団子は全部買われた
戸を開けると、土間に飯が並んでいた。
夜明け前で、長屋の中はまだ暗い。その土間に膳が三つ並び、湯気を立てていた。白い飯が大盛りで二膳。汁が二椀。焼き魚が三尾。煮しめが大皿に山盛り。漬物。卵。
膳の向こうに、くぐらが座っていた。
「起きたか」
「……なんでいる」
「朝であろう。朝は食うものだ」
シカネは寝起きの頭で、土間を見下ろした。膳は三つあるのに、くぐらの前には茶碗一つ置かれていない。
「これ、全部俺のか」
「おぬしは体が大きい」
「でかくても、これは食えねえ」
「食えるだけ食えばよい。残りは昼に包む」
くぐらは立ち上がり、シカネの足元にしゃがみ込んだ。
「その前に、足を見せよ。出かける話は、それからだ」
あの夜から、十日が経っていた。くぐらが夜明け前に来るのは、これで四度目だった。
◇
景綱の取り決めは、こうだった。
くぐらは、再び封じない。少なくとも、今は。城下の外れにある、古い空き屋敷に住む。屋敷の周りには札が打たれ、くぐらが何か大きな力を使えば、役宅にすぐ知れる。
律の監視も続く。これからはシカネだけでなく、くぐらのことも見張る。
鷹臣の行方は、わからない。あの夜のうちに城下を出たらしい。施療所の鑑定役は捕まった。鷹臣に頼まれて、シカネの血と、術傷の検めの控えを渡していたという。
景綱はそれを話し終えたあと、こう付け加えた。
「くぐら殿が暴れれば、私は封じる。お前が止められなければ、だ。……それを、忘れるな」
シカネはうなずいた。くぐらは何も言わなかった。
紗夜は、くぐらの屋敷に三日通い詰めて、三日とも門前で追い返された。四日目は、律に止められた。
◇
「どこも痛めておらぬな」
くぐらはシカネの足首を両手で持ち、指で押していた。くるぶし、すね、膝の裏。手つきは、あまり慣れていなかった。強く押しすぎてシカネが顔をしかめると、くぐらは手を止め、少し弱く押し直した。
「腕を」
「腕はもう治った」
「見せよ」
シカネは袖をまくった。両腕の火傷は、薄い桃色の痕を残して塞がっていた。玄朔が驚くほど早かった。半妖だからかもしれない、と紗夜は言っていた。
くぐらは、痕の一つ一つを指でたどった。
「……今日は、どこへ行く」
「南の宿場。荷を二つ」
「何刻に戻る」
「日暮れ」
「遅い」
「普通だ」
くぐらは、膳のほうへ目をやった。
「では、食え。全部とは言わぬ。ただ、魚は食え」
シカネは膳の前に座った。くぐらは、食べるシカネの横に座って、ずっと見ていた。自分は何も食べなかった。
魚を二尾食べたところで、シカネは箸を置いた。
「腹いっぱいだ」
くぐらは三尾目の魚を見て、シカネを見た。
「……昼に包む」
くぐらは竹の皮を広げ、残った飯を握り始めた。握り飯は、どれもシカネの拳ほどの大きさになった。力の加減がわからないらしく、一つ目は握りすぎて固く、二つ目は崩れかけた。三つ目で、ようやく形になった。
シカネは草鞋を結びながら、それを見ていた。握り終わるのを待っていたら、問屋の刻限に遅れる。シカネは立ち上がった。
「行ってくる」
「待て、まだ包んで——」
戸を閉めた。
◇
問屋の土間では、宗八が上がり框に腰かけていた。シカネを見ると、いつものように顎で足元を示した。
「足、見せろ」
シカネが片足を上げると、宗八は草鞋の裏を押し、くるぶしを押し、それから妙な顔をした。
「……もう誰かに見られたって顔だな、この足は」
「朝、見られた」
「誰に」
シカネが答える前に、宗八は鼻を鳴らした。
「いい。聞いた。城下中が知ってる」
宗八は膝に手をついて、立ち上がった。
「見る奴が増えたからって、手を抜くなよ。お前の足は、お前が見ろ」
「わかってる」
宗八が奥へ引っ込むと、入れ違いに、弥吉が真っ青な顔で寄ってきた。
「お、おい。お前の母ちゃん、来てるぞ」
「知ってる」
「知ってるって、表に立ってんだぞ。さっきから。清兵衛さんが茶を出したら、礼を言って、飲まずに持ってる」
シカネは振り返った。
