受取
翌朝、清兵衛は表の戸を自分で一枚ずつ開けた。
閉めたときと同じように、誰も手伝わなかった。シカネと宗八と弥吉は、土間に並んでそれを見ていた。最後の一枚が開くと、秋の朝の光が土間の奥まで入ってきた。
戸を開けてすぐ、町奉行所の小者が、取り上げられていた受取帳を返しに来た。清兵衛は受取帳を両手で受け取って、あの日の頁を開いた。陣屋の封紙は、貼ったときのまま残っていた。
清兵衛は帳場に座って、帳面を開いた。
◇
弥吉は、しばらく外回りから外されることになった。帳場の手伝いと、城下の中の近い便だけをやる。
清兵衛にそう言われて、弥吉は口を開きかけた。
「いや、そうじゃなくて……」
弥吉は、そこで言葉を止めた。
「わかってる。わかってます」
弥吉は、帳場の脇の、荷札を書く文机の前に座った。筆を取って、墨をつけて、それからしばらく、何も書かずに紙を見ていた。
宗八が、その後ろを通りながら、弥吉の肩を一度だけ叩いた。
◇
清兵衛がシカネを帳場に呼んだ。
清兵衛は、帳場の引き出しから、折りたたんだ紙を一枚出した。広げると、清兵衛の字で、届けの文面が書いてあった。シカネという者は、当店の抱えではなく、折々に雇い入れた日雇いの者にて候。日付は、四日前になっていた。
「書いてあった。出す前に、あれが出た」
清兵衛は、紙をシカネのほうへ向けたまま言った。
「これは、捨てない」
清兵衛は紙をたたみ直して、引き出しに戻した。
「またこういうことがあったら、私はまた、これを書くかもしれない。それも、言っておく」
シカネは、閉まった引き出しを見た。
「わかった」
「わかったなら、いい」
清兵衛は、帳面を開き直した。
「今日から、またお前に頼む便がある」
◇
戸を開けて最初の便の客は、佐伯だった。
佐伯は、あの日と同じ地味な着流しで、土間に立った。役は一つ下げられて、郡方の書役に回されたという。
「柿原村の伝右衛門に、これを届けてほしい」
佐伯が差し出したのは、書状が一通と、重い紙包みが一つだった。
「籾の代金だ。藩から返す分に、私の分を少し足してある。足りないのはわかっている」
佐伯は、書状の端を指で揃えてから、シカネに渡した。
「確かに受け取った、と書いてもらってきてくれ。私が直に行くのは、まだ許されていない」
清兵衛が受取帳を開いて、佐伯の名を書いた。それから、佐伯に頭を下げた。
「うちを使ってくださるので」
「あなたの店は、封を切らずに届ける。それは、もうわかっている」
佐伯はそう言って、帰っていった。
◇
柿原村は、城下の西の門から一里半ほどだった。
田では稲刈りが続いていた。刈った稲を、竹の竿に掛けて干している。村の真ん中の郷蔵は、戸が開いたままで、中は空だった。
伝右衛門の家は、郷蔵の裏にあった。縁側に座っていた伝右衛門は、シカネを見ると、咳をしながら立ち上がろうとした。シカネは、座ったままでいいと手で示した。
名主は、もう甥が継いでいた。牢を出た日に、伝右衛門が自分で降りたのだという。
奥から、若い女が茶を運んできた。シカネの前に湯呑みを置いて、顔を上げた。
西の門で荷車の籾俵に手を伸ばしかけて、隣の男に止められていた女だった。
「あの日、門のところにいた人だね」
「いた」
女はそれ以上は何も言わなかった。湯呑みを置いた手を引いて、奥へ戻っていった。湯呑みの茶が、縁から少しこぼれていた。
シカネは、紙包みと書状を伝右衛門の前に置いた。
伝右衛門は、紙包みを開いて、中の銭を数えた。数え終えると、書状を開いて、ゆっくり読んだ。読みながら、何度か咳をした。
「籾は、来年の種の分もあった」
伝右衛門は、書状をたたんで、膝の上に置いた。
「種は、銭で買える。高くつくがね。名主の役は、私が降りると決めた。牢に入った名主の言うことは、村の者も聞きにくいだろうからね」
伝右衛門は、シカネの顔を見た。
「あんたが、あの書状を運んだ飛脚かい」
シカネは、少しのあいだ黙った。
「俺が、佐伯さまに届けた」
「中は、知らなかったんだろう」
「知らなかった」
「知らずに運ぶのが、飛脚だものな」
伝右衛門はそう言って、また咳をした。
「佐伯さまも、牢へ何度か来なすった。来るたびに、日付ばかり聞いていったよ。いつ、誰に、何と言ったか。帳面に書きつけて、紙の端を揃えて帰っていった」
伝右衛門は、膝の上の書状に手を置いた。
「あの人も、知らずに受け取ったんだろうね」
シカネは、文箱から受取の紙と矢立を出して、伝右衛門の前に置いた。伝右衛門は筆を取った。手が震えていて、一画目で墨が少しにじんだ。それでも最後まで書いた。
右、たしかに受け取り候。柿原村 伝右衛門。
伝右衛門は、「名主」とは書かなかった。
◇
日暮れに問屋へ戻ると、清兵衛が、昼までに受けた町内の小さな便は三件だったと言った。いつもなら、その倍は来る。駄賃は合わせても百文に足りなかった。
受取帳の脇に、北の陣屋の書き付けが置いてあった。シカネが留守の昼過ぎに届いたもので、これからの御用状は、城下の別の問屋に頼む、とあった。夕方には、呉服屋と薬種屋からも、しばらくは別の問屋を使うと言ってきたという。どの使いにも「承知いたしました」とだけ返したと、清兵衛は話した。
帳場の前に、くぐらが座っていた。清兵衛が、困った顔で茶を出していた。
くぐらは、湯呑みを置いて清兵衛に聞いていた。
「この子は、ここの者か」
清兵衛は、少しだけ間を置いてから答えた。
「うちの飛脚です。今日から、また」
くぐらは、うなずいた。それから、戸口のシカネを見ると立ち上がって、何も言わずに右手を取った。手拭いを巻いた掌を、上に向けた。
「三日前の夜、何かあったのはわかった。おぬしが言いに来るのを待っておった」
「火を掴んだ。蔵の梁が燃えてたから」
くぐらは、手拭いの端を少しめくって、赤くむけた掌を見た。
「次は、先に言え」
「先には、わからねえよ」
くぐらは、手拭いを元に戻した。それから、シカネの手を離さずに、しばらくそのまま持っていた。
宗八が、奥から新しい手拭いと膏薬を持ってきた。
「替えるぞ。痛くなる前に替えろって、言ってるだろうが」
宗八は、くぐらの手からシカネの手を受け取って、古い手拭いをほどいた。くぐらは、黙ってそれを見ていた。
シカネは空いている左手で文箱から受取を出して、清兵衛に渡した。
清兵衛は受取を広げて、伝右衛門の名を見た。それから受取帳を開き、糊を薄くつけて、受取を頁に貼った。
同じ帳面の何枚か前に、陣屋の封紙が貼ってあった。




