第23話 私が決めたことです
秋の社交季も半ばを過ぎ、王宮の鏡の間では、その中間地点を飾る『中間大晩餐』が盛大に催されていた。
無数の蝋燭がシャンデリアを輝かせ、弦楽の調べが流れる中、王族席には国王とエレノア王妃、そして謹慎中で公の場に出るのを制限されているものの、王太子としての最低限の義務としてジュリアンが着席している。その並びには、ジュリアンの妹であるアメリア王女と、王室調停官レオナール・ローデン公爵の姿もあった。
本日の出席は、王妃と王室調停官が許可し、王族席から離れないことを条件とした例外である。
クラリッサは主催責任者として、進行に気を配りながら下座のテーブルに控えていた。
和やかな歓談の時間が過ぎ、食後の甘味酒が振る舞われ始めた頃だった。
「クラリッサ様。少々、よろしいでしょうか」
王族席の近くに座っていた貴族婚姻・礼法統括のベアトリス夫人が、わざと周囲に聞こえるような通る声で口を開いた。
「最近、あなたの介入によって、若い令嬢や令息たちが家の義務を軽んじているという声が上がっております。特有財産の権利を過剰に主張したり、婚約の延期を言い出したり、果ては身分違いの駆け落ち未遂まで……」
ベアトリス夫人の鋭い視線が、クラリッサを射抜く。
「あなたが甘い顔をして耳を貸し、彼らの我儘を助長するから、彼らは貴族としての秩序と役割を忘れるのです。主催責任者としての権限を、いささか越脱しているのではなくて?」
公の場での明確な批判だった。
ベアトリスの言葉には、彼女なりの「秩序を守る」という強い信念がある。だが、クラリッサの中の前世のおばちゃん魂が、売り言葉に買い言葉で激しく反論しようと頭をもたげた。
(私が唆した、ですって? 違うわ、あの子たちはただ……!)
立ち上がり、大演説をぶってやろうとクラリッサが扇を握りしめた、その瞬間だった。
「違います、ベアトリス夫人!」
広間の一角から、凛とした声が上がった。
立ち上がったのは、先日、北部の伯爵との年の差婚について条件交渉をまとめたセリア嬢だった。
「私は、クラリッサ様に唆されたわけでも、強要されたわけでもありません! 自分の不安を整理し、自分から条件を提示して、納得した上で伯爵様との結婚を選んだのです。家の義務を軽んじてなどおりません!」
セリアの勇気ある発言に続くように、別のテーブルからも声が上がった。
「私だってそうですわ!」
『白い結婚』の言葉の定義ですれ違っていた、エマ・ランドル子爵夫人だ。彼女は隣に座る夫の腕をしっかりと取り、胸を張った。
「私たちは夫婦でしっかりと話し合い、お互いの誤解を解きました。クラリッサ様は、そのきっかけをくださっただけです。自分たちの結婚の形は、自分たちで決めました!」
さらに、別のテーブルからも一人の令嬢が進み出た。博物学や薬草研究を愛する、ロザリー・ヴァレル伯爵令嬢だ。
「私も……私も、今度グレン辺境伯との婚約の顔合わせがございます。その時、結婚後も自分の研究を続けたいという希望を、自分の言葉で伝えてみようと考えております」
ロザリーは、緊張で声を震わせながらも、はっきりとベアトリス夫人を見据えた。
「それは、家の義務を捨てるということではありません。家のためと、私個人の人生を両立させる方法を、相手の方と一緒に探すためです!」
声が上がるたび、クラリッサの扇から力が抜けていった。
どの言葉も、彼女が教えた台詞ではない。だから今は、口を挟まずに聞いた。
「……自分たちで決めた、ですか」
ベアトリス夫人は、予想外の反論に眉をひそめた。
しかし、その美しい自立の連鎖に、冷や水を浴びせるような声が響いた。
「ですが、王太子殿下も『真実の愛』をご自身で選ばれたではありませんか!」
立ち上がったのは、見知らぬ若い伯爵令息だった。彼はジュリアンの方を見上げ、熱に浮かされたように叫んだ。
「殿下が、古い因習を捨てて見本を示されたのです! ならば我々が、愛のない婚約を破棄して個人の自由を求めたとて、何も間違っては――」
「お待ちください」
その言葉を遮ったのは、クラリッサだった。
彼女が静かに合図をすると、控えていた文官が封をした書類を、国王、王妃、ジュリアンだけに配った。ほかの客席からは表紙しか見えない。
「ジュリアン殿下。そちらは、ここ数週間の間に社交季運営局へ寄せられた報告を、王族確認用にまとめた写しです。当事者名と私生活に関わる記述は削り、原本は法務局で封印保管しています」
クラリッサの声に、ジュリアンは肩を震わせ、書類に目を落とした。
「殿下の『真実の愛』というお言葉に影響を受け、相手の意思や家の契約を無視して一方的な破談を申し入れた件数。また、その言葉を免罪符に、駆け落ちを装って特有財産を横領しようとした事件の概要です」
「な……っ」
ジュリアンは、血の気を失った顔で書類をめくった。
「殿下。あなたが『勇気』だと信じて放った言葉は、彼らのように自立するための力にはなりませんでした。ただ、他人の無責任な決断と、欲望を正当化するための便利な『口実』として使われているのです」
ジュリアンは一枚目を戻し、もう一度読み直した。二枚目へ進んでも、反論は出てこない。やがて書類の端が、握った指の中で潰れた。
その光景を、王族席のアメリア王女が瞬きもせずに見つめていた。
その夜、ジュリアンは部屋へ持ち帰った報告書の余白に、ミレーヌへの謝罪を書き始めた。
『僕は君を愛していたから――』
そこまで書いて、手が止まる。どの文も「僕」から始まり、ミレーヌが何を怖がったかは一行もなかった。
ジュリアンは便箋を破らず、王妃へ提出した。翌朝、赤い字で一言だけ返ってきた。
『この手紙の中で、ミレーヌ嬢はどこにいますか』
ジュリアンは、その問いへまだ答えられなかった。
*
大晩餐の喧騒の中、レオナールは下座のテーブルへ目を向けていた。
ベアトリス夫人の批判に、クラリッサの扇がきしんだ。それでも彼女は立たなかった。代わりにセリアたちが自分の言葉で立ち、クラリッサは驚いたように彼らを見上げ、やがて笑った。
その笑顔へ、視線が勝手に戻る。
彼女が責められれば立ち上がりたくなり、彼女が一人で立てば隣へ行きたくなる。調停官としては、ひどく扱いにくい衝動だった。
「……厄介だ」
レオナールはワイングラスを置いた。
名前をつけずとも、それがもう評価でも興味でもないことだけは、分かってしまった。




