第5話
月明かりがバルコニーの欄干を白く照らしている。
広間から漏れ聞こえる音楽と喧騒を背に、リゼットは一人、夜風を吸い込んだ。
退屈だ、と彼女は心の中で呟く。
この夜会の主催者が誰で、どんな目的で開かれたのかは知っている。
そして、この後に誰が私に近づいてくるのかも。
不意に、背後から重厚な足音が聞こえた。
上質な革靴が石床を叩く、計算されたかのような冷徹な響き。
「夜風は体に障る。こんなところで一人、何を考えている?」
低い、磁器のような滑らかな声。
リゼットが振り返ると、そこには漆黒の礼装に身を包んだレオンハルト公爵が立っていた。
社交界では氷の公爵と恐れられ、冷酷無比な政治家として知られる男。
けれど、その冷たい瞳の奥には、今まさにターゲットを見定めた捕食者のような熱が灯っている。
リゼットは内心で深く、深いため息をついた。
四回目の人生では、彼の孤独に寄り添い、共に滅びる道を選んだ。
十回目の人生では、彼に無理やり連れ去られて軟禁された。
要するに、彼は傷ついた女性を拾い上げて、自分だけの檻に閉じ込めるのが好きなタイプなのだ。
目の前のレオンハルトが、自分の上着を脱いでリゼットの肩にかけようと手を伸ばす。
その瞬間、視界に忌々しいウィンドウが割り込んだ。
『イベント:孤独な公爵との月下の一時』
『選択肢A:赤らめて彼の手を拒まず、その胸に顔を埋める。』
『選択肢B:拒絶を示し、冷たくあしらって彼の独占欲に火をつける。』
リゼットの瞳から、完全に光が消える。
「どちらも、もう十二回目なのよ」
彼女は肩に触れようとしたレオンハルトの手を、扇子でぴしゃりと打った。
◇ ◇ ◇
打たれた手の甲を見つめ、レオンハルトの眉がぴくりと跳ねた。
この男にとって、拒絶されることは想定内であっても、このように無造作に、まるでハエを払うかのように扱われることは初めてなのだろう。
「何をする」と彼が低く、地這うような声で問う。
リゼットは扇子を閉じ、ドレスの隠しポケットから折り畳まれた一枚の羊皮紙を取り出した。
それを、驚くほど無造作に彼の胸元に押し付ける。
「殿下、無駄な芝居はお互いに時間の浪費ですわ」
彼女の言葉に、レオンハルトの瞳に宿っていた偽物の熱が凍りつく。
彼が受け取った紙を広げると、そこには彼が隠れ蓑にしている商会を通じた、魔石の密輸出入の正確な日付と金額が羅列されていた。
さらには、彼が賄賂を贈っている王宮官吏の名まで。
レオンハルトの全身から、それまでの甘い誘惑の空気が霧散し、本物の、身を削るような殺気が溢れ出した。
「どこでこれを手に入れた」
彼は一歩踏み出し、リゼットの細い首に手をかけようとする。
けれどリゼットは、その殺気を心地よい春風でも浴びるかのように受け流し、至近距離で彼を見据えた。
「どこでもよろしいではありませんか。大事なのは、この写しが私の家の金庫にあと三通、そして万が一のことがあれば国王陛下の手元に届くよう手配済みだということです」
レオンハルトの手が、彼女の喉元数センチで止まる。
リゼットは愉しげに目を細めた。
「傷ついた私を拾って愛でてくださるおつもりでしょうけれど、残念ながら今の私は、あなたの愛よりもあなたの事業の純利益に興味がありますの」
ロマンチックな夜の空気は、一瞬にして冷徹な商談の場へと変貌した。
リゼットは、彼が選ばせようとした恋愛の二択を、文字通り粉々に踏み潰したのだ。











