次の土地へ
その夜、飯場の炉端では、遅くまで灯が消えなかった。
鉄次は、膝の上に板を置いて、紙を広げていた。暇を出された者が一人ずつ炉端に来て、行き先を言う。鉄次はそれを聞いて、書いた。
東の峠を越えた先に、銀山がある。そこの坑夫頭は、昔、赤沢で鉄次と同じ坑に入っていた男だという。そこへ行くと言った者には、鉄次は口添えを書いた。
「この者、赤沢にて八年、坑夫。鏨の手よし。坑夫頭 鉄次」
南の宿場の宿で、冬のあいだ人足を探していると聞いた者には、宿の主人あての頼み状を書いた。村に親類のいる者には、帰るという知らせを書いた。字の書ける者は、自分で書いて、鉄次に見せた。
夜も更けたころ、子供の手を引いた女が、飯場の戸口に立った。七番坑で死んだ源次の女房だった。
「里へ帰ります。この子と二人じゃ、ここの店賃は払えないから」
女は、炉端には上がらずに、土間に立ったまま言った。鉄次は筆を持ち直した。
「里は、どこだ」
女が村の名を言うと、鉄次はそれを宛先に書いて、本文を書いた。源次は七番坑で死んだこと。女房と子が、そちらへ帰ること。書き終えると、女に読んで聞かせた。女は、うなずいて、子の手を引いて帰っていった。
シカネは、炉端の隅で、書き上がった手紙を受け取っては、宛先を確かめて文箱に入れた。夜半を過ぎて、手紙は十二通になった。
「駄賃は、俺が半分出す」
鉄次は、筆を置いて言った。
「暇を出された奴に、飛脚の駄賃を全部出させるわけにいかねえ」
「駄賃は、清兵衛さんが決める。半分出すって、伝えとく」
鉄次は、うなずいた。それから、切れた唇に指で触れて、顔をしかめた。
「あんた、来月もこの便に来るのか」
「赤沢の便が、まだうちにあれば」
「あるさ。坑は減ったが、残った奴は、まだ家に銭を送る」
◇
明け方、飯場の前に、山方の手代が来た。
手代は帳面を開いて、番号を読み上げた。
「水替え一番。二番。三番」
呼ばれた者が、一人ずつ前へ出て、手代の前に並んだ。縄はかけられていなかった。北の山まで、山方の小者が二人ついて歩いていくという。
鉄次が、平太に紙を一枚渡した。
「七番坑の水替えにて、骨惜しみせず。坑の底に二日半閉じこめられ、年かさの者を背負って水を渡る。坑夫頭 鉄次」
鉄次は紙のいちばん上に、平太と書いていた。
平太は、紙を読めなかったらしい。鉄次に一度読んでもらってから、四つにたたんで懐に入れた。
平太は、シカネのほうを見た。
「送られる先の山に、お前の便は行くのか」
「行かねえ。北の山は、うちの便の外だ」
「じゃあ、これは自分で持ってく」
平太は、懐の上から紙を押さえた。
手代が、帳面から顔を上げた。
「水替え四番」
「平太だ」
平太はそう答えて、列の後ろに入った。手代は少し眉を上げたが、何も言わずに、帳面に印をつけた。
列は、谷の道を北へ下っていった。
◇
城下に戻ると、シカネはまず施療所へ行った。
紗夜は、手拭いをほどいて欠片を手のひらに載せると、しばらく黙って見ていた。それから拡大鏡を出して、縞を一本ずつ数えた。
「重さを足す。打ったものに。ふうん」
紗夜は、帳面を開いた。
「で、何回」
「石で、煙を割ったのが一回。硯岩の線を掴んだのが一回。糸は、使ってない」
「煙? 火じゃなくて?」
「火を割れたなら、煙も割れるはずだって、律が言った」
紗夜は、帳面に書いた。「七番坑、煙、上下に割る」。
「線は、何呼吸」
「十には、届かなかったと思う。九つ目で打った」
紗夜は、筆を止めた。
「蔵の火は、四呼吸でしょ。それで掌がむけた。今度は、倍よりも長く持ったの?」
「熱くなかった。重いだけだった。米俵を三俵背負ったみたいで、膝が今も痛い」
紗夜は、それも書いた。書きながら、「重いだけ」と小さく繰り返した。
「糸は、なんで使わなかったの」
「一度に一つしか掴めねえ。天井を止めるほうを取った」
「うん。そうだよね」
紗夜は細い筆で、小さな紙の札に細かい字を書きはじめた。書き終えると、印籠の三段目の蓋を開けて、内側に貼りこんだ。
シカネが欠片を三段目の口に近づけると、欠片は胡麻粒ほどに縮んで、底に転がった。
「これで、三段とも埋まったね」
「次に何かもらったら、どこに入れるんだ」
紗夜は、印籠をシカネの右の腰に結び直しながら、首をかしげた。
「考えとく」
◇
その晩は、くぐらの屋敷で飯を食べた。
くぐらは、シカネの右の腰の印籠を見て、三段目の蓋を指で叩いた。
「また増えたのか」
「山の主にもらった。石の欠片だ」
くぐらは、それ以上は聞かなかった。煮しめの鉢を、シカネのほうへ押しやった。
シカネが膝をかばって座り直すと、くぐらはそれを見ていた。
「膝は」
「まだ痛む。宗八さんにも、明日また見せる」
くぐらは、うなずいて、鉢の中の芋を一つ、シカネの椀に足した。
「明日は、どこへ行く」
「赤沢で暇を出された人の手紙を運ぶ。南の宿場と、村が二つと、東の峠の向こうの銀山」
「峠の向こうは、札の外か」
「外だ」
くぐらは、箸を置いた。それから台所へ行って、朝の分の握り飯を、いつもより多く包みはじめた。
◇
翌朝、問屋の帳場で、清兵衛が受取帳に便の名を書いた。
赤沢よりの便。暇を出された者の書状、十二通。
「駄賃は、一通十文。半分は鉄次さんから、と」
清兵衛は、そろばんを弾いてから、帳面を閉じた。
宗八が、上がり框に座ったシカネの膝を、親指で押した。シカネは顔をしかめた。
「まだ腫れてるな。峠は、下りで膝を使うな。腰で下りろ」
弥吉が、帳場の脇から顔を出した。
「お前さあ、それ、全部で駄賃いくらだ」
「百二十文」
「峠を越えて百二十文かよ」
弥吉は、何か言いたそうな顔のまま、荷札の文机に戻った。
表の戸が開いて、六助が入ってきた。後ろに、お民がついていた。六助は、ゆうべ城下に着いたのだという。煙を吸った咳が、まだ少し残っていた。
六助は、清兵衛の前で頭を下げた。
「荷を担ぐ仕事が、あったら使ってください。山の仕事しか知らねえけど、重いものは担げます」
清兵衛は、しばらく六助を見ていた。
「抱えにはできない。うちも、今は人を増やせない。荷の多い日に、日雇いで頼むことはある。それでよければ、名と長屋を書いていきなさい」
六助は、自分の名だけは書けると言って、帳場の脇で筆を借りた。大きく傾いた字で、六助、と書いた。お民が、その横で清兵衛に何度も頭を下げていた。
シカネは文箱の紐を締めて、背に回した。
東の門を出たところで、日が昇った。文箱のいちばん上には、峠の向こうの銀山の坑夫頭あてに、鉄次の太い字で宛名を書いた一通が入っていた。




