第20話 尾張はまだ一つではない
稲生に勝った。
信勝を許した。
柴田を生かした。
林美作守を縛った。
捕らえた者たちに飯を食わせ、町へ触れを出し、死んだ者たちの名を長秀の帳面に残した。
それで、尾張が一つになったか。
なるわけがない。
人の心は、戦に勝ったくらいで揃わない。
むしろ、勝った後の方が厄介だった。
負けていた時は、まだ分かりやすい。
俺に不満を持つ者は、信勝を見る。
信勝を担ぎたい者は、兄を危ういと言う。
町は米の値を見て、武士は面目を見て、商人は道の安全を見る。
それぞれが、それぞれの不安を口にしていた。
だが、俺が勝ち、信勝を許したことで、皆の声は一度引っ込んだ。
引っ込んだだけだ。
消えたわけではない。
水面の下に沈んだ石のように、見えにくくなった。
見えにくいものほど、後で足を取る。
だから俺は、勝った後も町へ出た。
城の中も歩いた。
兵の顔も見た。
長秀の帳面を読んだ。
帰蝶に飯を食わされた。
勘十郎に会った。
母上のところへ顔を出した。
柴田の兵の立て直しも見た。
林の屋敷から出てきた名簿も見た。
見れば見るほど、分かる。
尾張はまだ一つではない。
ただ、割れる音が一度止まっただけだ。
「若様」
長秀が帳面を抱えて来たのは、稲生から十日ほど経った頃だった。
顔色が少し悪い。
働きすぎだ。
働かせているのは俺だが。
「また増えたか」
「増えました」
「よいことだ」
「若様にとっては、でしょうか」
「尾張にとってもだ」
「私にとっては、微妙です」
長秀はそう言いながらも帳面を開いた。
この男は、愚痴を言ってから仕事をする。
順番としては悪くない。
何も言わずに溜め込む者より、よほど扱いやすい。
「まず、町の声です」
「言え」
「米の値は、稲生直後に一度上がりましたが、触れと補償の件が広がってからは落ち着いております。ただし、蔵を締める店はまだございます」
「締めるなと言っても締めるだろう」
「はい。ですが、以前よりは帳面に残す者が増えました」
「丹羽の帳面様の威光か」
「その名は本当にやめてください」
「町で定着しているらしいぞ」
「存じております。非常に困っております」
長秀の顔が本気だったので、俺は笑いをこらえた。
「次に、道です。偽印の件は、すでに二つ見つかりました」
「早いな」
「悪事の方が、役所仕事より早いことがあります」
「それは困る」
「ですので、印だけでなく、御用を命じた者の名、届け先、荷の中身を三つ揃えねば通さぬよう、馬借たちにも知らせました」
「町の者は従うか」
「半分は」
「また半分か」
「残り半分は、面倒だと言っています」
「面倒で済むならよい」
「若様」
長秀が少し声を落とした。
「面倒が増えすぎると、人は抜け道を作ります」
俺は頷いた。
「分かっている」
制度を作れば、抜け道も生まれる。
印を作れば、偽物が出る。
帳面を作れば、書かれぬ取引が増える。
罰を決めれば、罰を逃れる言い訳が増える。
それでも、何も作らぬよりはましだ。
何もなければ、強い者の声だけが通る。
それは国ではない。
ただの力比べだ。
「抜け道を探す者を、すべて斬るわけにはいかぬ」
「はい」
「だが、抜け道が本道になるのは困る」
「その線をどこに引くか、です」
長秀は帳面の端を指で押さえた。
「町の者は、若様の線を見ています」
「俺の線か」
「はい。どこまでなら見逃すのか。どこから本気で怒るのか。そこを測っています」
「城の者も同じだ」
「はい」
俺は背もたれもない座で、少し姿勢を変えた。
政秀なら、そこで姿勢を崩すなと言っただろう。
今も頭の中で聞こえる。
うるさい。
だが、少しだけ座り直した。
「城の声は」
長秀は頁をめくった。
