第2話「余り物同士が協力したら、レベル99の四天王が即死した。ヌルゲーです」
ミサキと出会った、翌朝。
「おはようございます」
「ヒエッ」
目を開けると、枕元に髪の化け物が立っていた。
灰色の長い前髪が、顔を隙間なく覆っている。帽子がないだけで、昨日会った気だるげな美人が、ずいぶん恨みのありそうな何かに変わっていた。
「どうしたんですか? 呪われたような声を出して」
「たぶん寿命は縮んだよ!」
上体を起こす。ここは昨夜たどり着いた街道沿いの宿だ。部屋には寝台が二つ。俺が一部屋分の料金しか払いたくなかったので、当然のようにミサキもいる。
「それにしても、昨夜はお楽しみでしたね」
「誤解を生む言い方はやめて!」
「二人で狼を崖から落とした仲なのに」
ミサキは欠伸を一つして、前髪を横へ流した。
◇
「で、昨日の呪術。あれは何だったの?」
宿の一階で朝食を取りながら、俺は聞いた。
堅いパンと豆のスープを前に、ミサキは淡々と答える。
「《五刻殺》です」
「ごこくさつ」
「対象のレベルが五の倍数なら、問答無用で殺します」
「そんな大雑把な即死魔法ある?」
「呪術です。条件さえ満たせば、格上でも魔法に強くても関係ありません。外れたら何も起きません」
「確率じゃなかったのか」
「昨日も言いました」
「走りながら聞いた説明は頭に入らないよ」
最初に倒れた狼は、たまたまレベルが五の倍数だった。残りの二匹は違った。それだけらしい。
「三刻殺とか二刻殺はないの?」
「ありません。それはチートすぎます」
「五刻殺も十分そうだと思うけど」
「もっと常識でものを考えたらどうですか? そんなんじゃ私を養っていけませんよ」
「養う話、まだ続いてたんだ」
ミサキは俺の皿からパンを一つ取った。
「でも、敵のレベルってそんな簡単にはわからないよね。自分が上がったときはわかるけど、昨日の狼がいくつだったかなんて見えないし」
「そこなんですよ」
「そこなんだ」
「なので再現性がありません。五刻殺が成功するかどうかは、撃つまでわかりません」
「それで冷遇されてるのか」
「失礼ですね。そこだけではありません」
「まだあるの?」
「背中を痒くする呪術も、相手が北を向いていないと効きません」
「そっちはどうでもいいなあ」
「痒いのに手が届かないと、かなりつらいですよ」
真顔で反論された。
「セロさんの歌はどうなんです?」
「俺の歌には、聞いてる間だけ効くやつと、一度かかったら残るやつがある」
昨日、狼の足を遅くした歌と、逆に速くした歌は前者だ。歌い始めればすぐに効く代わりに、声が聞こえなくなるか、俺が歌を止めれば効果も消える。
「それで何度も追いつかれたんですね」
「思い出させないで」
「残る方は?」
「時間がかかる。たとえば、敵のレベルを一つ上げるのに三十秒」
ミサキの手が止まった。
「レベルを、上げる?」
「敵のね。一度上がったら、歌を止めても下がらない。役に立ったことは一度もないけど」
「セロさん」
「何?」
「たとえば、相手のレベルが十四だったとします」
「うん」
「セロさんが三十秒歌う」
「十五になる」
「私が殺す」
「……あれ?」
十四なら、一つ上げて十五。
十七なら、三つ上げて二十。九十秒かかるが、《五刻殺》の条件には届く。
敵を強くするだけだった歌が、ミサキの呪術に必要な条件を作れる。
「でも、最初のレベルがわかりません」
「そこなんだよなあ」
「私たち、夫婦呪殺師になれるかもしれませんよ」
なりたくねえ。
「せめて普通に仲間とかでよくない?」
「私は養われる側なので」
「普通の仲間より負担が増えてる!」
それでも、胸の奥が少しだけ騒いだ。
敵の役にしか立たない俺の歌と、いつ役に立つかわからないミサキの呪術。
二つとも使いづらいままだ。なのに並べてみると、今までなかった道が一本だけ見えた気がした。
◇
「私の髪、くさくないですか。嗅いでください」
部屋へ戻るなり、ミサキが灰色の髪を一房、俺の鼻先へ差し出した。
「最後に風呂へ入ったのは?」
「昨日は入ってません」
「それくらいなら普通じゃない?」
「一昨日も」
「……」
「その前も」
「入って!」
「もちろん洗ってくれるんですよね」
「洗わないよ!?」
「甲斐性がないですね」
「甲斐性で一緒に風呂へ入れると思うな!」
