、画面を閉じることもせずに視線を外した、その時だった。
ドアをノックする音が響く。
「入っていいか」
聞き慣れた声に、夏野が応じる。
「どうぞ」
山岸が入ってくる。
「よう。どうだ?」
「もう一つだな」
田所は机に肘もつかず、背もたれにもたれたまま答えた。
「もう一つ足りない」
山岸は小さく頷き、少しだけ口元を緩めた。
「ところで、お前にお礼を言いたいという人が来てるんだが、入れても良いか?」
「お礼? 誰だ?」
田所が首を傾げる。
山岸は振り返って声を張った。
「どうぞ!」
「失礼します」
若い女性が一人、遠慮がちに入ってくる。
「雨宮美紀と申します」
夏野がすぐに立ち上がった。
「どうぞ、お掛け下さい」
「ありがとうございます」
雨宮は小さく頭を下げ、ソファに腰を下ろす。その隣に山岸が座る。向かい側に田所が座ると、夏野が給湯室へ向かい、ほどなくしてコーヒーを淹れて戻ってきた。
カップを置き終えると、夏野は田所の隣に腰を下ろす。
「それで? お礼と言うのは?」
田所が淡々と聞く。
雨宮は緊張した面持ちで田所を見る。
「貴方が田所さんですか?」
「そうですが?」
その返事を聞くと、雨宮はすっと立ち上がった。
「ありがとうございました」
深々と頭を下げる。
「貴方のお陰で、殺人犯にならずに済みました」
田所は少しだけ目を細めた。
「まあ、お掛け下さい」
雨宮が再び座る。
「別に俺のお陰じゃないですよ。だって、貴女はそもそも殺人犯じゃなかったんだから」
「でも私は、自分が殺してしまったと思ってたし、裁判になったらどうなってたか……」
言いながら、雨宮は膝の上で指を強く握りしめた。
田所はあっさりと言う。
「まあ、でも、貴女が殺したんじゃないという事が分かったんだし、良かったじゃないですか」
「はい」
雨宮は顔を上げる。
「だからお礼をさせて頂きたいんです。私にできる事なら何でもしますから言って下さい!」
その言葉に、夏野がすぐ反応した。
「若い女性が男性に“何でもします”なんて言ったら、何をさせられるか分からないから、そんな事言わない方が良いですよ」
雨宮は首を横に振る。
「良いんです。あのままだったら、私は一生、人殺しのレッテルを貼られたままでした。それを救って頂いたんですから、私の身体でよければ好きなように使って下さい」
「おいおい、あんた……」
山岸がさすがに止めに入る。
だが田所は、表情一つ変えずに言った。
「……それじゃ、早速、そのお礼をして頂きましょうか」
「先生! 何させる気ですか!?」
夏野が思わず声を上げる。
田所はちらりと隣を見た。
「何もさせないよ」
そして雨宮に向き直る。
「雨宮さん。ではお礼として、貴女が参加するはずだったプレゼンの内容を詳しくお話願えませんか?」
雨宮はきょとんとした。
「え? そんな事で良いんですか?」
「はい。それで良いので、是非お願いします」
「分かりました。それでは……」
雨宮は一つ息を整えると、話し始めた。
プレゼンの内容は、大手飲料メーカー「東都ビバレッジ株式会社」の新商品である「VITAL SPARK」という機能性表示食品の炭酸飲料のキャンペーンだった。
キャンペーンの総指揮は高木本部長。実務の総責任者は被害者である関根営業企画部長。広告のデザイン等を担当するクリエイティブディレクターとして小林。クライアントである東都ビバレッジとの交渉や打ち合わせを担当するアカウントプランナーとして雨宮が参加していた。
大手飲料メーカーが大々的に売り出す商品の宣伝という事で、成功すれば一気に会社の信用も利益も上がる。だがその反面、もし失敗すれば大手の取引先を失うことになる。会社にとって、まさに社運を賭けた一大プロジェクトだった。
「……なるほど」
話を聞き終えた田所が小さく頷く。
「雨宮さん。プレゼンの資料はお持ちですか?」
「ええ」
雨宮はバッグに手を入れる。
「あの日、関根部長に呼ばれた時に『プレゼンの件』だと言われたので、USBメモリに入れて持って行って、そのままバッグに入れっ放しだったんです」
「お借りしても?」
「ええ、どうぞ」
雨宮がUSBメモリを差し出す。
「夏野君、ノートパソコン持って来て」
「分かりました」
夏野は自分の席からノートパソコンを持ってくると、雨宮のUSBメモリを挿し込み、プレゼン資料のデータを開いた。
田所は自分が調べていた被害者のノートパソコン内のデータと、今開いたデータとを並べて見比べる。
しばらくの沈黙。
やがて、田所の指が画面の一部を押さえた。
「雨宮さん。この画像、違いますよね?」
雨宮が身を乗り出して画面を見る。
「本当ですね。違います」
「何故違うか分かりますか?」
田所が問う。
雨宮は画面を見つめながら、すぐに答えた。
「私が持っていた方には、NATUVEという別系統の商品が入ってます。これはVITAL SPARKとは全然別コンセプトの商品で、ナチュラル志向の無添加飲料なんです」
一拍置く。
「これがこのままの状態でプレゼンされていたら、先方の怒りを買っていたでしょう」
田所が静かに続ける。
「だからこそ、削除して修正した……」
そして、顔を上げて山岸を見る。
「山岸さん……犯人が分かったよ」
山岸が思わず身を乗り出した。
「何っ!? 誰だ!?」
田所はすぐには答えない。
「まあ、そう焦らずに。順番に説明していくよ」
その口調は静かだったが、そこにはすでに確信があった。




