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山方の座敷から二日後の朝、境の石の前に、人が集まった。


山方の小野寺と、丸屋の番頭。坑夫頭の鉄次。取り決めの書き役として、律。それから、シカネだった。


硯岩は、いつもの灰色の大岩の上に座っていた。


立て石は、思っていたより重かった。根元を掘り起こして抱え上げると、シカネの肩ほどの長さがあった。


鉄次が、坑夫を三人呼ぼうとした。


「春は、三人がかりで下ろしたんだ」


「一人で足りる。担いで運ぶのは、慣れてる」


シカネはそれを右の肩に担いで、斜面を登った。


膝は、まだ少し痛んだ。一歩ずつ足場を確かめながら、二十間を登った。苔の縁の残った窪みの前で、石を肩から下ろし、根元から窪みに落としこんだ。


石の根元と窪みの形が、ぴたりと合った。


硯岩が、大岩の上から窪みを見下ろした。肩から、石の粉が落ちた。


「そこだ」


◇


律は、窪みの横に筵を敷いて、文机代わりの板を置いた。それから、丸屋の番頭に聞いた。


「春に、硯岩に供えたものの数を、教えてください」


番頭は、小野寺の顔を見た。小野寺は、何も言わなかった。


「酒を三樽と、鏨を十本です」


「例年は」


「酒が一樽と、鏨が五本」


律は、それを書いた。それから、硯岩のほうを向いた。


「例年より多い供物を受けたのは、なぜですか」


硯岩は、しばらく黙っていた。風が吹いて、硯岩の衣の縞から、粉が流れた。


「多く寄越すのは、多く掘るためだとは、わかっておった」


硯岩の声は、低くて遅かった。


「石が動くのも、見ておった。三人で担いで、下へ運んでいった。坑が、儂の層を越えてくるのも、わかっておった。儂は、黙っておった」


「崩れたのは、人の側のせいだと、前は言っていた」


シカネが言った。


「人の側のせいだ。儂も、受け取った」


硯岩は、そう言って、目を閉じた。


律は、番頭のほうへ向き直った。


「石を担いでいった三人は、誰の言いつけで動いたのですか」


「丸屋の山師です。言いつけたのは、私です。七番の鉱の筋が、境のすぐ先まで続いていると、山師が言うもので」


小野寺が、番頭から目をそらした。律は、番頭の言ったとおりに書いた。


◇


取り決めは、昼までかかった。


境は、元の窪みに戻した石とする。七番坑は塞ぐ。残る坑は、境の内でだけ掘る。供物は、例年の数に戻し、春に一度だけ供える。硯岩は、境の内の層を押さえる。


「奥の者は、どうする」


鉄次が聞いた。顔の左側を、硯岩に向けていた。


「儂の言うことも、半分しか聞かぬ」


硯岩は目を開けた。


「境の内へは、なるべく上がらせぬ。だが、継ぎ目を這う者を、一匹残らず止めることはできぬ」


鉄次は、腕を組んだ。


「定めの間合いで支柱を立てりゃ、一本二本齧られても、すぐには落ちねえ。音でわかる。そのあいだに逃げ坑へ逃がす」


律は、それも書いた。


書き終えると、律は紙を硯岩の前に置いた。小野寺と番頭が名を書き、印を押した。鉄次は、坑夫頭として名を書いた。


硯岩は、太い指を一本、紙の端に置いた。


指の下から、髪の毛ほどの細い灰色の線が、紙の上に一本走った。


律が紙を巻いていると、小野寺がそばへ来た。


「叱りの件は、聞いた」


律は、手を止めなかった。


「お前の書いたことは、合っていた。合っていたから、山方は困った」


小野寺は、それだけ言って、番頭と一緒に斜面を下りていった。


◇


七番坑の口には、坑夫たちが運んできた石が、腰の高さまで詰めてあった。


硯岩が、大岩から下りてきた。立つと、鉄次より頭一つ半高かった。歩くたびに、足元の石が鳴った。硯岩は、坑口の上の岩肌に、手のひらを置いた。


手の下から、灰色の線が岩肌に走った。線は、坑口の上の層に沿って広がった。それから、低い音がした。坑口の上の岩が、層ごと、ゆっくり下りてきた。詰めた石の上に、岩が重なった。


土埃が収まると、七番坑の口は、岩でふさがっていた。


坑夫たちは、しばらく黙って、ふさがった口を見ていた。


「一番いい鉱が出てたのにな」


誰かが言った。鉄次は、その声のほうへは顔を向けなかった。


硯岩は、シカネの前で足を止めた。


「おぬしは、儂の線を掴んで、儂が押さえぬと言うたところへ持っていった」


硯岩は、手のひらを開いた。親指ほどの、平たい灰色の石が載っていた。表に、細い縞が幾筋も重なっていた。


「持っていけ。握れば、重さが入る。打ったものに、重さを足す」


シカネは、石を受け取った。小さいのに、手のひらに載せると、ずしりと重かった。


「もらっていいのか」


「層を、返してもらった分だ」


硯岩は、そう言って、斜面を登っていった。


シカネは、石を手拭いにくるんだ。右の腰の印籠は、一段目に小石、二段目に糸玉が入っていて、三段目にはまだ札がない。


律が取り決めの紙を巻きながら、シカネの手元を見た。


「紗夜殿に見せるまでは、袋に入れておけ」


「わかってる。紗夜に言う分も数えてる。石で煙を割ったのが一回。線を掴んだのが一回。糸は、使ってない」


「使わなかったことも、言うのか」


「言わねえと、なんで使わなかったって聞かれる」


律は、少しだけ口の端を上げた。


◇


日暮れの飯場で、鉄次が炉端に立った。


坑夫たちが、炉を囲んで座っていた。七番坑を閉じたあとのことは、昼のうちに飯場じゅうに回っていた。誰も、汁に手をつけていなかった。


鉄次は、紙を一枚広げた。


「七番に入ってた者のうち、十八人に、暇を出す。丸屋がそう決めた。誰にするかは、俺が決めた」


鉄次は、名を一つずつ読み上げた。赤沢に家のない者から順に読んだ。読み上げられた者は、顔を伏せたり、炉の火を見たりしていた。六助の名もあった。


六助は、シカネの隣に座っていた。名を読まれると、膝の上の椀を見た。


「母ちゃんのとこへ帰る。春に帰るって書いたのが、早くなっただけだ」


「城下で、仕事はあるのか」


「わかんねえ。山の仕事しか、したことねえから」


六助は、椀の汁を一口飲んだ。


十八人目を読み終えたとき、炉端から男が一人立ち上がった。帳場の戸口で律に唾を吐いた、年かさの坑夫だった。


男は、鉄次の前まで歩いてきて、顔を殴った。


鉄次は、よろけたが、倒れなかった。殴り返さなかった。手を上げもしなかった。


「七番に人を入れたのは、俺だ」


男は、拳を握ったまま、鉄次を見ていた。それから、拳を下ろして、飯場を出ていった。


そこへ、山方の手代が戸口から顔を出した。


「水替えの者は、明日の朝、北の山へ送る。支度しておけ」


飯場の隅で、平太が顔を上げた。


鉄次は、切れた唇を手の甲で拭った。それから、炉端の箱から、紙と筆を出した。


「行き先のある奴は、言え。書いてやる」

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