第10話「ネコミミ巫女の弱点は水とサラダでした」
「きゃああああああ!?」
どぼーん。
黒い猫耳が、水の中へ消える。
「なんてこと……ミーが、ミーがあんなことを提案さえしなければ……」
メアリーが氷の上へ膝をついた。
俺はリュートを外し、メアリーへ押しつける。
「持ってて!」
「待って、セの字!」
待たなかった。
俺はそのまま、凍った湖へ飛び込んだ。
◇
「湖を越えましょう」
――1時間前。元盗賊の怪しいコンサルタント、メアリーが、目の前の凍った湖を指した。
「本気?」
「陸路は山裾を大きく迂回する。二日。湖上を直進すれば半日。これがベストプラクティスよ」
「ふむ。最善の方法というわけか!」
俺たちは雪山を越える途中にいた。
全員、普段の服の上へ厚手の外套や上着を重ねている。手袋にマフラー、毛皮の襟。ギャル風水師のパルでさえ、いつものへそを短い防寒着の下へしまっていた。
錬金術師のアニマは白衣の上から、さらに毛布みたいな外套を着ている。ゴーレムのT-ONEは寒さを感じないらしいが、首にはアニマが巻いた太いマフラーがあった。
不思議なネコミミ巫女のフレデリカも、連れ出したときに着ていた白黒金の巫女服の上へ、裏地の厚い黒い外套を羽織っている。猫耳だけはフードへ入れず、冷たい風の中へ出ていた。
「氷の厚さは?」
「周辺の宿場で確認済み。荷馬車も通る。普通に歩く限り、リスクは許容範囲ね」
「普通に歩く限り、か」
なぜか嫌な予感がした。
「フレっち、水平気なん?」
パルに聞かれ、フレデリカは湖面を見た。
「別に。凍ってるでしょ」
「まあ、そうだけど」
本人の中では、凍っていれば水ではないらしい。
俺たちは、湖へ足を踏み出した。
◇
湖は想像していたより広かった。
一時間歩いても、向こう岸はまだ遠い。
風が強くなったところで、メアリーが短い休憩を指示した。
「休憩は十分。全員、できるだけ固まって。走らない。跳ばない。衝撃を与えない」
「子供じゃないんだから」
「アニの字を見てから言って」
ハカセ服の女が、氷の下を覗き込んでいた。
「興味深い。魚群がこちらを追跡している」
[訂正します。餌を期待している可能性が高いです]
「餌ならあるぞ!」
「与えないで」
メアリーが止めるより先に、アニマが乾燥肉の欠片を氷の割れ目へ落とした。
直後、水面から銀色の巨体が飛び出す。
ばたん!
俺たちの前へ、立派なサーモンが着地した。
「この湖にいるのは、レベル5アトランティックサーモンだけね」
メアリーが、事前に調べた生態資料をめくる。
「レベル5」
呪術師のミサキが、反応した。
小さな呪術人形を取り出す。両目が、真っ黒に染まった。
「《五刻殺》」
サーモンが、ぱたりと動かなくなった。
「魚を獲るために使う呪いじゃないだろ、それ」
「新鮮です」
「死因の話?」
フレデリカが、死んだサーモンの前へしゃがみ込んだ。
片方の手袋を外す。
つん。
つんつん。
「フレっち、魚好きなん?」
「別に」
また、つん。
食べたい顔ではなかった。
ただ、そこにサーモンがあったので押しているらしい。
「せっかくだし、焼いて食べる?」
「携帯用の焼き網はあるよ。だが、氷の上だとなかなか火がつかないね」
俺が薪へ火打ち石を当てても、強い風ですぐに消えてしまう。
「ほほう! また、この天才アニマの出番のようだな!」
アニマが、だぶだぶの外套の内側へ手を入れた。
「その言い方、昨日も聞いた気がする」
「昨日の実験は大成功だっただろう?」
「俺が全裸で走ることになったけどね」
「透明にはなった。今回も目的達成を保証しよう!」
アニマが、小さな瓶を高く掲げる。
「はい! ニトログリセリン〜♪」
「待って。名前からして嫌な予感しかしない」
「安心したまえ。非常に高いエネルギーを持つ着火剤だ」
「湖上で使用する場合のリスク評価は?」
「火はつく」
「質問に答えてないわ」
メアリーが瓶を取り上げる前に、アニマは薪へ一滴垂らした。
ドン!
