年の瀬の掛け取り
大晦日の前の日、問屋の帳場には朝から掛け帳が積まれていた。
一年のあいだ、銭を後払いにして便を頼んできた家の名が、一軒ずつ並んでいる。合わせて十二両あまり。清兵衛の店が一年で残す儲けの、一割ほどになる。
「お前の分は、東の町の五軒だ」
清兵衛は書き抜いた紙をシカネに渡した。
「日当は二百文。取れるだけ取ってきなさい。ただし、喧嘩はしないこと。来年もうちを使ってもらう家です」
「払えねえって言われたら」
「事情を聞いて、帳面に書いてきなさい。決めるのは私だ」
シカネは紙を懐に入れた。土間では弥吉が、西の町の分を受け取って顔をしかめていた。
戸口が暗くなった。くぐらが立っていた。後ろに律がいる。
「取り立てに行くのであろう。私も行く」
「誰に聞いた」
「弥吉という者に」
弥吉が、帳場の陰に引っ込んだ。
城下の中なら、くぐらがどこを歩こうと取り決めには触れない。シカネは草鞋の紐を締め直した。
「ついてくるだけだぞ。口は出すな」
「出さぬ」
◇
一軒目の乾物屋は、銭の代わりに昆布を置いていきたいと言った。
「正月にはこれが一番売れるんだ。二箱で、うちの掛けの分は足りるはずだよ」
主人は店の奥から、木箱を二つ引きずってきた。くぐらが箱に顔を近づけて、匂いを嗅いだ。
「昆布で受け取るかどうかは、うちの主人が決める。俺は書いて帰るだけだ」
シカネは帳面に、昆布二箱と書いた。
◇
二軒目の酒屋では、番頭が出てきて、シカネを土間に立たせたまま帳面をめくった。
「秋の書状は、一日遅れて着いた。おかげで取引が一つ流れた。全部は払えないね」
「遅れたのは、どの便だ。受取証があれば、日付でわかる」
「探すから、待っておくれ」
番頭は奥へ引っ込んで、なかなか戻らなかった。土間は板の間より一段低く、表の戸が開いているので風が抜ける。シカネは慣れていたから、そのまま立っていた。
くぐらが、一歩前に出た。
「この子を、いつまで寒い土間に立たせておく」
声は大きくなかった。ただ、奥から戻りかけた番頭が、くぐらの顔を見て足を止めた。くぐらは背が高く、土間に立っていても、板の間の番頭とほとんど目の高さが変わらなかった。
番頭の顔から、血の気が引いた。
「た、ただいま」
番頭は帳場へ駆け戻って、銭箱を開けた。掛けの全額を数え、そこへさらに一分金を一枚足して、震える手で差し出した。
「どうか、これでご勘弁を」
シカネは、くぐらの前に半歩出た。
「この人は待ってるだけだ」
番頭はシカネを見て、くぐらを見た。
「脅してるんじゃねえ。俺が寒いところに立ってたのが、気に入らなかっただけだ」
シカネは一分金をつまんで、番頭の手に返した。
「掛けの分だけもらう。遅れた便のことは、帳面に書いて主人に渡す。値引くかどうかは主人が決める。受取証は見つかったか」
番頭は一分金を握ったまま、懐から紙を一枚出した。日付は、約束の日の翌日になっていた。シカネはその日付を帳面に写した。
店を出ると、くぐらが言った。
「なぜ返した。払うと言うておったのに」
「あんたが怖くて払っただけだ。それじゃ、来年はよその問屋を使う」
くぐらは少し考えてから、言った。
「では、次の家では外で待つ」
◇
四軒目のお兼の家は、裏長屋の奥にあった。くぐらは言ったとおり、木戸の外で待った。律もその横に立った。
お兼は三十前の女で、仕立物の内職をしていた。縫い上げた着物を、問屋の便で宿場の呉服屋へ送っている。その便代が、秋から八百文たまっていた。
「呉服屋さんから、手間賃がまだ入らないんです。年が明ければ払うって言われて」
部屋の隅で、五つくらいの男の子が、母親の背中に隠れてシカネを見ていた。
