第9話 世話を焼くのと、支配するのは違います
大舞踏会の喧騒から数日後。クラリッサは王宮の執務室で、各家から提出された行事費用の請求書や、次なる行事の段取りを記した書類の束と格闘していた。
そこへ、控えめだが規則正しいノックの音が響いた。
「入りますよ」
声と共に現れたのは、王室調停官のレオナール・ローデン公爵だった。彼は片手に数枚の書類を携えている。
「お疲れ様です、レオナール様。そちらは?」
「先日あなたが宮廷事務局へ通達した、仕立屋『銀の針』への王室契約破棄に関する最終確認書です。手続きは滞りなく完了しました」
レオナールは書類をデスクに置き、端正な顔を少しだけ和ませた。
「迅速なご対応、感謝いたしますわ。これで、社交界の和を乱して商売の種にしようなどという浅ましい店は、しばらく息を潜めるでしょう」
「ええ。宮廷事務局も、あなたの処断の早さには舌を巻いていましたよ」
事務的なやり取りを終え、クラリッサが書類をファイルに綴じようとした時だった。
「……クラリッサ嬢。少しよろしいですか」
レオナールの声の温度が、スッと一段下がった。
彼が真っ直ぐにこちらを見つめるその目元には、先日この部屋で投げかけられた『あなたは今後、全ての恋愛沙汰を背負うつもりですか』という問いの続きが浮かんでいるようだった。
「なんでしょうか」
「先日のリシャール伯爵令息の勘違いの件や、大舞踏会でのドレスの件についてです」
レオナールは、クラリッサの向かいの椅子に静かに腰を下ろした。
「事態を素早く、かつ的確に収拾したあなたの手腕は高く評価しています。ですが……私は、あなたが他人の問題のあまりに深いところまで入り込みすぎているのではないかと、危惧しているのです」
「入り込みすぎている、ですか」
「ええ。あなたは、当事者が直面している障害を、先回りしてあまりにも鮮やかに取り除きすぎる。彼らが自分で気づき、もがき、解決すべき問題まで、あなたがすべて横取りしているように見えるのです」
その指摘に、クラリッサの眉がピクリと動いた。
実務家であり調停官であるレオナールは、個人間のトラブルには一定の距離を保ち、ルールと手続きに基づいて裁定を下すことを信条としている。それは理解できる。
だが、前世で三人の子どもを育て上げてきた四十九歳のおばちゃんの魂が、そのドライな考え方に真っ向から反発した。
「レオナール様。目の前で困っている子……いえ、若い方々がいるのに、自立のためだからといって突き放し、見過ごすことが正解だとおっしゃるのですか?」
クラリッサの声にも、自然と熱がこもる。
「崖から落ちそうになっているなら、まずは手を引いて引っ張り上げ、安全な道に立たせてあげるのが、先に大人になった者の役目でしょう? 現に、私が立ち会わなければ、図書室の侍女は多大な迷惑を被っていましたし、大舞踏会での若い令嬢二人は、恥をかいて泣き寝入りすることになっていたのですから」
「結果的に助かったことは事実です」
レオナールは一歩も引かずに応じた。
「しかし、それは『世話を焼いている』ように見えて、実は相手から失敗して学ぶ権利を奪い、あなたの用意した安全な正解へと『支配』しているだけではないですか?」
支配。
その強い言葉に、クラリッサは思わず立ち上がりそうになった。
「支配だなんて、心外ですわ! 私はただ、彼らが取り返しのつかない間違った道へ進まないように……!」
「取り返しのつく失敗も世の中にはあります。あなたがすべてを先回りして解決してしまえば、彼らはいつまで経っても、自分で考えて決断する力を養えない」
レオナールの声は冷徹なまでに理路整然としていた。
「クラリッサ嬢。あなたは万能の神ではない。ましてや、社交界の全員の『母親』でもないはずだ。助けを求められてもいないのに、彼らの人生に正解を与えようとするのは、あなたの傲慢です」
「助けもせずに見ているだけなのは、尊重ではなくただの『放置』です! 転んで大怪我をしてからでは遅いのです!」
激しい応酬が、執務室の中に響き渡った。
ふと、双方が言葉を切り、重い沈黙が落ちた。
クラリッサは肩で息をしながら、ようやく気づいた。
(私、王弟殿下と本気で怒鳴り合ってる……)
ジュリアンなら不機嫌になって会話を打ち切り、周囲の者なら先に折れた。だがレオナールは、爵位にも婚約者という肩書にも目をやらず、今もクラリッサの顔だけを見ている。
腹は立つ。それでも、不思議と怖くはなかった。
沈黙を破ったのは、レオナールの方だった。
「……少し、言い過ぎました」
彼はフッと視線を伏せ、小さく息を吐いた。
「あなたの善意を否定するつもりはなかったのです。ただ、あなたが他人の人生の重みを一人で背負い込もうとしているように見えて……その危うさを、看過できなかっただけです。申し訳ない」
「……いいえ」
クラリッサもゆっくりと椅子に座り直し、首を振った。
「私の方こそ、熱くなって失礼な口を利きましたわ。あなたの仰ることも、一理あります。私は少し、先回りしすぎる癖があるのかもしれません」
前世で、子どもたちに「お母さんは口出ししすぎだ」と煙たがられた記憶が蘇り、クラリッサは微かに苦笑した。
「では、私はこれで。次の会議がありますので」
「ええ。ご忠告、胸に留めておきますわ」
立ち上がったレオナールは、退出する前に一度だけクラリッサを見つめ、静かに一礼して執務室を出て行った。
扉が閉じても、「あなたの傲慢です」という一言だけが胸の奥に残った。
腹立ちまぎれに払い落とそうとしても、どうしても消えてくれない。
そんなことを考えていた矢先だった。
コンコン、と。
先ほどのレオナールよりも、ずっと遠慮がちな、か細いノックの音がした。
「……どうぞ?」
クラリッサが声をかけると、重い扉がゆっくりと開き、一人の若い令嬢が姿を現した。
それは、以前の茶会などで何度か顔を合わせたことのある、おとなしい印象の伯爵令嬢だった。
「クラリッサ様……お仕事中、申し訳ありません」
令嬢は、どこか思い詰めたような顔をしており、その声は微かに震えていた。
「あら、どうなさいましたの?」
「実は……その、少し、年上の方との婚約について、ご相談したいことがございまして……」
助けを求められれば、放っておけるはずがない。
先ほどのレオナールの忠告が頭をよぎりながらも、クラリッサは四十九歳の魂の赴くまま、彼女に温かい笑みを向けてソファーを勧めていた。




