第23話 願いを一つ、叶えてあげる
白鐘の礼拝堂へ移って、二日。
割れた窓には板を打ちつけ、床の瓦礫も歩く場所だけは片づけた。屋根の穴と、奥の白鐘炉はまだそのままだ。
礼拝堂の奥では、ガイが眠っている。
【状態:聖眠】
【聖眠状態:安定】
【覚醒:不可】
差し押さえまで、あと五日。
今日からは、《オラ・カリス》を探しながら銀貨二百枚も稼がないといけない。
幸い、アリアの呪いはもうない。
探索では、あいつが頼りになる。
……はずなんだが。
朝から、そのアリアの様子がおかしかった。
目が合うと逸らす。
しばらくすると、また見る。
壁際には、外套と荷物がいつもよりきれいにまとめてあった。
……出かける準備か?
そう思っていると、アリアが俺の皿へパンを置いた。
「……アリア。これ、三つ目なんだが」
「食べなさい」
目は合わせてくれない。
パンをかじっていると、ようやくアリアが口を開いた。
「透矢。少し話があるの」
「ん?」
妙に改まった声だった。
「外に来なさい」
隣で、リリアナが匙を止めた。
俺とアリアを見比べ、なぜか少しだけ口元を緩める。
「くーちゃんは、こちらで待っていましょうね」
「きゅ!?」
「少し、お二人で話したいことみたいですから」
……お二人で?
まさか。
いや。
何を考えてるんだ、俺は。
アリアの後を追って外へ出る。
丘の下には薄い霧が残り、朝の風が少し冷たい。
アリアが足を止めた、その直後。
「きゅ!」
小さな足音が追いついてきた。
「お前も来たのか」
口には、リリアナが引き留めるために渡したらしいボーロ。
……報酬だけ受け取って持ち場を離れたらしい。
くーちゃんは当然のように俺の横へ座った。
アリアは気にせず、こちらを振り返る。
朝の風に深紅の髪が揺れ、それを耳へかけた指が、そのまま自分の手首へ触れた。
黒紋は、もうない。
「……透矢。最初に会った日のこと、覚えてる?」
「忘れるわけないだろ。追放された直後に、剣聖に拾われたんだから」
「拾ったつもりはないわ。雇ったのよ」
「似たようなもんだろ」
「全然違うわ」
そこは譲らないらしい。
アリアは少しだけ黙り、霧の残る丘へ目を向けた。
「……あの時の私は、一週間後にはここにいないと思ってた」
笑えなかった。
――私が一週間後に死ぬからよ。
あの日の声を、今でも覚えている。
「だから、あなたを雇ったのも一週間だけだった」
そこで、ようやく分かった。
昨日の横顔が、何を数えていたのか。
「……今日か」
「ええ。今日で一週間よ」
一瞬でも別のことを考えた自分が恥ずかしい。
だけど、一週間後にはいないはずだった少女が、今も目の前に立っている。
カインの聖剣を剥がして、黒帆市をひっくり返して、偽聖女の皮を剥がして、最後には巨大な魔物まで倒した。
……一週間に詰め込む量じゃない。
「契約は完遂よ」
アリアが俺を見る。
「約束通り、願いを一つ叶えるわ」
「……願い、か」
そうだった。
大事なことを忘れていた。
この一週間、そんなことを考えてる余裕がなかった。
……さて、どうする。
背後の礼拝堂を見る。
銀貨二百枚は欲しい。
白鐘の礼拝堂も直したい。
くーちゃんには、ボーロを山ほど買ってやりたい。
「きゅ?」
そこだけ聞こえたみたいな顔をするな。
それに何より、ガイには起きてほしい。
欲しいものなら、いくらでもある。
でも、銀貨は稼げばいい。
白鐘は少しずつ直せばいい。
ガイも、《オラ・カリス》を見つけて俺たちで起こす。
自分たちで何とかできることに、一度きりの願いを使うのは違う気がした。
「じゃあ、一つ」
「……何にするの?」
「いつか、お前にしか頼めないことができた時、その願いを聞いてくれ」
アリアが目を細めた。
「……それ、先延ばしにしてるだけじゃない?」
「そうとも言う」
「開き直るの?」
「一つしかないんだ。大事に使わせてくれ」
「……うーん」
珍しく、アリアが本気で悩んだ。
深紅の髪を耳へかけ、今度は腕を組む。
「じゃあ……誰にでも頼めることは、駄目」
「誰にでも?」
「違うわね」
少し考えて、俺を見る。
「私じゃなくても叶えられる願いなら、引き受けない」
「厳しくないか?」
「そのくらいしないと、本当にずっと先延ばしにしそうだもの」
……まあ、そうだな。
俺たちでどうにかできることなら、願う前にやればいい。
「分かった。それでいい」
アリアは、少しだけ満足そうに頷いた。
「なら、約束ね」
……考えてみれば、変な約束だ。
一週間前は、明日の話すらできなかった相手に。
今の俺は、いつかの話をしている。
これで、一週間の契約は終わった。
「あなたは、もう私の専属鑑定士じゃないわ」
「……そうか」
専属。
その響きを、思ったより気に入っていたらしい。
なら、次にアリアは――。
「……また一人でクロウを追うのか?」
アリアはすぐには答えず、背後の礼拝堂を見た。
「そのつもりだったわ」
……だった?
「あの馬鹿が、まだ帰ってきていないでしょう」
救命結界の中では、ガイが眠っている。
「あの人が命を懸けたから、私は今日も生きてる。あの時、私がもっと戦えていたら、一人に全部を背負わせずに済んだ」
「……俺もだ。もっと早く見つけてればよかった」
二人とも、ガイに借りがある。
「それに、あなたにも」
「俺にも?」
「助けてもらった分、まだ返してないわ」
「さっきの願いで十分だろ」
「あれは契約の報酬。これは別よ」
「お互い様じゃないのか?」
「返す量は、借りた側が決めるのよ」
「それ、ガイの台詞だろ」
「いい理屈だから借りたの」
「借りが一個増えてるぞ」
アリアが少しだけ目を逸らした。
「……あの人を起こして返すわ。台詞も、借りも」
ほんの少し、笑っている。
「あの人が起きるまで、私は帰らない」
胸の奥から、力が抜けた。
そのままアリアは礼拝堂へ戻ると、壁際にまとめてあった荷物を持ち上げた。
……ん?
じゃあ、朝から妙にきれいにまとめてあった荷物は何だったんだ。
「アリア?」
「何?」
「いや、その荷物……」
「これは、探索の支度よ」
アリアは当然のようにアステリアを腰へ下げた。
「差し押さえまで、あと五日なんでしょう?」
「ああ。五日で銀貨二百枚。普通にまずい」
「なら、立ってないで準備しなさい」
扉の前で、深紅の髪が振り返る。
「銀貨二百枚。黒層ダンジョンに稼ぎに行くわよ」
「きゃん!」
一週間の契約は終わった。
それでも、アリアは俺たちと一緒にいた。
これからは、契約じゃなくても。