「柴田殿は兵の立て直しに入っております。稲生で敵味方に分かれた者を、同じ組に戻すのは難しいようです」
「だろうな」
「ですが、柴田殿自身が『昨日の敵味方で槍を持たせれば、明日の敵に負ける』と申されたとか」
「柴田が?」
「はい」
俺は少し笑った。
あの男も変わり始めているのかもしれない。
いや、もともと見えていたものが、こちらにも見えただけか。
人は簡単には変わらない。
だが、置かれる場所が変わると、見せる顔が変わる。
「悪くない」
「はい。兵たちの間でも、柴田殿への信は残っています」
「俺への信は」
長秀は少しだけ困った顔をした。
「増えた、とは申せます」
「歯切れが悪いな」
「信というより、まず恐れと戸惑いが増えました。その後に、少し信が混じり始めています」
「正直だな」
「若様には、そう申し上げた方がよろしいかと」
「正しい」
恐れと戸惑い。
そこに少しの信。
今はそれでいい。
最初から信だけを求めるのは虫がよすぎる。
俺は父上ではない。
父上が積み上げた恐れと信を、俺がそのまま継げるわけではない。
俺は俺で、積み直すしかない。
面倒だ。
だが、面倒を避けて主になれるなら、誰も苦労しない。
「林は」
俺が問うと、長秀の顔がさらに慎重になった。
「林美作守様から出入りの名簿が届きました」
「隠しは」
「あるでしょう」
「だろうな」
「ですが、これまで見えなかった名がいくつか出ております。守山道の件、稲生前の兵集め、双方に関わった者も」
「林秀貞は」
「弟君を監督する立場を受け入れました。ただし、林一門の面目を守るためにも、あまり表立って追い込まぬようにと」
「虫がいいな」
「はい」
長秀が即答したので、少し驚いた。
この男も最近、はっきり言う。
「ですが、林佐渡守殿は使えます」
「そうだな」
「敵に回せば面倒です」
「それもそうだ」
「ならば、面目を少し残しながら、実を取るべきかと」
俺は長秀を見た。
「お前、言うようになったな」
「帳面様になりましたので」
自分で言った。
ついに諦めたか。
「よい傾向だ」
「褒められている気がしません」
「かなり褒めている」
「それも、最近は少し分かるようになりました」
長秀は小さく笑った。
たしかに、この男も変わっている。
俺の周りにいる者たちが、少しずつ言葉を持ち始めている。
それはよい。
だが、危うくもある。
言葉を持つ者は、やがて自分の考えを持つ。
考えを持つ者は、主とぶつかることもある。
それを恐れて黙らせれば、国は細くなる。
言わせすぎれば、まとまらない。
また線引きだ。
国とは、線引きばかりだな。
「勘十郎は」
俺は聞いた。
長秀は帳面を閉じた。
この話は帳面だけでは足りないという顔だった。
「信勝様は、母上様のもとへ通われています。外へ出ることは控えておられますが、家臣との面会を完全には断っておられません」
「断てば、かえって火種になる」
「はい」
「誰が来ている」
「津々木殿。ほかに、信勝様を本当に案じている近習たち。それから……林美作守様の周辺にいた者の一部が、詫びを名目に」
「詫びか」
便利な名目だ。
詫びに来たと言えば、追い返しにくい。
追い返せば冷たい。
受け入れれば、また人が集まる。
勘十郎は、そういうところで苦しむ。
「弟は会っているのか」
「短く。津々木殿の報によれば、信勝様は『今は私の名で誰かを動かすな』と繰り返しているそうです」
「そうか」
少しだけ安心した。
だが、それだけで済ませてはいけない。
繰り返す言葉は、聞く者によっては逆に意味を変える。
信勝様は今は動けぬ。
ならば我らが動く。
そう考える者が出る。
人は、言葉の穴を見つけるのがうまい。
「勘十郎に会う」
「今ですか」
「後でだ」
「珍しく、すぐではないのですね」
「俺も少し学んだ」
