第1話
シャンデリアの光が、ひび割れた鏡のように目に刺さる。
広間に響き渡る王太子アルヴィンの声は、もはや聞き飽きた安っぽい芝居の台詞にしか聞こえなかった。
「リゼット・ヴァレリア、お前との婚約を破棄する!」
その横で、男爵令嬢マリアがわざとらしく肩を震わせている。
リゼットは扇子を閉じ、冷めた瞳でその光景を眺めた。
これで十二回目だ。
一度目は悲嘆に暮れて処刑された。
二度目は怒りに任せて復讐し、虚しさに包まれて死んだ。
三度目は別の男と愛を育もうとしたが、結局は嫉妬とすれ違いの果てに毒を飲まされた。
王道、ざまあ、溺愛、すれ違い。
恋愛小説のテンプレートにある展開はすべて、履修済みだった。
リゼットの頭の中に、ノイズのような音と共に無機質な文字が浮かび上がる。
『イベント:婚約破棄の宣告』
『選択肢A:泣いて許しを乞う。』
『選択肢B:証拠を突きつけて断罪する。』
脳内に響く声は、彼女に無難な二択を迫る。
けれどリゼットは、そのどちらも選ぶつもりはなかった。
あまりに退屈で、あまりに予定調和。
そんな人生に、彼女は心の底から飽き飽きしていた。
アルヴィンがさらに言葉を重ねる。
「聞こえているのか! 身に覚えのない罪だとでも言うつもりか!」
リゼットはゆっくりと口角を上げた。
周囲の貴族たちは、彼女が絶望のあまり狂ったのかと色めき立つ。
「いいえ、殿下。身に覚えなど、ありすぎて数え切れませんわ」
彼女の口から漏れたのは、謝罪でも反論でもなかった。
◇ ◇ ◇
アルヴィンの顔が怒りで赤く染まっていく。
その滑稽な様子を眺めている間にも、視界の端ではシステムの文字が明滅を繰り返していた。
選択肢Aを選べば、私は今すぐ床に膝をつき、瞳に涙を溜めて、愛を乞わなければならない。
そうすればアルヴィンの自尊心は満たされ、私は哀れな追放令嬢として、物語の舞台から退場することになるだろう。
あるいは選択肢Bだ。
扇子の裏に隠し持ったマリアの懐柔工作の証拠を突きつけ、この場にいる全員の前で王太子の愚かさを糾弾する。
周囲は私の賢明さを称賛し、どこからともなく現れた別の高位貴族が、傷ついた私を優しく抱きしめるに違いない。
どちらも十一回の人生で飽きるほど見てきた光景だった。
シナリオ通りに動かされるのは、もう真っ平らだった。
リゼットは脳内のウィンドウを、心の内で無造作に払いのける。
『エラー:選択肢が未入力です。』
警告音が鳴り響くが、そんなものは知ったことではない。
彼女は一歩、また一歩と、抱き合うアルヴィンとマリアの方へ歩み寄った。
マリアが怯えたふりをして、アルヴィンの胸に顔を埋める。
「リゼット、それ以上マリアに近づくな! 見苦しいぞ!」
アルヴィンの怒号が飛ぶが、リゼットは足を止めない。
彼女が向けたのは、刺すような殺意でも、縋るような懇願でもなかった。
それは、ひどく純粋で、ひどく不気味な、観察者の笑みだった。
「殿下、そんなに怖い顔をなさらないで。私、ようやく理解しましたの」
静まり返った広間に、彼女の鈴を転がすような声が響く。
「愛なんて、季節が変われば枯れてしまう花のようなもの。そんな不確かなものに執着していた自分が、急に馬鹿らしくなりましたわ」
マリアが怪訝そうに顔を上げた。
アルヴィンも、予定していた反論を封じられたかのように口を噤む。
リゼットは視線を二人から外し、壁際に控えている実の父親、ヴァレリア公爵へと向けた。
公爵は、娘の醜態が家の名誉に傷をつけることを恐れ、忌々しそうに眉を寄せている。
リゼットはその父親の強欲さを、誰よりも熟知していた。
「お父様、今から私の言うことを、よく聞いてくださいませ」
物語の歯車が、本来の溝を外れて、嫌な音を立てて回り始めた。