問屋の前の通りに、くぐらが立っていた。竹の皮の包みを両手で持っている。昼の握り飯と、魚だろう。通りを行く人が、大柄な女を避けるように道の端を歩いていた。
シカネは表へ出た。
「何してる」
「おぬしが、どこへ行くのか見ておこうと思うてな」
「南の宿場だって言っただろ」
「道を知らぬ」
「知らなくていい」
「ついていけば、知れる」
くぐらは、包みを差し出した。
「忘れ物だ」
シカネは受け取った。まだ温かかった。拳ほどの握り飯が、竹の皮の上からでも三つ数えられた。
「来なくて——」
いい、と言いかけて、シカネはくぐらの顔を見た。くぐらは包みを渡した手をまだ下ろさずに、シカネの返事を待っていた。
「……日暮れには、戻る」
シカネは言い直した。
くぐらは、手を下ろした。
「日暮れだな」
「日暮れ」
「では、日暮れに」
くぐらは踵を返し、城下の外れのほうへ歩いていった。背が高く、髪が長く、遠くからでもよく見えた。
問屋の中から、清兵衛の咳払いが聞こえた。
◇
南の宿場への道を、シカネは弥吉と並んで歩いた。
荷は二つ。シカネの荷と、弥吉の荷。あの朝、弥吉が一人で南の宿場へ行って以来、二人で同じ便に出るのは初めてだった。
しばらく、弥吉は何も言わなかった。
一里ほど歩いたところで、弥吉がぽつりと言った。
「半妖ってのはさ」
「ああ」
「なんか、違うのか。腹が減らねえとか、寝なくていいとか」
「腹は減る」
「寝るのは」
「寝る」
「じゃあ、何が違うんだよ」
シカネは少し考えた。
「俺も知らねえ」
弥吉は、シカネの顔を見た。それから、吹き出した。
「なんだよそれ。本人が知らねえのかよ」
「知らねえもんは知らねえ」
「お前さあ……」
弥吉は笑いながら、シカネの肩を拳で小突いた。いつもの強さだった。
「まあ、いいや。お前が知らねえなら、俺が知ってるわけねえし」
それから弥吉は、南の宿場の飯屋の新しい女中の話を始めた。シカネは半分聞き流しながら、隣を歩いた。
◇
帰りに城下へ入り、施療所の前を通りかかると、ちょうど門から紗夜が出てくるところだった。両手に、どこかで拾ってきたらしい壊れた箱を抱えている。
紗夜はシカネを見ると、箱を抱えたまま寄ってきた。
「腕、見せて」
シカネが袖をまくると、紗夜は痕を指でなぞった。
「治り、早いね。やっぱり。……くぐらさんに、屋敷に入れてもらえないんだけど、何とかならない?」
「ならねえ」
「だよね」
紗夜は残念そうに言った。それから、思い出したように付け加えた。
「あ、そうだ。貸し、覚えてる?」
「覚えてる」
「よかった。まだ使わないけど。忘れないでね」
紗夜は箱を抱え直して、施療所の中へ戻っていった。
◇
問屋に受取証を納めてから、シカネは北の街道へ一里、足を延ばした。茶屋に着いたのは、日が傾きかけた頃だった。
暖簾はまだ出ていた。シカネが店先に立つと、お澄が奥から顔を出し、妙な顔をした。
「今日はもう売り切れだよ」
「まだ日がある」
「売り切れたの。……あんたの母さんが、全部買ってった」
お澄は顎で、店先の縁台を示した。
くぐらが座っていた。膝の上に、竹の皮の包みを山のように積んでいる。団子だ。あれが全部、団子だ。
くぐらはシカネを見ると、包みを一つ持ち上げた。
「好物だと聞いた」
「誰に」
「この店の女に」
お澄は知らん顔で、暖簾を下ろし始めた。
シカネは、くぐらの隣に座った。くぐらが包みを一つ開けて、差し出した。焼き目のついた団子が二本、並んでいた。
シカネは一本取って、食べた。いつもの味だった。甘辛いたれが、少し冷めていた。
くぐらは食べなかった。シカネが食べるのを、横で見ていた。
二本目を手に取ったとき、くぐらが言った。
「明日は、いつ帰る」
シカネは、串をくわえたまま、すぐには答えなかった。
通りの向こう、柳の木の下に、律が立っていた。帳面を開いて、何か書きつけている。シカネと目が合うと、律は帳面に目を落とした。筆は止まらなかった。
シカネは、串を口から離した。
「……日暮れ」
「では、日暮れに」
くぐらは、包みをもう一つ開けた。
シカネは二本目の最後の一口を、いつもより小さくかじった。




