打ち抜く
五番坑の天井は、シカネの頭より低かった。
鉄次が灯を持って先を行き、シカネは腰をかがめてその後ろを歩いた。律は最後だった。足元はぬかるんでいて、天井の割れ目から水が垂れてくる。ところどころで、割れ目から細い煙が入ってきて、天井に沿って流れていた。
試し掘りの横穴に入ると、天井はさらに低くなった。シカネは膝をついて進んだ。
突き当たりは、ごつごつした岩の壁だった。
鉄次は、鏨の柄で岩を叩いた。叩いては、耳の左側を岩に当てた。場所を変えて、また叩いた。何度目かで、岩の向こうから、かすかな音が返ってきた。三つ叩いて、間をあけて、三つ。
鉄次は、懐から白い石を出して、岩に拳ほどの丸を描いた。
「ここだけ打て。肩から先だけだ。足は動かすな。腰も回すな」
シカネは、膝をついたまま、両足の位置を決めた。いつもなら、踏みこんで、腰を回して、肩から拳を出す。ここでは、それができない。足と腰を岩のように固めて、右の肩だけを前へ出した。
拳が、白い丸に当たった。
鈍い音がして、丸の中の岩が、拳ほどの大きさだけ欠けて落ちた。天井から、砂がぱらぱらと落ちてきた。
鉄次は、天井に耳を向けて、しばらく黙っていた。
「いい。次だ」
鉄次は、欠けたところの少し奥に、また丸を描いた。シカネはまた、肩から先だけで打った。岩が欠ける。鉄次が天井の音を聞く。丸を描く。
十を過ぎたころ、拳の皮がむけて、白い丸に血がついた。二十を数えたころ、拳の先で岩が抜けた。
穴の向こうから、熱い風が吹きこんできた。焦げた木の匂いがした。灰色の煙が、穴からあふれて、横穴の天井を這ってきた。鉄次が咳きこんだ。
◇
「火の流れを割れたのなら、煙の流れも割れるはずだ」
律が、後ろから言った。
シカネは、右の腰の印籠を外して、一段目の蓋を開けた。小石を手のひらに転がすと、梅の実ほどの大きさに戻った。斑は、濃い色に戻っていた。
小石を握り、中の力を掴むと、冷えが掌から入って肘まで上がった。
シカネは、穴の口に顔を寄せた。煙は、穴から帯のように流れ出してくる。シカネはその帯の真ん中を、肩から先だけで打った。
煙が、二つに分かれた。
半分は、穴の上の縁から五番坑の天井へ上っていき、もう半分は、穴の下の縁から七番坑の床のほうへ流れ落ちていった。上と下の煙のあいだに、膝をついた人の顔の高さだけ、煙のない隙間ができた。肘から先の冷えは、拳から出ていった。
律が札を二枚出して、穴の両脇の岩に貼った。
「割れ目を、このまま留めておく。札が焦げるまでは保つ」
シカネは、穴の縁をさらに何度か打って、人が這って通れるだけの大きさにした。
◇
穴を抜けると、七番坑の底へ下る坂だった。
鉄次が灯を掲げると、支柱が並んでいるのが見えた。間が広かった。その支柱に、灰色のものがいくつも張りついていた。手のひらほどの大きさで、足がたくさんある。百足に似ているが、背中が石の板を重ねたようになっていた。
それが、支柱の木を齧っていた。齧る音が、坑の中に細かく響いていた。
「奥の者か」
律が言った。
灯の光に寄ってきたのか、灰色のものが支柱から離れて、シカネの足元へ這ってきた。一匹がシカネの脛を這い上がって、腕に噛みついた。針で刺されたように痛かった。
シカネは腕を岩壁に押しつけた。腕と岩のあいだに、灰色のものが挟まった。そのまま、肘から先だけで、短く押し打った。背中の石の板が割れる音がして、それは床に落ちて動かなくなった。
