届けた命令書
稲刈りが始まって、城下の米屋の前に俵が積まれるようになった頃だった。
昼前、弥吉が北の便から戻ってきた。問屋の土間に入るなり、背中の文箱を帳場の前に下ろして、大きく息を吐いた。
「昼過ぎのところを、昼前だ。峠の下りで一度も止まらなかった」
「止まらなかったのか」
シカネが聞くと、弥吉は草鞋を脱ぎながら笑った。
「お前さあ、そういうとこだけ聞くなよ。速かったって話をしてるんだ」
文箱は、北の宿場の陣屋から預かってきたものだった。秋の検見で、郡奉行の岡部さまが陣屋に詰めている。そのあいだの御用状は、清兵衛の問屋が城下まで運ぶ。先代の頃からの得意先で、問屋の稼ぎの柱の一つだった。
清兵衛が帳場から出てきて、文箱の紐にかかった封紙をあらためた。陣屋の印が押された細長い紙が、紐の結び目に糊で貼ってある。清兵衛は剃刀でその紙を切り、切った封紙を受取帳の頁に貼りつけた。
「うちは、これを残しておくんだよ。開けたときに封が無事だった、という証になる」
清兵衛は、横で見ていたシカネに言った。それから中の書状を一通ずつ取り出して、上書きを読み上げた。勘定方へ二通、寺社方へ一通、城下の名主へ二通。最後の一通は、郡方の佐伯直之あてだった。上書きの脇に「急ぎ」と書いてある。
「シカネ、これを郡方へ。佐伯さまに直に渡して、受取をもらっておいで」
「わかった」
シカネは書状を油紙で包み、自分の文箱に入れて紐を結んだ。
◇
郡方の役所は、夏に証文を納めに来たときと同じ匂いがした。墨と、古い紙の匂いだった。
佐伯は、奥の文机で帳面をつけていた。三十をいくつか過ぎた、角ばった顔の侍で、背筋がまっすぐだった。シカネが書状を差し出すと、佐伯はまず上書きの日付を見て、それから封を切った。
読むあいだ、佐伯は一度も顔を上げなかった。読み終えると、もう一度、頭から読み直した。顔が固くなっていた。
「確かに、岡部さまの印だな」
佐伯は独り言のように言って、書状の末尾の印をしばらく見ていた。それから受取の紙に日付を書き、判を押した。押し終えると、書状の端を指で揃えて、文机の上にまっすぐ置いた。手が少し震えていたが、紙の端はきちんと揃っていた。
「陣屋から、ほかに言付けはなかったか」
「ありません。書状だけ預かってきました」
「そうか」
佐伯は受取をシカネに渡した。
「ご苦労だった」
それきり佐伯は書状に目を戻した。シカネは頭を下げて役所を出た。
◇
翌日、シカネは西の門の外の村まで薬種を届けに行った。
帰りに西の門をくぐろうとしたところで、人だかりに行き当たった。門の内側の道の端に、町の者が並んで何かを見ている。
縄をかけられた年寄りが、役所の小者に引かれて歩いてきた。六十を過ぎたくらいの、日に焼けた痩せた男だった。腰に縄を回され、両手は前で縛られている。顔を上げて歩いていた。
その後ろに荷車が三台続いていた。どれにも籾の俵が積んである。荷車を押しているのは、役所の小者だった。さらに後ろから、村の者らしい男と女が十人ほど、少し間を空けてついてきていた。
年寄りの横を、佐伯が歩いていた。昨日と同じまっすぐな背中で、前だけを見ていた。
「柿原村の名主だよ。伝右衛門さん」
シカネの隣で、天秤棒を担いだ八百屋が言った。
「何をしたんだ」
「隠し田だってさ。帳面に載せてない田を作って、年貢を逃れてたって話だ。それで名主は牢へ、村の郷蔵の籾は差し押さえ」
八百屋は声を落とした。
「御奉行さまから、急ぎの書状が来たんだと。昨日」
シカネは、自分の文箱の紐に手をやった。
荷車の音が近づいてきた。佐伯が、ふとこちらを見た。人だかりの中のシカネに気づいたようだった。佐伯は何も言わず、目を前に戻した。
村の者たちの中の、若い女が一人、荷車の籾俵に手を伸ばしかけて、隣の男に止められていた。
◇
その日の夕方、シカネは問屋に戻って、西の門で見たことを清兵衛に話した。
清兵衛は、そろばんを弾く手を止めずに聞いていた。
「昨日届けたやつだと思う」
「そうかもしれないね」
清兵衛はそろばんの玉を払って、帳面を閉じた。
「シカネ。届けた書状に何が書いてあったかは、うちの知ったことじゃない。封を切らずに、宛先の人の手に渡す。それがうちの仕事で、それ以上は引き受けていないんだよ」
「わかってる」
「わかってるなら、いい」
清兵衛は、閉じた帳面の表を手のひらで撫でた。
「籾を持っていかれたら、あの村は来年の種に困るだろうね。それも、うちの知ったことじゃない」
清兵衛はそう言って、帳場の灯りを点けに立った。シカネは土間の上がり口に座って、草鞋の紐をほどいた。届けたときの佐伯の、揃えた紙の端を思い出した。
◇
あの御用便から四日後の昼過ぎ、問屋の前に侍が二人立った。
一人は北の陣屋の侍だった。弥吉が「あ」と言って腰を浮かせた。陣屋で文箱を渡した人らしい。もう一人は、町奉行所の同心だった。後ろに小者が二人ついていた。
清兵衛が帳場から出てきて、膝をついた。
「何かございましたか」
陣屋の侍は、土間に立ったまま言った。
「岡部さまは、柿原村について書状など出しておられぬ」
土間にいた者が、みな手を止めた。
「郡方の佐伯殿から、柿原村の名主を入牢させ、籾を差し押さえたという知らせが陣屋に届いた。岡部さまの御下知に従った、とある。岡部さまは、そのような下知をした覚えがないと仰せだ」
陣屋の侍は、清兵衛を見下ろした。
「五日前の便で、陣屋から郡方へ出したのは、検見の日取りの届け一通だけだ。それがなぜ、命令書になって届いた」
清兵衛は、すぐには答えなかった。帳場へ戻って受取帳を持ってきて、四日前の頁を開いた。陣屋の封紙が貼ってあり、その下に六通の宛先と、受け取った者の名が書いてある。郡方、佐伯さま、シカネ。
同心が受取帳を覗きこんだ。
「封は無事だったと」
「はい。私が切りました。このとおりです」
「封が無事でも、中身が違っていたのなら、どこかですり替わったということだ」
同心は、土間を見回した。弥吉を見て、それからシカネを見た。シカネの顔のところで、目が少し長く止まった。
「陣屋からこの店まで運んだ者と、この店から郡方へ運んだ者。どちらも、吟味する」
同心は受取帳を閉じて、小者に渡した。
「それから、吟味が済むまで、この店は戸を閉めよ。荷の受け渡しはならぬ」
清兵衛は、手をついたまま頭を下げた。
「承知いたしました」
同心たちが帰ったあと、清兵衛は立ち上がって、表の戸を自分で一枚ずつ閉めていった。誰も手伝おうとしなかった。シカネも、上がり口に立ったまま見ていた。
最後の一枚が閉まると、土間が暗くなった。
帳場の脇で、弥吉が草鞋の紐を結んでいた。結び終えると、ほどいて、また結んだ。表の戸は閉まっていて、どこへも行く用はなかった。




