幕間 平手政秀
平手政秀は、信長の背を追いながら、自分の老いを初めてはっきりと感じていた。
足はまだ動く。
声も出る。
刀も握れる。
だが、心が追いつかない。
若は、何を見ておられるのか。
町。
米。
銭。
道。
人の不安。
それらが大事であることは、政秀にも分かる。
分からぬほど愚かではない。
けれど、家には形がある。
主には姿がある。
人は、その姿を見て従う。
信長はそれを分かっていながら、壊そうとする。
いや。
壊そうとしているのではないのかもしれない。
政秀には、そこが分からなかった。
「若!」
政秀はもう一度呼んだ。
信長は振り返らずに言った。
「爺、足が遅いぞ」
「今日くらい、私の足に合わせてくださいませ!」
「父上が死んだ日だからか」
「左様でございます!」
「父上が死んだ日だからこそ、町は俺を待たぬ」
政秀は歯を食いしばった。
この若君は、正しいことを言う。
時々、どうしようもなく正しいことを言う。
だから厄介なのだ。
間違っているだけなら、叱れば済む。
だが、正しさと無礼と危うさが一つになっている。
どこを叱ればよいのか分からなくなる。
それでも政秀は、叱らねばならない。
誰かが叱らねば、この若者はどこまでも行ってしまう。
そして、どこかで取り返しのつかないものを失う。
平手政秀は、その予感に震えていた。
信長の背は、まだ若い。
まだ細い。
だが、その背にもう尾張が乗ろうとしている。
乗せるには早すぎる。
だが、降ろすには遅すぎる。
政秀は、己の胸の奥に冷たいものが沈んでいくのを感じた。
このままでは、若は孤立する。
家中は割れる。
勘十郎様を担ぐ者が増える。
そして、織田家は血を見る。
それでも信長は歩く。
町へ。
人の中へ。
乱れの中へ。
政秀はその背を追いながら、初めて思った。
自分の命一つで、この若者に何かを届かせることはできるのだろうか、と。