二匹目、三匹目が来た。シカネは振りかぶらなかった。這い寄ってきたものを、壁に、床に、手の届くところで打った。鉄次は、鏨を横に振って、支柱から払い落とした。
何匹か打たれると、残りは岩の継ぎ目へ潜って消えた。
◇
坂を下りきると、黒い水が坑の床を満たしていた。
鉄次が灯を高く掲げた。十間ほど先に、岩の段があって、そこに人影が五つ固まっていた。水は、段の上の者たちの膝まで来ていた。
「六助」
鉄次が叫ぶと、人影の一つが手を振った。
段の上の天井を見て、鉄次の顔が変わった。支柱が三本、齧られて細くなり、斜めに傾いていた。天井の岩が下がってきていて、割れ目から石が一つ、また一つ、水に落ちた。
「上がもたねえ。人を一人ずつ運んでたら、途中で落ちる」
シカネは、印籠の二段目のことを考えた。糸玉を足から出せば、水の上に一歩ぶんの足場ができる。だが一歩では、十間は渡れない。人を運ぶ足場にもならない。
「シカネ」
律が、灯の光の届くぎりぎりのところで、来た坂の上を指していた。
「穴のこちら側と向こう側で、岩の肌が違う」
シカネは、坂を駆け上がった。
穴の五番坑側の岩には、髪の毛ほどの細い灰色の線が、岩の層に沿って何本も走っていた。七番坑側の岩には、それがなかった。
「硯岩が押さえているところだ。本当の境は、この穴のすぐ手前を通っている」
シカネは、灰色の線の上に右の掌を置いた。線は、岩の奥から流れてきて、岩の中を山のほうへ戻っていく。シカネはその流れを、掴んだ。
重さが、掌から入ってきた。
腕を伝って肩へ、肩から背中へ下りて、腰と膝に溜まった。米俵を三俵、一度に背負ったような重さだった。熱くも冷たくもない。膝が曲がりそうになって、シカネは岩に手をついた。
今は、糸玉は掴めない。体の中には、この重さだけがある。
シカネは坂を下りた。
一呼吸、二呼吸で、水に入った。四呼吸目には、水は腰まで来て、胸まで来た。膝が重くて、足が水の底に沈みこむ。七呼吸目に、段にたどり着いた。
段の上の天井は、シカネの頭のすぐ上まで下がっていた。
九呼吸目に、シカネは段に足を据えて、真上の天井へ、肩から先だけで拳を打ち上げた。
拳から、重さが抜けていった。
拳の当たったところから、灰色の線が天井の岩に走った。線は、層に沿って四方へ広がった。割れ目の口が、ゆっくり閉じていった。落ちかけていた石が、割れ目に挟まって止まった。
膝から力が抜けて、シカネは段の上に座りこんだ。
◇
鉄次が縄を持って水を渡ってきた。縄の端は、坂の上の支柱に結んであった。
五人を、一人ずつ縄につかまらせて渡した。六助は自分で歩けた。年かさの水替えが一人、立てなかった。シカネと同じくらいの年の水替えが、その男を背負って水に入った。
坑口で「四番」と呼ばれていた男だった。
「名前は」
シカネが聞くと、男は少し考えてから答えた。
「平太」
全員が穴を抜けて五番坑に戻ったとき、律の札は二枚とも、縁から黒く焦げはじめていた。
七番坑の奥のほうで、重い音がした。足元が少し揺れた。鉄次は、穴のほうへ顔の左側を向けて、長いあいだ黙っていた。
◇
五番坑の口を出ると、空が白んでいた。
玄朔が、一人ずつ胸に耳を当てて、喉を覗いた。弟子が水を飲ませた。シカネの膝は、立っていても小刻みに震えて、止まらなかった。拳の皮は、両手ともむけていた。
六助が、筵の上で起き上がって、シカネを見た。
「母ちゃんに、手紙、届いたか」
「読んだ。大家さんには内緒だって言ってた」
六助は、黒い顔のまま笑った。




