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王太子殿下、その婚約破棄、ご両親には通しましたか?――前世で三人を育てた公爵令嬢は、社交界の恋愛騒動を段取りからやり直します  作者: 他力本願寺


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第5話 嫌味は通じないので、普通に返します

秋の社交季を告げる最初の大茶会は、王宮の広大な庭園で開催された。


 色とりどりのドレスに身を包んだ貴族たちが、美しい芝生の上に並べられた白亜のテーブルを囲む。澄んだ秋晴れの空の下、弦楽四重奏の優雅な調べが流れる中、クラリッサは主催責任者として完璧な笑みを浮かべ、招待客たちの間を歩き回っていた。


「素晴らしいお茶会ですわね、クラリッサ様」


「ありがとうございます。本日は東国から取り寄せた新しい茶葉をご用意しておりますの。どうぞお楽しみくださいませ」


 にこやかに挨拶を交わしながらも、クラリッサは背中や横顔に突き刺さる、無数の『野次馬の視線』をひしひしと感じていた。


 先日の夜会で、ジュリアン王太子が公開婚約破棄を宣言し、それが調停官によって一時停止扱いとなったことは、すでに社交界の隅々にまで知れ渡っている。


 彼らが期待しているのは、「王太子に捨てられかけて、惨めに強がる公爵令嬢」という甘美なゴシップだ。


 ふいに、派手なドレスを着た伯爵夫人が、取り巻きの令嬢たちを連れてクラリッサの前に進み出た。


「クラリッサ様。おいたわしいこと……お顔の色が優れませんわね。無理をして主催など続けられなくてもよろしいのに」


 心配を装いながら、その目は完全にクラリッサを値踏みしている。


「それにしても、王太子殿下は『真新しい、可憐な花』を見つけられたそうですね。お庭に咲く花も同じですが、古い花は枯れて見栄えが悪くなるだけ。潔く散るのが、美しい花の務めというものではなくて?」


 取り巻きの令嬢たちが、扇の陰でクスクスと笑い声を漏らす。


 なるほど。貴族特有の、遠回しな嫌味というやつだ。


(はいはい。「真新しい花」がミレーヌ嬢で、「古い花」が私ってことね。さっさと身を引けって言いたいのね)


 前世の四十九年間、ママ友のランチ会や親戚の集まりで、もっと陰湿でねちっこい嫌味を山ほど経験してきたクラリッサの心には、さざ波一つ立たなかった。


 真っ向から怒って見せれば相手の思う壺だ。かといって、気の利いた皮肉で言い負かして「論破」するのも、結局は同じ土俵に立つことになり疲れるだけだ。


 一番効くのは、嫌味そのものを『不成立』にすること。


「まぁ、伯爵夫人。お花の話ですか?」


 クラリッサは、心底不思議そうな、きょとんとした顔を作った。


「ええ、庭園の造園頭が丹精込めた新種の花々は、本当に可憐で素晴らしいですわ。でも、古いからといって枯れるのを待つばかりではありませんのよ?」


「え……?」


「適切な時期に剪定を行い、土を整えれば、来季にはさらに美しく、大輪の花を咲かせますわ。うちの領地の庭師は土壌改良の専門家ですの。よろしければ、後でうちの庭師が使っている肥料の配合をお教えしましょうか?」


「ひ、肥料……?」


「ええ。とてもよく効きますのよ」


 クラリッサが屈託のない笑顔で園芸の話を続けると、伯爵夫人たちは完全に毒気を抜かれ、「い、いえ、結構ですわ……」と引きつった笑いを浮かべて退散していった。


(よし、撃退完了。嫌味は額面通りに受け取って返すに限るわね)


 クラリッサが内心でガッツポーズをしていると、今度は別の場所から、ヒソヒソという刺々しい声が聞こえてきた。


 視線をやると、茶会の隅のテーブルで、ミレーヌ・ベル男爵令嬢が孤立していた。


「あれが、王太子殿下をたぶらかしたという……」


「身の程知らずもいいところですわ」


「殿下の優しさにつけ込んだ、恐ろしい略奪女に違いありませんわね」


 噂好きの夫人たちが、扇で口元を隠しながら、これ見よがしな声でミレーヌを値踏みしている。


 婚約停止中とはいえ、ジュリアンが「真実の愛」の相手として宣言した以上、ミレーヌをこの社交界から完全に排除することはできない。しかし、夫人たちは彼女一人を『身代わりの悪女』に仕立て、派閥争いや王太子への牽制に利用しようとしていた。


