第32話 今度は、彼女のために決めない
「僕は、その復縁案に反対です」
ジュリアンの声は、わずかに掠れていた。
手には四つ折りの陳述書がある。何度も開閉したのか、紙の端は指の形に潰れていた。
「殿下。ここでは王室の体面を守り、騒動を安全に収束させる案を協議しております」
重臣に言われ、ジュリアンは紙を開いた。最初の行を見失ったように、一度目を伏せる。
「……まだ、僕は全部を分かったとは言えません」
会議室に小さなどよめきが走った。
「ですが、その提案書に、クラリッサが何を望むか一行も書かれていないことは分かります。王室の傷を隠すために彼女を元の役へ戻すなら、僕が夜会でやったことと同じです」
「国を思えばこその案ですぞ」
「僕も、国を理由にしました。自分の望みを通す時だけは古い契約だと言い、困れば今度は国のために戻ってくれと言う。そんな勝手を、彼女に二度も負わせることはできません」
用意した文章を読み上げているだけではなかった。途中で言葉に詰まり、紙へ目を落とし、それでもジュリアンは逃げなかった。
彼はクラリッサへ向き直り、深く頭を下げた。
「僕は――」
言いかけて、唇を噛む。
上着の内側には、王妃から赤字で戻された謝罪文が入っていた。どの文も「僕」から始まっていた手紙だ。
「違う。まず、君のことを言わなければならない」
ジュリアンは息を吸い直した。
「君は八歳から、僕と国のために学んできた。その時間を、僕は大勢の前で笑いものにした。君の名誉も、これからの人生も、僕の恋の飾りのように扱った。……本当に、すまなかった」
言葉は何度か途切れた。けれど、言い訳は一つも続かなかった。
「僕に、許してほしいと言う資格はない。王太子妃へ戻ってほしいとも言わない。君が選ぶ人生から、僕の不始末で奪ったものを返したい」
クラリッサは、すぐには答えられなかった。
胸に残った傷が消えたわけではない。それでも、初めて自分の方を見て謝る声は、確かに届いた。
「謝罪は、受け取ります。許せるかどうかは、まだお約束できません」
「……うん。それでいい」
ベアトリス夫人が、二人の間へ静かな声を差し入れた。
「復縁を拒めば、殿下ご自身への処分は重くなります。王太子としての権限縮小も、長期の実務研修も避けられないでしょう」
ジュリアンは手の中の陳述書を見た。
「『ならば王位を捨てる』と言えば、楽になれる。……今も、そう言いたくなる自分はいます」
王妃の指が、肘掛けの上でわずかに動いた。
「でも、それでは後始末を全部残して逃げるだけです。僕の言葉で起きたことなら、王太子として処分を受け、王太子として直します」
「その言葉は、冬至会議の記録に残ります」
レオナールが告げる。
「あとで重さに気づいても、取り消せませんよ」
「はい」
返事の前に一拍あった。それでも、ジュリアンは頷いた。
レオナールは枢密院の重臣たちを見渡した。
「当事者双方が復縁を望まない以上、この案は白紙です。異論がある方は、本人の意思を無視して成立させる法的根拠をお示しください」
誰も、口を開かなかった。
クラリッサは長く息を吐いた。
目の前にいるのは、立派な大人になりきった青年ではない。紙に頼り、言葉を間違え、それでも自分の責任から目を逸らさなくなった若者だった。
会議が解散へ向かいかけた時、ジュリアンはもう一度手を挙げた。
「母上。調停官殿。ミレーヌとの公式な面談を、許可してください。仮処分の規定どおり、立会いのもとで構いません」
「何を伝えるためですか」
王妃の問いに、ジュリアンは反射的に答えかけた。
「僕の考えを――」
また、止まる。
「……違う。まず、彼女の言葉を聞きたいのです」