「それは何よりです」
長秀は本当にほっとした顔をした。
失礼な。
いや、日頃の行いか。
その日の午後、俺は柴田の兵の訓練を見に行った。
柴田はすでに動いていた。
稲生でこちらについた者、向こうについた者、それぞれを分けたままにせず、混ぜて組を作ろうとしている。
当然、最初はぎくしゃくする。
槍を合わせる前から、目で喧嘩している者もいる。
柴田はそれを怒鳴っていた。
「昨日の敵味方で飯が食えるか! 外の敵が来た時、隣の男が昨日どちらにいたか数えてから槍を出すつもりか!」
いい声だ。
腹に響く。
俺が近づくと、兵たちが一斉に緊張した。
柴田は振り返り、頭を下げた。
「若君」
「続けろ」
「よろしいので」
「俺を見る訓練ではないだろう」
柴田は少しだけ口元を動かし、兵たちへ向き直った。
「聞いたか! 若君を見るな! 前を見ろ!」
兵たちは慌てて構え直す。
俺は少し離れて見た。
柴田の訓練は荒い。
だが、理がないわけではない。
兵の足の置き方、槍の長さ、隣との間合い。
そういうものを、怒鳴りながらも見ている。
ただの武辺者ではない。
やはり生かしてよかった。
今のところは。
訓練が一区切りついた後、柴田がこちらへ来た。
「若君。見苦しきところを」
「悪くない」
「まだまだにございます」
「稲生で敵味方に分かれた者を混ぜるのは難しいか」
「難しゅうございます」
柴田は正直に言った。
「互いに目が残っております。あれは昨日、向こうにいた。あれは味方を突いた。そういう目で見ます」
「消えるか」
「すぐには」
「なら、消すな」
柴田が俺を見る。
「消さずに、上から別のものを重ねろ」
「別のもの」
「同じ飯を食わせろ。同じ番に立たせろ。同じ訓練で同じだけ叱れ。同じ敵を想像させろ」
柴田はしばらく考えた。
「今川、でございますか」
「今川でもよい。美濃でもよい。外の敵だ」
「外の敵を見せれば、内の敵味方が薄れる」
「薄れるだけだ。消えはせぬ」
「それでも、薄れるなら十分な時もございますな」
柴田は頷いた。
この男は、戦の話になると理解が早い。
「若君」
「何だ」
「信勝様は」
「生きている」
「存じております」
「なら何だ」
「私は、信勝様を支えようとして若君に背きました」
「知っている」
「それでも、今は若君の命で兵を鍛えております」
「そうだな」
「兵たちは、それを見ております。私自身も、まだ腹の中で何をどう置けばよいか測りかねております」
正直な言葉だった。
柴田ほどの男が、ここまで言う。
それは、こちらへ膝を折ったというより、自分の中の整理がつかないことを隠さないということだ。
「測りかねたままでよい」
俺は言った。
「今すぐ俺を信じると言われても、嘘くさい」
柴田が少し笑った。
「若君は、本当に妙なことをおっしゃる」
「よく言われる」
「されど、少し楽になります」
「そうか」
「はい」
柴田は兵たちの方を見た。
「私も、働きながら測ります」
「それでよい」
兵の訓練場を離れる時、犬千代がぽつりと言った。
「柴田殿は、やはり強いです」
「そうだな」
「私は、いつかあの方を超えられますか」
「知るか」
「若様」
「超えたいなら、まず勝手に突っ込む癖を直せ」
「……はい」
「それから、耳で戦うことも覚えろ」
「まだそれを」
「一生使うぞ」
犬千代は心底嫌そうな顔をした。
だが、その目は少し嬉しそうでもあった。
若い。
若さは面倒だが、火でもある。
桶に入れておく必要がある。
道三の文の言葉が、ふとよぎった。
尾張という狭い桶に入れられた火。
俺だけではない。
犬千代も火だ。
柴田も火だ。
勘十郎も、形は違うが火だ。
林の恨みも火。
町の不安も火。
尾張は、火種だらけだ。
全部消せば、国は冷える。
