山の便
初冬の朝、問屋の土間で、清兵衛が文箱を一つシカネに渡した。
「赤沢の便だ。今月から始める便だから、向こうの帳場で、うちの名を覚えてもらってきてくれ」
赤沢は、城下から西へ七里の山にある銅山の町だった。そこで働く坑夫の多くは、城下や近くの村から出稼ぎに来ている。坑夫が家族へ送る銭と手紙を、月に一度まとめて運ぶ。帰りの便では、家族から坑夫への手紙と、着物や薬の包みを運ぶ。
陣屋の御用が別の問屋へ移ってから、清兵衛が自分で山元の店へ出向いて取ってきた仕事だった。
「駄賃は安い。だが、毎月必ずある」
清兵衛は、帳面に便の名を書きこみながら言った。
シカネは文箱を受け取った。右の掌には、蔵の梁の火を掴んだときの火傷が、白い跡になって残っている。握ると少し突っ張るが、痛みはもうなかった。
◇
赤沢の谷に入ったのは、昼を回ったころだった。
谷を流れる沢の水が、石の肌を赤茶色に染めていた。谷の奥の斜面には、黒い口がいくつも開いている。手前の平らなところに、鉱を焼く吹屋が並んでいて、屋根から白い煙が上がっていた。
山元の丸屋の帳場は、坑口に近い板葺きの建物だった。番頭は、問屋の名を聞くと帳面を開いて、うなずいた。
「手紙と銭は、坑夫頭がまとめてる。鉄次。飯場にいるはずだ」
飯場は、帳場の裏の長い小屋だった。
鉄次は、炉端で縄をなっていた。肩も胸も厚く、立ち上がるとシカネと目の高さがほとんど変わらなかった。汚れた黄土色の仕事着を着ていた。
シカネが名乗ると、鉄次は顔の左側をこちらへ向けた。
「もう一回言ってくれ。右の耳は、あんまり聞こえねえ」
シカネは、少し大きな声でもう一度言った。
「城下の問屋の、シカネだ。手紙と仕送りを預かりに来た」
「おう。待ってた」
鉄次は炉端の箱から、紐で束ねた手紙と、小さな紙包みをいくつも出した。紙包みの一つ一つに、名前と、宛先の町の名が書いてある。
「字が書けねえ奴のは、俺が聞いて書いた。銭の額は、包みの表に書いてある。数えてくれ」
シカネは、包みを一つずつ開いて銭を数え、額が合っているのを確かめてから、文箱に入れた。そのあいだに、坑から上がってきた坑夫たちが、炉端に寄ってきた。誰も、顔も手も黒く汚れていた。
若い坑夫が一人、シカネの手元を覗きこんだ。
「六助、お前のはそれだ」
鉄次が、手紙の一通を指で叩いた。宛先は城下の裏長屋で、お民とある。
「母ちゃんに、元気だって言っといてくれ。手紙にも書いたけど、あの人、字が読めねえから、大家さんに読んでもらうんだ。大家さん、読むのが下手でさ」
「わかった。俺が読む」
六助は、笑って頭を掻いた。指の爪の間まで、黒かった。
◇
手紙を受け取り終えると、鉄次は坑口のほうを見に行くと言った。シカネもついていった。
斜面の坑口のうち、いちばん新しいものが七番坑だった。口の脇の柱は、削ったばかりの木の色をしていた。
「今年の春から掘ってる。鉱がいいんだ。ほかの坑の倍は出る」
「先月、崩れたって聞いた」
帳場の番頭が、手紙の受け取りのときにそう言っていた。
「小さいのがな。誰も死んでねえ」
鉄次は、坑口の柱に手を置いた。
「奥は、支柱の間が広い。本当は、もう少し詰めて立てる」
鉄次は、それ以上は言わなかった。
坑口から、桶を担いだ男たちが出てきた。痩せて、着ているものは継ぎだらけだった。桶の水を沢へ流すと、また坑の中へ戻っていく。
