第2話
「お父様、そんなに怖い顔をなさらないで。これは我が家にとって、素晴らしい好機なのですから」
静まり返った広間に、リゼットの声が凛と響く。
「何を言っている、リゼット。廃嫡を言い渡され、泥を塗られた自覚があるのか!」
公爵の怒声にも、リゼットは眉一つ動かさない。
「泥など。私はただ、席を空けるだけですわ。マリアさんは実に有能です。王太子殿下の心をここまで完璧に掴むなど、私にはない力をお持ちだわ。ならば、彼女を私の妹にしてしまえばよろしいのです」
ざわめきが、波のように会場を飲み込んでいく。抱き合っていたアルヴィンとマリアさえも、硬直していた。
「リゼット、貴様……何を企んでいる」
アルヴィンの声には困惑が混じる。これは彼が想定していたシナリオにはなかった。
「簡単なことですわ、殿下。マリアさんがヴァレリア公爵家の養女になれば、身分の問題は消え去ります。殿下は真実の愛を貫け、お父様は未来の王妃を娘にできる。全員が幸福になれる案だと思いませんか?」
リゼットはアルヴィンを見据えた。その瞳には、未練のかけらすら残っていない。
「ただし、契約には対価が必要です。殿下。私が円満に身を引き、この縁談を整える代わりに、王家が所有するセラフィム魔石鉱山の採掘権を、向こう五十年間私個人に譲渡してくださいませ。……私の傷ついた心への、せめてもの手向けとして」
広間は、言葉を失った静寂に包まれた。これはもはや恋愛劇ではない。冷徹な利権交渉だった。
『エラー:ルートを大きく逸脱。因果律を再計算中。』
脳内の警告が赤く点滅するのを、リゼットは愉快そうに眺める。
公爵の瞳から怒りが消え、代わりに強欲な商人の光が宿り始めたのを、彼女は見逃さなかった。
◇ ◇ ◇
公爵が喉を鳴らした。
彼にとって、愛着の薄い娘の婚約より、国の経済を左右する魔石鉱山の利権の方が遥かに魅力的だった。
「面白い……リゼット、お前の言う通りだ。マリア嬢、今日からお前は私の娘、ヴァレリア公爵家の令嬢だ」
公爵の宣言に、マリアの顔から血の気が引いていく。
彼女が望んでいたのは、リゼットを追い出し、自分が唯一の勝者として君臨することだった。
しかし、提示されたのは、自分を憎んでいるはずの「義姉」と同じ屋根の下で暮らすという、逃げ場のない監獄だった。
「そんな……私は……」
「マリア、嬉しいだろう? これで僕たちは正式に結ばれるんだ」
アルヴィンは、事態が自分に都合よく運んでいると勘違いし、マリアの震える手を強く握った。
彼は気づいていない。
この瞬間、自分たちがリゼットの掌の上で、巨大な愛憎劇の駒に成り下がったことに。
『致命的なエラー:シナリオの修復が不可能です。システムをシャットダウンします。』
脳内の文字が火花を散らすように激しく明滅し、やがてぷつりと消えていく。
静まり返った広間の中心で、リゼットは最高に優雅な動作でカーテシーを決めた。
「不束な妹ですが、どうぞよろしくお願いいたしますわ、殿下。お父様も、新しい娘との生活を存分に楽しんでくださいませ」
彼女の微笑みは、聖母のように慈悲深く、そして奈落のように暗かった。
十一回の退屈なテンプレートより、一度の極上の泥沼を。
リゼット・ヴァレリアの十二回目の人生は、こうして最高に「アリ」な形で幕を開けた。