全部燃やせば、灰になる。
扱うしかない。
夕方、勘十郎と会った。
場所は母上の庭に近い小部屋だった。
人目は少ないが、完全に閉じてはいない。
今の俺たちには、それくらいがいい。
弟は少し痩せたように見えた。
「飯は食っているか」
俺が最初に聞くと、勘十郎は一瞬目を丸くした。
「兄上にそれを聞かれる日が来るとは思いませんでした」
「俺も思わなかった」
「食べています。帰蝶様と母上に見張られていますので」
「ならよい」
「兄上も?」
「見張られている」
「なら安心です」
小さな笑いが生まれた。
だが、すぐに消える。
この空気は、まだ長く笑えない。
「家臣と会っているな」
俺が言うと、勘十郎は頷いた。
「はい」
「追い返さないのか」
「追い返せば、私が見捨てたことになります」
「受け入れれば、人が集まる」
「分かっています」
「なら、どうする」
勘十郎は少し考えた。
「短く会います。話を聞きます。私の名で動くなと言います。それでも動きたい者には、兄上に直接申し出よと言います」
「俺に?」
「はい」
「なかなか嫌なことを覚えたな」
「兄上の真似です」
「俺の真似をすると嫌われるぞ」
「少し分かりました」
勘十郎が苦笑した。
だが、その顔には疲れがある。
「兄上」
「何だ」
「許されるというのは、重いですね」
「ああ」
「処罰された方が楽だった、とは言いません。生きたいと思いました。母上を悲しませたくもありません。けれど、生きていると、毎日、私は敗れたのだと思います」
「そうだろうな」
「そして、兄上に許されたのだと思います」
「それも、そうだろうな」
「悔しいです」
弟は、はっきり言った。
俺は頷いた。
「悔しがれ」
勘十郎は顔を上げた。
「よいのですか」
「悔しくない方がおかしい」
「兄上に対しても?」
「俺に対しても」
勘十郎の目が揺れる。
「私は、兄上を憎みたくありません」
「知っている」
「でも、悔しい」
「それでいい」
俺は言った。
「悔しさをなかったことにすると、腐る。俺も、お前に対して悔しい時がある」
「私に?」
「ああ」
「兄上が?」
「お前は俺より美しく座る」
勘十郎は、少し呆れたように笑った。
「またそれですか」
「それだけではない。お前は人の心に届く。俺が帳面で線を引いている間に、お前は見舞いの一つで町の心を少し動かす」
「それは」
「俺にはできぬことだ」
勘十郎は黙った。
「だから悔しい」
「兄上」
「だが、悔しいから斬るわけではない。悔しいから遠ざけるわけでもない。使う」
「やはり使うのですね」
「悪いか」
「いえ」
勘十郎は少しだけ笑った。
「兄上らしいです」
「ただし」
「はい」
「道具としてだけではない」
勘十郎は、まっすぐ俺を見た。
「横に、ですか」
「そうだ」
「私は、また間違えるかもしれません」
「俺もだ」
「その時は」
「止め合う」
言葉にすると簡単だ。
実際には難しい。
それでも言葉にする。
言葉にしなければ、始まらない。
勘十郎は深く頭を下げた。
「兄上。私は、まだ兄上を完全には信じられません」
「正直でよい」
「ですが、信じたいとは思っています」
「俺も、お前を完全には信じていない」
「でしょうね」
「だが、信じたいとは思っている」
弟の目に、少しだけ光が戻った。
「それで、今は十分かもしれません」
「半分だがな」
「ええ。半分です」
その半分を、俺たちはしばらく大事にするしかない。
全部を求めれば、また割れる。
半分を積む。
少しずつ。
面倒だ。
だが、国とはたぶん、そういうものだ。
その夜、評定を開いた。
大きな評定ではない。
佐久間、柴田、長秀、恒興、勘十郎。
林秀貞も呼んだ。
林美作守は呼ばない。
まだ早い。
帰蝶は同席しないが、後で内容は伝える。