炎が、高く燃え上がる。
「見たまえ! 成功だ!」
ピキ。
「……アニの字」
ピキピキピキ――。
「……これ、まずくない?」
炎を中心に、亀裂が四方へ走り出す。
「まずい! 走れ!」
全員が岸へ走る。
ただ一人、フレデリカだけは、少し離れたところでサーモンをつついていた。
「フレデリカ!」
「?」
「走れ!」
「なに――きゃああああああ!?」
どぼーん。
◇
水が、全身へ突き刺さった。
冷たい、なんてものじゃない。
息が止まり、身体が動かなくなる。
それでも水中へ目を凝らすと、黒い外套が沈んでいくのが見えた。
フレデリカだ。
厚い外套が水を吸い、細い身体を引っ張っている。
腕を伸ばし、脇の下へ手を入れた。
フレデリカの身体が強張る。
けれど、振りほどかなかった。
俺は外套の留め金を外し、彼女を抱えて水面へ向かう。
頭が水上へ出た。
「ぶはっ!」
「フレデリカ、息できる?」
「さ、さいあく……」
「喋れるなら大丈夫!」
「セロっち、こっち!」
パルが、割れた氷へ護符を貼っている。
「――急急如律令!」
大きな氷盤が傾き、水面からせり上がった。
岸へ向かう、白い坂道ができる。
俺はフレデリカを押し上げた。
パルとミサキが腕を掴み、氷の上へ引きずり上げる。
「次、セロっち!」
俺も氷盤へ手をかけた。
その横で、別の氷が砕ける。
ずん、と重い音がした。
T-ONEが、直立したまま水中へ沈んでいく。
「T――ッ!!」
アニマが叫んだ。
「待って、博士!」
止める間もなく、アニマが飛び込む。
「また増えた!」
「パルの字、まずセの字とフレの字を岸へ! ミサの字、毛布! ミーは熱源を確保する!」
メアリーの声が飛ぶ。
パルが氷盤を岸へ寄せた。
俺たちは氷の坂を這い上がり、雪の上へ転がる。
◇
水中では、T-ONEが湖底へ着地していた。
泳いではいない。
普通に立っている。
[アニマを確認]
上から沈んできたアニマへ、T-ONEが両腕を伸ばす。
[救助します]
アニマをお姫様抱っこで受け止めた。
[スフィアモードを展開します]
二人を包む、青白い球体が現れる。
T-ONEはアニマを抱いたまま、湖底を歩き始めた。
◇
岸では、メアリーが枯れ枝と予備の薪を一か所へ集めていた。
「ユーたち、落ち着きなさい!」
メアリーが火炎瓶を、薪の山へ投げる。
ぼうっ!
一瞬で、大きな焚き火ができた。
「一番落ち着いてない人がいる!!」
「低体温症への対応よ! 濡れた服を脱いで、乾いたものへ交換! 毛布! ASAP!」
「正しいんだけど怖い!」
ミサキとパルが毛布を広げ、風除けを作る。
俺とフレデリカは、その陰で濡れた上着を脱ぎ、乾いた厚手の服へ着替えた。
そのとき、湖の水面下から青白い光が近づいてきた。
「……なんか来る」
「ティーっちじゃね?」
球体が岸へ乗り上げる。
ごろっ。
ごろっ。
ごろっ。
雪の上まで転がって、止まった。
バリアが消える。
中から現れたT-ONEは、アニマをお姫様抱っこしたままだった。
「T、お前、泳げなかったんじゃないのか?」
[はい。ワタシは泳げません]
「じゃあ、今のは!?」
[歩行です]
「水中を!?」
[はい]
「お前が沈んだから飛び込んだんだぞ!」
[ワタシは沈みます]
「先に言え!!」
アニマが、T-ONEの腕の中で暴れた。
[アニマ。危険です。安静を推奨します]
「誰のせいだと思ってる!」
たぶん、最初に湖を割った人のせいだと思う。
◇
しばらくして。
焚き火の前に、大きな毛布の塊ができていた。
中身はフレデリカだ。
濡れた長い黒髪が頬へ貼りつき、猫耳はぺたんと伏せられている。尻尾もしなしなで、毛布の端から力なく伸びていた。
「うう……死にたい……」
さっきまでの気だるい美人は、どこにもいない。
「フレっち、大丈夫? あったかい?」
「サラダ……」
「え?」
「サラダが食べたい……」
「魚とかじゃないんだ」
「魚は……普通……」
「普通なんだ」
「うう……死にたい……」
ミサキが、毛布の横へ座った。
「死にたいんですか? 楽にしてあげましょうか?」
「やめなさい」
「依頼かと」