結局、ミサキは一人で宿の湯殿へ行った。
そしてなぜか、髪を乾かす役だけは俺が引き受けることになった。
窓辺の椅子へ座ったミサキの髪を、乾いた布で挟んで水気を取っていく。濡れた灰色は少し色が濃くなり、細い肩の向こうへまっすぐ落ちていた。
乾くにつれて、髪はふわりと軽さを取り戻していく。帽子も前髪もない顔は昨日より無防備で、眠そうな目をしていても、整えればちゃんと美人だった。
黙っていれば確実にかわいいのに、あらゆる意味で終わっている。
「そういえば、着替えは?」
「ありません」
「荷物は?」
「これだけです」
ミサキは、小さな呪術人形とカードの入った鞄を指した。
「それで、行くところもないって言ってたよね」
「追い出されたので」
手が止まった。
「……何したの?」
「パーティの路銀を賭けて、すりました」
「それは追い出されるよ!」
「勝てると思ったんですけどね」
「結果がすべてだよ!」
「厳しい世界です」
「君が言うな!」
前のパーティを追い出されたのも、納得しかない。
――俺も、似たようなものか。
理由はまるで違う。それでも、行き先をなくした者同士なのは同じだった。
ミサキは俺が黙ったことに気づいたはずだ。けれど、慰めも質問もしなかった。
「もう少し右です」
「はいはい」
ただ当然のように、次に乾かしてほしい場所を指で示した。
それが少しだけ、ありがたかった。
◇
ミサキの着替えと日用品を買うため、昼前に宿を出た。
「先に言っておくけど、金は俺が持つからね」
「信用がないですね」
「出会ってから信用を失う話しか聞いてないよ」
「でも、セロさんが支払うなら同じでは?」
「賭場を経由するかどうかが決定的に違う」
ミサキと歩いていると、妙に調子が狂う。
怖い呪術師で、生活力がなくて、距離感がおかしい。なのに、一人で歩いていた昨日の朝よりは、ずっと気が楽だった。
そのとき、街の外から鐘が鳴った。
一度。二度。間を置かず、三度。
通りを歩いていた人々の顔色が変わる。
「魔物が来たぞ!」
「誰か助けてくれ!」
門の方から、土煙を上げて男が走ってきた。助けを探して通りを見回し、その目が俺の背負ったリュートで止まる。
「あっ、あの人!」
男が俺を指さした。
「勇者と一緒にいたお方だ!」
胸の奥を、細い針で刺されたような気がした。
ついこの間までなら、間違いではなかった。
今は、違う。
「お願いします! 我々をお救いください!」
違うんだ。俺はもう、勇者の仲間なんかじゃ――
「セロさん」
言いかけた隣で、ミサキが鞄へ手を入れた。
取り出したのは、片手に収まる小さな呪術人形。
「殺っちゃいますか」
見上げたその目は、妙に熱を帯びて見えた。
◇
鐘の音を追って、俺たちは人波に逆らいながら街の門へ走った。
逃げてくる人々と肩がぶつかる。そのたびに足が鈍る俺とは違い、ミサキは小さな呪術人形を握ったまま、迷わず半歩先を進んでいた。
街の門が、轟音とともに内側へ倒れた。
土煙の向こうから、衛兵たちがまとめて転がってくる。
「下がれ! そいつに近づくな!」
誰かが叫ぶが、遅かった。
門をくぐった巨体が、腕を横へ振る。ただそれだけで空気が弾け、立ち上がりかけた衛兵たちが再び吹き飛ばされた。
石壁へ叩きつけられた衛兵が、苦しげに呻く。生きてはいる。だが、もう立ち上がれそうにはなかった。
人の倍はある背丈。岩のように盛り上がった筋肉。額から伸びる二本の角に、背中を覆う黒い翼。
絵に描いたような悪魔だった。
「雑魚どもが! 束になっても、この俺様には傷一つつけられん!」
悪魔は胸を反らし、わざわざ通り中へ聞かせるように吠えた。
「俺様は魔王軍四天王が一人! レベル九十九だぞ!」
「……九十九」
思わず繰り返す。
隣で、ミサキが小さな呪術人形を握った。
「九十九ですね」
俺たちは顔を見合わせた。
敵のレベルを一つ上げるには、三十秒、歌を聞かせ続ければいい。
たった一つ。
あと一つだけ上げれば、百になる。
ミサキの目に宿っていた熱が、すっと細く研ぎ澄まされた。
「ヌルゲーです」
ミサキは呪術人形を顔の横へ持ち上げ、わざわざ角度を整えた。
「その構え、必要?」
「呪術師なので、雰囲気は大事です」
俺は背中のリュートを下ろした。
「なんだ、貴様?」
答える代わりに弦を鳴らし、そのまま歌い始める。