母上にも必要な部分だけ伝える。
俺は、まず言った。
「稲生は終わった。だが、尾張はまだ一つではない」
皆が黙る。
「勝ったからまとまったと思う者は、明日足を取られる。許したから済んだと思う者も同じだ」
柴田が静かに聞いている。
林秀貞は表情を消している。
勘十郎は、少し俯き気味に、しかし逃げずに座っている。
「これから三つをやる」
俺は指を立てた。
「一つ、道と荷の名を正す。偽印、偽御用を許さぬ。長秀を中心に、町と馬借、鍛冶、米屋から声を集める」
長秀が頭を下げる。
顔には少し諦めがあった。
「二つ、兵を組み直す。稲生で敵味方に分かれた者を、外敵に向けて使えるようにする。柴田、お前が見ろ。佐久間は補え」
柴田と佐久間が頷く。
「三つ、家中の面目を整える。処罰と許しの線を示す。林佐渡守、お前には林一門を抑えてもらう」
林秀貞が静かに頭を下げた。
「承知いたしました」
「ただし」
俺は続けた。
「面目を守る名で、また織田の名を盗めば、今度は面目ごと斬る」
林秀貞の目がわずかに鋭くなる。
だが、頭は下げたままだった。
「肝に銘じます」
「勘十郎」
「はい」
「お前は、俺とともに触れを出す」
場が動いた。
勘十郎も驚いた顔をした。
「私も、ですか」
「そうだ。兄弟が並んでいることを見せる。ただし、飾りではない。お前の名で動くな、俺の名で動くな。織田の名を盗むな。これを二人の名で出す」
勘十郎は少し考え、頷いた。
「分かりました」
「嫌か」
「怖いです」
「そうか」
「ですが、必要だと思います」
「ならやる」
評定の空気が少し変わった。
信勝を隠すのではない。
遠ざけるのでもない。
横に立たせる。
これは危うい。
また担がれる可能性もある。
だが、隠しても担がれる。
なら、見える場所に置く。
そして、自分の言葉を言わせる。
信勝の名を盗む者に、信勝自身の言葉で釘を刺す。
それが必要だ。
「尾張はまだ一つではない」
俺はもう一度言った。
「だから、一つのふりをするな。一つにしていく」
評定の場に、沈黙が落ちた。
その沈黙は、悪くなかった。
何かを考える沈黙だった。
政秀。
少しは主らしくなったか。
そう思った瞬間、すぐに頭の中で声がした。
若、少しで満足しては困ります。
分かっている。
分かっているから、続ける。
評定が終わった後、帰蝶に内容を話した。
彼女は最後まで黙って聞いた。
「信勝様と並んで触れを」
「ああ」
「危ういですね」
「分かっている」
「ですが、必要ですね」
「分かるか」
「はい」
帰蝶は少しだけ目元を緩めた。
「尾張はまだ一つではない。けれど、一つではないことを認めるところから始めるのですね」
「そうだ」
「信長様らしいです」
「褒めているのか」
「かなり」
「ようやく素直に褒めたな」
「半分は」
「やはり半分か」
帰蝶は今度こそ小さく笑った。
俺も少し笑った。
その笑いは、城の不安を消すほど大きくはない。
だが、消えかけの火を一度手で囲うくらいの温かさはあった。
外では夜風が吹いていた。
尾張の風は、まだ荒い。
清洲も、末森も、那古野も、津島も、熱田も、すべてが同じ方を向いているわけではない。
今川は見ている。
美濃も見ている。
家中も、町も、俺の一手を見ている。
尾張はまだ一つではない。
だが、今日、俺はそれを口にした。
口にした以上、逃げられない。
一つにする。
父上のようにではなく。
政秀の死を飾りにせず。
勘十郎を影に押し込めず。
柴田の武も、佐久間の慎重さも、長秀の帳面も、帰蝶の目も、町の声も、全部使って。
壊すためではない。
組み直すために。
俺は、まだうつけと呼ばれている。
それでよい。
分からないものを、人はもう一度見る。
見ている間に、俺は尾張を動かす。