お兼は行李の底から、布にくるんだものを出した。小さな手鏡だった。縁に、花の彫りがある。
「嫁に来るとき、持ってきたものです。これを質に入れれば、八百文にはなると思います」
男の子が母親の背中から手を伸ばして、鏡の縁に触ろうとした。お兼はその手を、そっと下ろさせた。
「呉服屋は、どこの宿場だ」
「南の宿場の、角の店です」
南の宿場なら、月に何度も通る道だった。シカネは鏡を受け取った。それから矢立を出して、紙に書いた。
――手鏡一つ、たしかに預かり候。 シカネ
◇
夕方、問屋に戻ると、清兵衛が一軒ずつ帳面を確かめた。
「昆布は受けよう。年始の挨拶回りに配れる。買えば同じだけかかる」
酒屋のところで、清兵衛は手を止めた。
「遅れたのは弥吉の便だね。あそこは大口だ。来年の最初の便で、少し引いておこう」
それから、お兼の家のところで帳面を閉じた。
「鏡は明日、質屋へ持っていきなさい。それで今年の分は済む。あの家の掛けは、今年で終いです。来年からは、前払いでなければ受けない」
「あの人は、呉服屋から払ってもらえねえから払えねえだけだ」
「わかってます。だから終いにするんです。うちは、払えない家の分まで待てる店じゃない」
清兵衛の声は穏やかだった。シカネは懐から鏡を出した。
「鏡は、俺が預かる。八百文は、俺が入れる。日当と、取っといた銭で足りる。年が明けたら、あの人が俺に返せばいい」
「お前一人の信用じゃないんだよ」
「俺の銭だ。帳面には、払ったって書けばいい」
清兵衛はしばらくシカネを見ていた。それから帳面を開き直し、お兼の名の横に、済と書いた。前払いの話は、取り消さなかった。
◇
大晦日の朝、残りの一軒を回ると、すぐに払ってもらえた。昼には、シカネの分の掛けは全部済んだ。
問屋へ戻る道で、くぐらが聞いた。
「あの鏡は、どうした」
「長屋に置いてきた。布に包んで、行李に入れた」
「おぬしの銭で、他人の鏡を買うたのか」
「買ってねえ。預かったんだ。質屋に入れたら、期日までに出せなきゃ流れる。俺のとこなら流れねえ」
くぐらはしばらく黙って歩いてから、「そうか」とだけ言った。
◇
その夜、蕎麦屋から使いが来た。
毎年、清兵衛は問屋の者全員に年越しの蕎麦を取る。今年は注文が多すぎて、手が回らないという。
「粉はあるのか」
戸口で聞いたのは、くぐらだった。昼から、問屋の土間の隅に座っていたのだ。
「粉なら、余るほどありますが」
「買う。板と麺棒も貸せ」
くぐらは問屋の台所に入り、袖をたすきで縛った。
半刻後、土間に並んだ椀の中で、蕎麦は指ほどの太さになっていた。
「これ、うどんだろ」
弥吉が箸で一本つまみ上げた。宗八は黙って噛んでいたが、やがて言った。
「噛めば、蕎麦の味はする」
清兵衛は、取るはずだった蕎麦の代金を口の中で数えて、満足そうに椀を持った。律は板の間の端で、一本ずつ静かにすすっていた。
くぐらはシカネの隣に座った。
「寺の子のことだ」
シカネは箸を止めた。
「印は、私にはやれぬ。私はあの子の親ではない。親でない者がやった印は、いつか、あの子にもわかる」
「……そうか」
「だが、あの子が山門の前にいた日のことを、坊主は帳面に書いたのであろう。おぬしのときのように」
「みんな書いてあるって言ってた」
「ならば、その頁を、あの子に読んで聞かせよと伝えよ。拾うた者がおった、という印だ。おぬしのことも、あの帳面があったから確かめられた」
シカネは、うなずいた。
「年が明けたら、運ぶ」
くぐらは自分の椀を手に取り、自分の打った蕎麦を一本すすった。それから、眉を寄せた。
「……太いな」




