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王太子殿下、その婚約破棄、ご両親には通しましたか?――前世で三人を育てた公爵令嬢は、社交界の恋愛騒動を段取りからやり直します  作者: 他力本願寺


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第31話 一番安全なのは、元に戻すこと

冬至会議を約一ヶ月後に控えた、ある日の午後。


 一週間の謹慎を終え、再び社交季の実務に戻っていたクラリッサは、王宮の奥深くにある重臣たちの会議室へと呼び出された。


 国王の執務室に隣接するその重々しい部屋には、エレノア王妃をはじめ、貴族婚姻・礼法統括のベアトリス夫人、そして数名の枢密院の重鎮たちが顔を揃えていた。王室調停官であるレオナール・ローデンも、少し離れた席に同席している。


 重苦しい沈黙の後、枢密院の重鎮の一人が、ゴホンと咳払いをしてから本題を切り出した。


「本日は、他でもない。冬至会議における、王太子殿下の婚約に関する最終的な着地点について、一つのご提案があってクラリッサ嬢をお呼びした」


 クラリッサは背筋を伸ばし、静かに先を促した。


「単刀直入に申し上げよう。我々枢密院の一部は、クラリッサ嬢とジュリアン殿下の『婚約復活』を提案したいと考えている」


 その言葉に、クラリッサは小さく眉をひそめた。


「……婚約の、復活ですか」


「そうだ。殿下が夜会で放った『真実の愛』というお言葉は、すでに一部の若者たちに悪影響を与え、社会不安を引き起こしている。これを最も角が立たず、これ以上の動揺を生まない形で収束させるにはどうすべきか。……殿下の言葉は一時的な迷いであり、お二人は話し合いの末、元の鞘に収まった。そう発表するのが、王室の威信を保つ上でも最も危険が少ないのだ」


 卓上の提案書には、「王室の威信」「秩序の回復」「外交上の安定」と項目が並んでいた。クラリッサが何を望むかを書く欄だけがない。


 彼女が「お断りします」と口を開きかけた時、横から静かな声が響いた。


「感情論を抜きにして、実務上・制度上の安定だけを考えれば、復縁が最も危険の少ない案なのは事実です」


 発言したのは、ベアトリス夫人だった。


 先日、二人で確認手続きの草案を作り始めたばかりだ。それでもベアトリスは、都合の悪い案を最初から隠そうとはしなかった。


 クラリッサを役割へ押し戻したいのではない。実務家として、復縁案の利点まで卓上へ載せたのだ。


「ベアトリス夫人の言う通りだ」と、重鎮が我が意を得たりと頷く。


 しかし、その重鎮の言葉をピシャリと制したのは、エレノア王妃だった。


「クラリッサ。勘違いしないでちょうだい。王家として、この案をあなたに強制するつもりは一切ありません」


 王妃は、真っ直ぐにクラリッサを見つめた。


「先日も言った通り、あなたにはこの婚約をどうするかを選ぶ権利がある。王家の都合に流される必要はありません。あなたがどうしたいか、あなた自身の意思で選びなさい」


「王妃陛下のお心遣い、感謝いたします」


 クラリッサは一礼し、自分の意思を明確に伝えようとした。私はもう、ジュリアン殿下の隣に立つつもりはないと。


 しかし、彼女が息を吸い込んだ瞬間、重鎮の一人が厄介な事実を付け加えた。


「もちろん、強制はできん。だが……もしこの婚約が白紙となれば、王室は有責の婚約破棄という汚点を残す。揺らいだ国内の秩序と、隣国との結びつきを早急に補強しなければならん」


「隣国との、結びつき……?」


「うむ。そのための代替案として、アメリア王女殿下と隣国王族との『外交婚』が、水面下で検討され始めているのだ」


 ドクン、と。


 クラリッサの心臓が、嫌な音を立てて跳ねた。


 脳裏に鮮明に蘇るのは、王妃の私的茶会で同席した、アメリア王女の顔だ。


『王族として生まれたからには、国のために必要な縁談を受けるのは当然の義務ですわ』


 そう迷いなく言い切った、十八歳の少女の凛とした、しかしあまりにも痛々しい自己犠牲の姿。


 先日の茶会で、カップを持つアメリアの白い指が浮かんだ。


 自分が復縁を断れば、今度は十八歳の少女が「王室のため」という椅子へ座らされる。


(私の問題を片付けるために、あの子が払うの……?)


 クラリッサは、膝の上で両手を固く握りしめた。


 選ぶ権利を与えられても、断った代償を別の少女の人生に載せられれば、それはもう圧力だった。


 クラリッサは思わず、少し離れた席に座るレオナールへ視線を向けた。


 レオナールの手は、議事を止めるための鈴のそばにあった。重鎮の誰かが返事を急かせば、彼は調停官として休会を命じるつもりなのだろう。


 クラリッサと目が合うと、彼は一度だけ頷いた。今はまだ、彼女が息を整える時間を守っている。


(……考えなさい。感情に流されてはいけない。すべてを丸く収める、一番良い方法は――)


 重鎮たちの視線が、クラリッサの返答を急かすように突き刺さる。


 クラリッサが深く息を吸い込み、「……少し、お時間を」と答えようとした、まさにその瞬間だった。


 三度、重いノックが響いた。


 書記官が扉を細く開け、一礼する。


「ジュリアン王太子殿下から、ご自身の婚約審議について陳述の許可を求める書面が届いております」


 王妃は署名を確かめた。


「当事者です。入室を許可します」


 扉が開き、ジュリアンが資料の束を抱えて入ってきた。王妃と重臣へ礼を取り、発言を許されてからクラリッサを見た。


「僕は、その復縁案に反対です」

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