「違うよ」
俺は小鍋へ水を入れ、火にかけた。
乾燥野菜と乾燥海藻をまとめて放り込み、塩と少しの油を足す。
「サラダできたよ」
椀を差し出す。
毛布の隙間から、サファイアブルーの目が覗いた。
「……これ、スープ」
「温野菜サラダ」
「スープ」
「サラダ食べたいんでしょ?」
「…………食べる」
フレデリカは毛布の中から両手を出し、椀を受け取った。
一口。
伏せていた耳が、少し上がる。
二口。
しなしなだった尻尾が、毛布の中へ戻る。
三口。
背筋が伸びた。
「昨日までの降雪量と気温を考えれば、氷そのものに問題はなかった。高エネルギー物質を湖上で爆発させたことだけが原因。次からアニマの所持品検査を推奨」
「急に喋るな!!」
「合理的な再発防止策」
食事を前にしたときだけ、明らかに頭の回転が速い。
椀が空になるころには、フレデリカはほとんど元へ戻っていた。
「頭、拭くよ」
乾いた布を持って近づく。
フレデリカの肩が、ほんの一瞬だけ固くなった。
けれど、逃げない。
「……うん」
長い髪から、布で水気を取っていく。
「耳も?」
「……やさしくして」
黒い猫耳を、一本ずつそっと包む。
「なんで飛び込んだの」
「なんでって、落ちたから」
「……そう」
フレデリカは椀へ目を落とした。
俺を見ようとはしなかった。
◇
濡れた服を焚き火の近くへ干し、全員が乾いた厚着へ着替えた。
陽が落ちるまでにはまだ少し時間があったが、今日はこのまま岸で野営することになった。
「歌って」
焚き火の向こうから、ミサキが言った。
「え、なんで今?」
「いいから。歌ってください」
「うんうん! あーしもセロっちの歌、聴きたい!」
「ほう! セロ君は呪歌以外も歌えたのか! 興味深いな!」
[マスター・セロの歌……ワタシの錬金回路に、また何かを産んでくれるかもしれません。ワタシを感じさせてほしいです]
「癒やされる方向でお願いしたいんだけど?!」
「……ユーたち……ふふっ、いつもそんな感じなのね。いいじゃない」
メアリーが、火炎瓶の残りを片づけながら笑った。
「フレデリカは? 迷惑じゃない? 歌は、好き?」
フレデリカは、すっかり乾いた猫耳をこちらへ向けた。
目だけは、焚き火を見たまま。
「……別に。下手だったら、耳ふさいどくだけ」
「じゃあ、遠慮なく」
リュートを抱え、弦を鳴らす。
今度の歌に、敵へかかる効果はない。
昔から好きな、旅人の歌だ。
雪解けの川を下り、知らない街をいくつも巡り、最後には仲間の待つ家へ帰る。
普通の歌。
焚き火が爆ぜる音に、リュートの音色が重なった。
フレデリカの尻尾が、毛布の上でぱた、ぱた、と動き始める。
パルが膝で拍子を取った。
やがて、歌声を重ねる。
明るく、大きく、盛大に音が外れていた。
ミサキが続く。
声は綺麗なのに、最初から最後まで同じ音だった。
「面白い! 音声の同期実験だな!」
アニマまで加わる。
メアリーは正しい音を探すように慎重に歌い、それでも全部少しずつ違っている。
[歌唱へ参加します]
T-ONEの合成音声は正確そうに聞こえて、なぜか半音ずれていた。
最後に、フレデリカが小さく口を開く。
聞こえるか聞こえないか程度の声だった。
やっぱり、外れている。
「……待って」
俺は演奏を止めた。
「「「「「ん?」」」」」
[何でしょうか]
「お前ら、全員音痴だな?!!!」
雪山の麓へ、六人分の抗議が響き渡った。
◇
少し離れた雪原で、一人の少女が足を止めた。
細身で、中性的な顔立ち。短い髪が、冷たい風に揺れている。
「あ! 彼みーっけ!」
歌声の聞こえた方角へ、星を浮かべたような瞳を向けた。
「いいね☆ パパが言ってた通り……おいしそう♡」
ここまで読んでいただき、ありがとうございます!
今回のお話はここまでです。音痴な女の子ってかわいくないですか? 私はかわいいと思います。このエピソードは、そんな想いを乗せて書きました。ごめん嘘です。
では引き続き、この後の更新もお楽しみに!
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