 ミレーヌは肩をすくめ、今にも泣き出しそうな顔で震えていた。


(……ああもう、本当に嫌な空気)


 以前のクラリッサなら、「自業自得だ」と冷たく放置していた場面だ。


 だが、今のクラリッサには、ミレーヌが『値踏み好きの夫人たちに囲まれ、逃げ道をなくした若い新参者』にしか見えなかった。


 放っておけるはずがない。


 クラリッサは優雅な足取りで夫人たちの輪に近づくと、扇の先で菓子卓を示した。


「皆様、楽しんでいらっしゃいますか? あちらに新しい焼き菓子が並びましたわ。東国のスパイスを使った珍しいものですの」


「あ、クラリッサ様……」


 主催者であるクラリッサの登場に、夫人たちは慌てて視線を散らし、菓子のテーブルへと移動していった。


 残されたミレーヌの前に立ち、クラリッサは静かに声をかけた。


「ベル男爵令嬢」


「ひっ……! く、クラリッサ様、申し訳ありません、私……!」


 ミレーヌが怯えたように身を縮める。


「謝る必要はないわ。……辛いなら、体調不良を理由にして、あちらの控室へ戻ってもいいのよ。馬車の手配もしてあるわ。どうする? 帰る?」


 クラリッサは、命令ではなく、選択肢を提示した。


 ミレーヌは驚いたように顔を上げ、クラリッサを見た。


 すぐに逃げ出すかと思いきや、彼女はドレスの裾を握りしめ、ふるふると首を横に振った。


「……残ります。逃げてばかりでは、いけない気がして……。それに、逃げたら、本当に私が『悪いこと』を企んだことになってしまうから……」


 少しだけ、強くなったわね。


 クラリッサは微かに口角を上げると、彼女の決断を尊重することにした。


「分かったわ。なら、ここにぽつんと立っていないで、仕事を手伝ってちょうだい」


「え……? し、仕事、ですか?」


「あそこの東屋に、今日お披露目する東国の茶器の展示テーブルがあるの。あなたは確か、陶磁器の装飾や歴史に詳しかったわよね?」


 二十一歳のクラリッサの記憶が、学院でのミレーヌの優秀な成績を正確に引き出していた。


「あ、はい……! 好きで、本をよく読んでおります」


「なら、興味を持ったお客様に、あの茶器の解説をしてあげてちょうだい。ただ立っているより、役割がある方がずっと楽よ」


 ミレーヌの顔に、サッと明るい色が差した。


「はい……! ありがとうございます、クラリッサ様!」


 ミレーヌが小走りで展示テーブルへと向かうのを見送り、クラリッサは小さく息を吐いた。


 その後も、クラリッサ派と同情派、あるいは反クラリッサ派に分かれて陣営を作ろうとする不穏な空気を、クラリッサは完璧なもてなしと絶妙な会話の誘導で鮮やかにかき混ぜていった。


 ここは王室の茶会。私情や派閥の諍いを持ち込むのは無粋である、という空気を完全に作り上げたのだ。


 やがて、傾きかけた秋の陽光の中、大茶会は無事に散会となった。


 見送りを終え、緊張から解放されたクラリッサが、庭園の裏手で小さく伸びをしようとした時だった。


「……王太子殿下のように、私も真実の愛を選びたいのです」


 木陰から、若い青年の熱っぽい声が聞こえてきた。


 クラリッサは思わず足を止め、気配を殺す。


「親の決めた、顔もろくに知らない令嬢との婚約など、もう我慢ならない。自分の心に正直に生きることこそが、本当の勇気だとは思わないか?」


 話し声の主は、最近社交界に顔を出し始めたばかりの、若い伯爵令息のようだった。相手の令嬢らしき小さな感嘆の声が続く。


(……あー、やっぱり、そうなっちゃうわよね)


 クラリッサは、額に手を当てて天を仰いだ。


 王太子という国で一番身分の高い若者が、公の場で「親の決めた婚約を捨てて真実の愛を選ぶ」と宣言してしまったのだ。法的無効になったとはいえ、その言葉は、同じように政略結婚に不満を持つ若者たちにとって、都合のいい『免罪符』として響いてしまったらしい。


 ジュリアンの独りよがりな言葉が、社交界にじわじわと『社会的余波』をもたらし始めている。


「……後始末、一つじゃ終わらなさそうね」


 クラリッサは、来るべき厄介事の気配に、深く、長く息を吐いた。

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