六助の母
城下の西の門をくぐったとき、空はまだ白みはじめたばかりだった。
シカネはまっすぐ施療所へ行った。戸を叩くと、玄朔の弟子が眠そうな顔で開けた。奥から玄朔が出てきて、上がり框に立ったまま書状を読んだ。
「火と、崩れか。いつだ」
「昨日の日暮れ。崩れたところの近くに三人、坑の底に五人いる」
玄朔は、書状を弟子に渡した。
「私が行く。煙を吸った者は、外へ出してから一日が危ない。手の数が要る。馬を借りてこい。薬箱は二つだ」
弟子が走っていった。
廊下の奥から、紗夜が顔を出した。寝間着の上に羽織を引っかけていた。
「鉱山? 山のあやかしがいるところ?」
「施療所を空にはできん。お前は残れ」
玄朔に言われて、紗夜は口をとがらせた。それからシカネを見た。
「石と糸、持ってるよね。使ったら、数えといて」
◇
陰陽方の役宅では、景綱が朝の勤めを終えたところだった。
景綱は、小野寺の書状を読み終えると、しばらく紙の端に目を置いていた。
「七番坑か」
「知ってるのか」
「春に、山方から見立てを頼まれた。新しい坑道が、山のあやかしの境にかかるかどうか。うちから人を出して、境に障りなし、と書いた」
景綱は、書状をたたんだ。
「律」
隣の間から律が出てきた。旅の支度は、もうできていた。
「行け。見たものを、そのまま持って帰れ」
「春の見立ての控えを、持っていってもよろしいですか」
景綱は、律の顔を見た。それから、棚から薄い綴りを一冊抜いて、律に渡した。表紙に、赤沢七番坑とあった。
「持っていけ」
◇
玄朔の馬の支度ができるまでに、シカネは手紙と仕送りを配って回った。
文箱の包みは十一あった。城下の裏長屋に七つ、西の門の外の村に四つ。シカネは長屋の分から回った。どの家でも、包みを受け取ると、まず銭を数えた。それから手紙を開いた。
七番坑の火のことは、聞かれた家にだけ話した。崩れたところの三人の名と、底の五人の名を言うと、どの家も首を振った。うちの人は、ほかの坑だ。そう言って、ほっとした顔をして、それからすぐ、その顔を引っこめた。
六助の母のお民は、南の外れの長屋に住んでいた。
戸を開けたお民は、五十近くに見えた。仕立物の内職をしているらしく、部屋の隅に縫いかけの着物が畳んであった。
「赤沢の便です。六助さんから」
お民は銭の包みを受け取ると、両手で胸に抱いた。
「読みましょうか。六助さんに、俺が読むって言ってきた」
「ああ、そりゃありがたい。大家さんは、読むのが下手でね」
シカネは上がり框に腰を下ろして、手紙を開いた。鉄次の字だった。
「母ちゃん、元気か。こっちは元気だ。飯は多い。今月は三百文送る。冬の綿入れは要らない。鉄次さんのお古をもらった。母ちゃんは、夜なべで目を悪くするな。春になったら、一度帰る。六助」
お民は、黙って聞いていた。聞き終わると、手紙を受け取って、字の上を指でなぞった。
「あの子が言ったとおりに、書いてあるんだろうね」
「たぶん。鉄次さんが書いてた」
「あの子の顔、見たかい」
「昨日、見た。爪の間まで真っ黒だった。大家さんは読むのが下手だって、笑ってた」
お民は、少しだけ笑った。
「あの子が、そう言ったのかい。大家さんには内緒だよ」
シカネは、手紙を返してから、七番坑のことを話した。昨日の日暮れに崩れて、火が出たこと。六助は坑の底にいること。これから医者と陰陽師を連れて戻ること。
お民は、手紙を握ったまま、畳に座りこんだ。
「あの子を山へやったのは、私だよ」
お民は、縫いかけの着物のほうを見ながら言った。
「亭主が死んで、店賃が払えなくなってね。山なら、若い者は町の倍もらえるって聞いて。あの子は嫌だって言わなかった」
隣の家の女が、戸口から顔を出した。お民の顔を見て、何があったかを察したようだった。
「この並びじゃ、うちと、向かいと、奥の家も、赤沢から銭が来てるんだよ」
お民は、手紙を膝の上で伸ばした。
「止めてくれって、言いたいよ。でも、山が止まったら、私らは食えない。あの子も、食えない」
シカネは、何も言えなかった。文箱の紐を締め直して、立ち上がった。
「六助さんが出てきたら、また来る」
◇
問屋に戻ると、清兵衛は配った包みの受取を一つずつ帳面と合わせた。
「七番坑の話は、昼までに城下中に回るだろう。赤沢の便を、来月もうちに頼んでくれるといいがね」
清兵衛は、帳面を閉じた。
「便を取りに行ったとき、丸屋の番頭から聞いた。七番坑を掘るのに、丸屋は城下の両替商から大きく借りている。返すあては、七番の鉱だ。赤沢の銅は、藩の稼ぎの中でも大きい。山方も、七番坑には期待している」
「止まったら、どうなる」
「丸屋は借りたものが返せない。両替商は貸したものが戻らない。藩は稼ぎが減る。坑夫は仕事がなくなる」
清兵衛は、配り終えた受取の束を揃えた。
「うちは、月一の便がなくなる。小さいがね」
宗八が、奥から新しい草鞋を二足持ってきた。
「山道で、昨日のをもう一日履くな」
帳場の前に、くぐらが座っていた。膝の上に、風呂敷の包みを載せていた。
「昨日は、帰ってこなかったな」
「赤沢で泊まるはずだった。七番坑が崩れて、火が出た。これから戻る」
「赤沢は、どこだ」
「西に七里」
くぐらは、律のほうを見た。律は戸口で、首を横に振った。
「屋敷の札の外です」
くぐらは、しばらく黙って、膝の上の包みを見ていた。それから、包みをシカネの手に押しつけた。
「握り飯だ。持っていけ」
くぐらは、シカネの帯の左前の、お守りに指で触れた。
「何かあれば、私にはわかる。わかるだけだ」
◇
昼過ぎ、シカネは律と、馬に乗った玄朔と弟子と一緒に、城下の西の門を出た。
馬は荷を積んでいて、速くは歩けない。シカネは馬の手綱を引き、律は、その少し後ろを歩いた。
「春の見立ては、あんたが書いたのか」
シカネが聞くと、律は首を横に振った。
「私ではない。役宅の、年の上の人だ。山方の役人に案内されて、境の石を見て、坑道の向きを図に引いて、境にはかからないと書いた。私は、その写しを見ただけだ」
「じゃあ、なんで崩れた」
「わからない。わからないから、行く」
律は、それきり黙って歩いた。二つ目の川を渡ったあたりで日が暮れて、提灯を灯した。
赤沢の谷に入ったのは、夜更けだった。
七番坑の口には、篝火が焚かれていた。煙は、昨日より細くなっていたが、まだ坑口の天井から這い出していた。
篝火の横に、鉄次が立っていた。シカネを見つけると、顔の左側をこちらへ向けた。
「底から、石を叩く音がする」
鉄次は、坑口の脇の岩肌に耳の左側を当ててみせた。
「三つ叩いて、間をあけて、また三つ。坑夫の合図だ。まだ生きてるって意味だ」




