第6話
レオンハルトの唇が、歪に吊り上げられた。
それは獲物を追い詰めた獣の笑みではなく、不意に心臓を射抜かれた者の、戦慄と歓喜が混ざり合った笑いだった。
「面白い。これほどまでに可愛くない女は、人生で初めてだ」
彼は首筋に伸ばしていた手を下ろし、代わりにリゼットの腰を引き寄せた。
ただし、その力は愛を囁くためではなく、逃げ場を封じるための拘束だった。
「お前を殺して書類を奪うのが一番手っ取り早いと思ったが、考えを変えた」
リゼットを組み伏せるように覗き込み、彼は低く囁く。
「その知略、その度胸。私の隣で飼い殺すには惜しい。ならばいっそ、私の共犯者として地獄まで付き合ってもらおう。お前が望むのは金か? それとも、この国を裏から操る支配権か?」
リゼットは彼に抱き寄せられたまま、冷ややかな瞳でその言葉を吟味した。
「どちらも興味ありませんわ。私が欲しいのは、退屈しない日常だけ」
彼女はレオンハルトの胸元に指を這わせ、その心臓の鼓動を確かめるように強く押した。
「あなたが私を愛するのではなく、私があなたを飼い慣らす。私の指示で闇市場を動かし、私の描く筋書き通りに踊ってくださるのなら、その裏帳簿は一生日の目を見ることはありません」
愛の告白などよりも、よほど重く、呪いのような契約の提案。
レオンハルトの瞳に宿ったのは、かつてのどの人生でも見せたことのない、暗く濁った執着の炎だった。
彼はリゼットの異常性を理解し、それを受け入れた上で、さらに深い泥沼へと足を踏み入れることを決意した。
溺愛という甘い牢獄ではなく、共依存という逃げ場のない毒。
物語の歯車は、もはや修復不可能なほどに狂い、新たな形状へと歪み始めていた。
◇ ◇ ◇
レオンハルトはバルコニーの片隅に活けられていた一輪の薔薇を折り取り、リゼットに差し出した。
夜の闇に溶け込むような、深い紅色の薔薇だ。
「これは愛の誓いではない。貴様の言う退屈しない日常を保証するための、呪いの契約だ」
リゼットは無造作にその薔薇を受け取った。
鋭い棘が指先に触れるが、彼女は眉一つ動かさない。
「いいでしょう。私の完璧な共犯者さん。せいぜい、私を飽きさせないでちょうだいね」
彼女が薔薇を弄ぶ様子を、レオンハルトは飢えた獣のような目で見つめていた。
本来のシナリオであれば、彼はこの後、リゼットを抱き寄せ、永遠の愛を誓うはずだった。
けれど今、二人の間に流れているのは、互いの急所を握り合い、いつ裏切るか、いつ食らい尽くすかという、ヒリヒリとした緊張感だけだ。
恋愛脳システムが提示していたピンク色の幻想は、完全に霧散した。
リゼットは受け取った薔薇の棘を親指でなぞり、そこに滲んだ一滴の血を眺めて微笑む。
甘い溺愛よりも、この毒々しい共依存の方が、今の彼女にはずっと心地よかった。
バルコニーを後にする二人の背中には、祝福の鐘ではなく、崩壊へと向かう足音が重なっていた。
泥沼の舞台に、また一人、最高の役者が揃ったのだ。











