第11話
リゼットの私室に、深夜にもかかわらず招かれざる客が訪れた。
レオンハルト公爵は、年代物のワインボトルを一本、無造作にテーブルへと置いた。
「王太子をあれほど鮮やかに飼い殺すとは。君の冷酷さには、改めて敬服するよ、リゼット」
彼の言葉に、リゼットは書類から目を上げることなく答えた。
「褒め言葉として受け取っておくわ、レオンハルト。それで? 深夜にわざわざ足を運んだのは、その安っぽい賛辞を届けるためだけ?」
レオンハルトは皮肉な笑みを浮かべ、手慣れた手つきでグラスに深紅の液体を注いだ。
「まさか。君が国の心臓部、魔石の利権を買い叩いた今、この国の形は変わった。アルヴィンはもう飾り物に過ぎない。ならば、次にすべきことは一つだろう」
彼はグラスをリゼットの方へと滑らせ、椅子に深く腰掛けた。
「私と結婚しろ、リゼット。ヴァレリア家とレオンハルト家が手を結べば、この国を南北で二分割して完全に支配できる。愛だの情だのという不確かなものではなく、絶対的な権力を分け合おうという提案だ」
それは、王道恋愛小説のヒーローが口にする求婚とは、対極にある勧誘だった。
リゼットは、差し出されたワイングラスの揺れる水面を見つめる。
十一回の人生で、何度も繰り返された求婚というイベント。
けれど、目の前の男が提示したのは、花束ではなく、血の匂いのする覇権の契約書だった。
視界の端で、古びた機械が軋むような音を立ててシステムが起動した。
『イベント:氷の公爵からの最終通告』
『選択肢A:手を取り、最強の権力者夫婦として彼に溺愛される。』
『選択肢B:今はまだその時ではないと拒絶し、彼の独占欲を極限まで引き出す。』
リゼットは沸き上がる吐き気を飲み下した。
どちらを選んでも、結局は男の腕の中に収まる結末しか用意されていない。
溺愛も、執着も、一歩間違えればただの監禁であり、飼育だ。
十一回の人生で、私は誰かの持ち物になることの無意味さを十分に学んだ。
レオンハルトはリゼットの沈黙を肯定と捉えたのか、その整った顔に傲慢な笑みを深める。
「悪い話ではないはずだ。君の知略と私の武力があれば、王家など恐るるに足りない」
「ええ、確かにそうね。けれど、あなたは一つ勘違いをしているわ」
リゼットはグラスの中の深紅の液体を、一気に飲み干した。
その瞳には、彼が期待したような打算も、ましてや情愛の色もなかった。
「私は、あなたの隣で守られたいわけでも、あなたを挑発して追いかけてほしいわけでもないの。私が欲しいのは、対等な関係ではなく、互いの喉元に常に刃を突き立て合っているような、完璧な抑止力よ」
リゼットは空になったグラスを置き、ゆっくりと彼に向き直った。
「結婚しましょう、レオンハルト。ただし、それは愛の誓いではなく、一方が裏切れば双方が確実に死ぬための、心中契約でなくてはならないわ」
レオンハルトは一瞬、呆気に取られたように目を見開いた。
しかし、次の瞬間には、喉の奥から絞り出すような低い笑い声が室内に響き渡った。
「心中契約、か。愛を誓い合うよりも、よほど信頼に値する言葉だ」
彼は自らの懐から、一つの小さな銀の鍵を取り出し、それをリゼットの前に置いた。
「私の領地に隠された私兵の出撃命令書と、王家を転覆させるに足る貴族たちの汚職リストの保管場所だ。君がこれを公開すれば、私は一晩で逆賊として処刑されるだろう」
リゼットもまた、微笑みながら自らの指から一つの指輪を外し、彼の手に握らせた。
「その指輪の中には、ヴァレリア家が運営する魔石流通網を、遠隔で暴走させるための術式が刻まれています。私が裏切ったと思えば、いつでもこの国のエネルギーインフラを焼き切ってちょうだい。私を無一文の罪人に落とす権利を、あなたに預けるわ」
互いの急所を、最も信頼できない相手に預け合う。
愛しているから結ばれるのではない。
相手を殺す権利を共有することでしか、自分たちの繋がりを証明できない。
そんな歪んだ共犯関係が成立した瞬間、レオンハルトの瞳に宿ったのは、どの人生でも見たことのない、狂おしいほどの敬愛だった。
彼はリゼットの手を取り、その甲に深く、刻印を残すように唇を寄せた。
「いいだろう。君が私の首筋に常に刃を立てているという安心感は、どんな溺愛よりも私を昂らせる。最高の共犯者だ、リゼット」
システムがエラーを吐き出し、視界から完全に消滅する。
恋愛ルートという名のレールは、二人の狂気によって物理的に破壊され、その後には真っ暗な、けれど自由な地獄が広がっていた。