「坑の底は、水が湧く。あいつらが汲み上げてないと、すぐ水が溜まる」
「坑夫じゃないのか」
「水替えだ。城下の溜から送られてきた。無宿の者だよ」
帳場の手代が、坑口の脇で帳面をつけていた。男が一人戻ってくるたびに、「水替え四番」「水替え七番」と読み上げて、帳面に印をつけた。
四番と呼ばれた男は、シカネと同じくらいの年に見えた。桶を下ろしたついでに、男はシカネの背の文箱を見た。
「飛脚か」
「城下の問屋のだ。あんたも、手紙があるなら預かる」
「出す先がねえよ」
男はそう言って、桶を担ぎ直した。シカネは名前を聞こうとしたが、手代がもう「四番、早く戻れ」と呼んでいた。男は坑の中へ入っていった。
鉄次は、坑口の上の斜面を顎で指した。
斜面のずっと上、尾根の近くに、灰色の大きな岩が一つ突き出していた。岩の横に、それより小さな立て石が一本立っている。目を凝らすと、灰色の岩の上に、背の高い人影が座っていた。人影の肩から、細かい砂のようなものが、ときどきこぼれ落ちていた。
「硯岩だ。この山の主だよ。あの立て石が、境の石。あそこから先は掘るなって、昔からの決まりだ」
「掘ったら、どうなる」
「知らねえ。掘ったことがねえからな」
鉄次は、毎年春に、山元が酒と鏨を供えに行くのだと言った。硯岩は供物を受けると、坑の天井の岩が割れにくくなるように、山の肌を押さえていてくれる。昔から、そういうことになっているという。
◇
その晩は、飯場に泊めてもらうことになっていた。
日が沈んで、炉端で汁をすすっていたとき、外で誰かが叫んだ。
「七番だ。七番から煙だ」
鉄次が椀を置いて飛び出した。シカネも続いた。
七番坑の口から、灰色の煙が這い出していた。煙は坑口の天井を伝って外へあふれ、斜面を上へ流れていく。坑口の中から、咳をしながら坑夫が三人、四人と転がり出てきた。
「崩れた。奥で崩れて、灯が落ちた。支柱に火が移った」
鉄次が、出てきた男の肩を掴んだ。
「誰が残ってる」
「崩れたところに、平吉と、熊と、源次。あと、底に六助と、水替えが四人」
鉄次は、手拭いを口に巻いて坑口へ入っていった。シカネが追いかけようとすると、ほかの坑夫に腕を掴まれた。
「入るな。坑のことを知らねえ奴が入ったら、それだけ死人が増える」
鉄次は、すぐに這って戻ってきた。坑口の外で膝をついて、長いあいだ咳きこんだ。
「崩れたところの手前までしか、行けねえ。その先は、煙と火だ」
◇
帳場に、明かりがいくつも灯った。
山元の番頭と、山方の出役所の役人が、板の間で書状を書いていた。役人は小野寺という名で、羽織の紐をきつく結んでいた。
「陰陽方へ。七番坑にて火と崩れ、山の障りの疑いあり。見立ての者を急ぎ寄越されたし」
小野寺は、書き終えた書状に印を押した。番頭のほうは、城下の施療所あてに、火傷と煙の手当てのできる医者を頼む書状を書いた。
二通の書状が、シカネの前に置かれた。
「城下まで、どれくらいかかる」
「夜のうちに走れば、朝には着く」
小野寺は、黙ってうなずいた。
鉄次が、文箱の中の手紙の束と仕送りの包みを指した。
「手紙も持ってけ。六助のも入ってる」
シカネは文箱の紐を締めて、背に回した。
坑口のほうでは、坑夫たちが濡らした筵を口にかけようとしていた。煙は、筵の上からも漏れ出していた。
鉄次は、坑口のほうへ顔の左側を向けたまま言った。
「頼む」
シカネは、谷の下へ向かって走り出した。