低く重い旋律が、壊れた門の前へ広がった。
悪魔の巨体を赤い光が包む。太い腕がさらに膨れ、爪が石畳へ食い込んだ。
「なんだ、この歌は。力が……力がみなぎってくるぞ!」
効いている。
俺は旋律を切らさず、歌詞へ混ぜて告げた。
「これはあなたの、レベルを上げる歌――あと二十五秒で、一つ上がる♪」
「なっ……!」
「敵を強くしているぞ!」
「勇者様を裏切ったのか!?」
住民たちが悲鳴を上げる。
弁解したくても、今は歌を止められない。
悪魔は自分の両手を見下ろし、やがて腹を揺らして笑い出した。
「ふはははは! 良い心がけだ、吟遊詩人!」
俺は敵を強くしている。
嘘ではない。
「レベル百になった褒美に、貴様を殺すのは最後にしてやる!」
うん。話が早くて助かる。
悪魔が力に酔っている間にも、曲は進む。
ミサキは人形を胸の前に構えたまま、平坦な声で告げた。
「あと十五秒です」
悪魔の口角が上がる。
「十秒」
赤い光が強くなり、地面に細い亀裂が走った。
「五秒」
衛兵たちは青ざめている。悪魔だけが笑っている。
ミサキの声は、どこまでも静かだった。
「四」
その目だけが、熱を帯びている。
「三」
悪魔にとっては、レベル百までのカウント。
「二」
俺たちにとっては。
「一」
死ぬまでのカウントだ。
最後の一音を弾き切った。
悪魔の身体から、今までとは比べものにならない圧が弾ける。赤い光が空へ立ち昇り、足元の石畳が低く震えた。
「素晴らしい! 本当にレベルが上がったぞ!」
レベル九十九から、百へ。
五の倍数。
ミサキが人形を悪魔へ向ける。
白目も、虹彩も、瞳孔も消えた。両目が、光を吸い込むような真っ黒に染まる。
「《五刻殺》」
「これで俺様は魔王にだって――ごふっ」
悪魔の喉から、ごふっ、と濁った音が漏れた。
口から血が溢れる。目が白く裏返り、巨体が糸を切られたように崩れ落ちた。
赤い光が消える。
動かない。
誰も声を出さなかった。
衛兵も、住民も、俺も。
あれほどの化け物が、たった一言で死んだことを理解するまで、少し時間が必要だった。
「本当に殺せた」
理屈ではわかっていた。
それでも、自分の歌が作ったレベル百を見下ろすと、胸の奥が震えた。
敵を強くするだけだった歌。
それが初めて、誰かに必要とされた。
「ね? 言った通りでしょう?」
倒れた悪魔のそばから、ミサキがこちらへ歩いてくる。
その進路にいた衛兵と住民が、示し合わせたように左右へ退いた。誰一人、声をかけない。片手に小さな呪術人形を提げた女を、怯えと畏れの入り混じった目で見つめている。
人波が割れた真ん中を、ミサキだけが普段と変わらない足取りで進んでくる。
「セロさんとなら、魔王だって殺せるかもしれませんよ」
その顔を見て、息をのんだ。
ミサキの黒い目は、もう元の暗い色へ戻っていた。
けれど、いつもの眠そうな無表情ではない。
頬が赤い。わずかに息を弾ませ、倒れた悪魔と俺を交互に見つめている。口元には、隠しきれない笑みが浮かんでいた。
「こんなに気持ちよく殺せたの、初めてです」
「言い方が怖いよ」
「だって、今までは決まっても、たまたまでした」
ミサキが一歩、俺へ近づく。
「でも、セロさんとなら狙って殺せるんです」
もう一歩。
「わかりますか? この違いが。この快感が」
とんでもない迫力だった。
思わず、こくこくと頷いてしまう。
ミサキは両手を自分の頬へ当てた。熱を確かめるように指を滑らせ、俺が見たことのない顔で笑った。
「わかってくれるんですね。うれしい……」
思えば、俺はここで逃げた方が良かったのかもしれない。
でも、俺はそうしなかった。
そうしなかったんだ。
だって、その時のミサキが、
可愛いと思ってしまったから。
「これからもよろしく、お願いしますね」
一瞬だけ、ミサキの目が、黒く染まったように見えた。
ここまで読んでいただき、ありがとうございます!
今回のお話はここまでです。いきなり四天王が死にました。
第一ヒロインのミサキ、作者はめちゃくちゃ気に入ってます。殺意が高くて好き。
初日は一挙5話掲載!
引き続き、この後のエピソードもお楽しみくださると嬉しいです。
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