第18話 命ひとつ、義に燃やす
ガイの砕けた盾に、小さな白い光が灯っていた。
反射的に、鑑定を向ける。
【聖盾ヴェイルガード】
【状態:大破】
【固有特性:守護時、性能上昇・攻撃反射】
……直ってない。
半分は原形さえ残っていない。
それなのに白い光だけが、傷の奥からじわじわ強くなっていた。
修復している光には見えない。
むしろ、何かを削って燃やしているような――。
「ガイ、それ……」
返事はなかった。
その向こうで、サンクトイーターの身体が大きく痙攣した。
セラフィナだった顔は、まだ残っている。だが笑いも怒りも消え、人間の表情そのものを忘れたように、裂けた口から濁った息だけが漏れる。
「グ、ゥ……」
背中の黒い管が、一本残らず持ち上がる。亀裂の入ったものまで無理やり絡み合い、巨大な一本の砲口みたいに束ねられていく。
その奥へ、黒い炎が集まっていく。
広場の端まで影が伸びた。さらに向こう、白い街並みまで熱で揺らいで見える。
……まずい。広場だけじゃ済まない。
リリアナが、砕けた盾を見た。
「ガイ……その盾では無理です。もう十分です」
ガイは前を見たまま答えた。
「まだ借りが残ってる」
「そんなもの、とっくに返してもらいました」
「返す量は、借りた側が決める」
最後に一度だけ振り返る。顔はもう、半分血だらけだった。
「悪いな。そこだけは、言うこと聞けねえ」
その時、正面で空気が震えた。
サンクトイーターが、喉を裂くように吠えた。
「ギィィィィィィィッ!」
束ねられた管が、大きく震える。
ゴウッ。
黒炎が噴き出した。
広場の端から端までを埋める、黒い奔流だった。
石畳を焼きながら、壁みたいに押し寄せてくる。
その正面に立つのは、ガイ一人。
ガイが、砕けた盾を石畳へ突き立てた。
その背中に、リリアナがいる。
俺とくーちゃんがいる。
アリアがいる。
逃げ切れていない人たちも、その向こうの聖都も。
全部、あいつの後ろだった。
ガイが、ゆっくり息を吐いた。
「命ひとつ、義に燃やす」
傷だらけの盾を、白い光が走る。
何度も何かを受け止めてきた傷の全部が、白く浮かび上がっていく。
「忘れぬ恩を、この盾に刻む」
黒炎が押し寄せる。
ガイは、一歩も退かなかった。
「散り際こそ、男の花よ」
浮かび上がった亀裂から、白い光が一気に溢れ出した。
ガイが、砕けた盾を真正面へ押し出す。
「一命反照!」
黒炎が盾へ激突した。
視界が真っ黒に染まる。石畳が悲鳴を上げ、広場の空気ごと軋んだ。
「ガイ――!」
叫んだ声は、爆音に飲まれた。
黒い奔流の中心で、盾がどんどん白く染まっていく。罅の一本一本から光が溢れ、押し寄せる黒炎を正面から受け止めていた。
ガイの肩が大きく震えた。それでも、盾は動かない。
あいつの盾は、何でも返す盾じゃない。守るものが後ろにいる時だけ、仕事をする。
今は、後ろにいるものが多すぎる。
白い光が、黒炎の壁を押しとどめる。
その時、白い光がガイの腕から滲んだ。
腕から肩へ。
さらに胸元を通って、砕けた盾へ吸い込まれていく。
……違う。
盾が光ってるんじゃない。
ガイが、自分を燃やしてる。
「やめろ、ガイ!」
ガイは振り返らなかった。
――最後まで見とけ、透矢。
さっきの声が、耳の奥に残っている。
俺は拳を握った。
それでも、目だけは逸らさなかった。
光が流れ込むたび、黒い詰襟が焦げていく。袖が焼け、崩れた前髪の先から煙が上がった。
それでも盾は下がらない。
「おおおおおおおおっ!」
黒炎の壁の中央に、白い亀裂が入った。
黒炎の勢いが、初めて止まった。
一瞬だけ、白と黒が押し合う。
次の瞬間。
戻った。
黒炎が、来た道を逆に走る。
「グァッ!?」
サンクトイーターが、束ねた管を広げようとした。
遅い。
最大の一撃のために、自分で全部の管を繋いだ。
だから、返された炎も全部へ届く。
黒炎が管の束を逆流した。
一本目が内側から弾ける。
それを追うように、二本、三本と黒い管が次々に破裂していく。
その奥。
白く脈打つ一本へ、炎が届いた。
リリアナの力を吸っていた、あの管だ。
ばきん。
根元から砕けた。
「……っ!」
リリアナの身体が震えた。
胸元の聖印へ、白い光が流れ込んでいく。
空っぽだった器が満たされるみたいに、紋様が内側から輝き始めた。
「……力が……戻って……」
同時に、サンクトイーターの全身へ黒炎が回った。
管が弾ける。
四本の脚が石畳を掻き、巨体が大きくのけぞった。
セラフィナだった顔が、大きく歪んだ。
「ギィィィィィィィィッ!」
黒炎が身体の内側から噴き出し、巨体が石畳へ崩れ落ちた。
一度、大きく痙攣する。
それきり、動かなかった。
勝った。
倒したんだ。
やったぞ、ガイ。
そう叫ぼうとした、その時。
からん。
小さな音がした。
石畳に、櫛が落ちた。
いつもガイが胸元に入れていた、小さな櫛。
一度跳ねて、止まった。
炎が薄れていく。
その向こうで、ガイはまだ立っていた。
ただ、立っているだけだった。
盾は、もうない。
右腕は力なく垂れ、指先ひとつ動かない。黒い詰襟は胸元まで焼け、肩から細い煙が上がっていた。
あれだけ何度も整えていたリーゼントは、もう形を失っている。
いつもなら真っ先に直すはずの前髪が、額へ落ちたままだった。
「……ガイ?」
返事はない。
膝が、ゆっくり崩れた。
「ガイ!」
身体が、前へ傾いていく。
ゆっくりと。
もう、自分の身体を支える力さえ残っていないみたいに。
……嘘だろ。
そのまま、石畳へ倒れた。
リリアナが真っ先に駆け出した。
足をもつれさせながら、それでも止まらない。ガイの横へ転がるように膝をついた。
俺とくーちゃんも走る。
アリアも、ふらつきながら続いた。
「ガイ、しっかり……!」
リリアナがガイへ手を伸ばす。
けれど、胸元へ触れる寸前で、その指が止まった。
服のあちこちが焼け焦げ、皮膚も所々黒く爛れている。あれだけの黒炎を正面から受け止めて、全部返した代償だった。
「お願い……!」
戻ったばかりの白い光が、リリアナの両手へ集まる。
ガイの胸へ押し当てると、光が身体を包み込んだ。
黒く爛れていた皮膚が少しずつ元の色を取り戻し、焼けた傷も閉じていく。
……治ってる。
いける。
そう思った。
けれど、ガイの胸は動かなかった。
「……ガイ?」
リリアナが、その顔を覗き込む。
呼吸は戻らない。
「……どうして」
もう一度、ガイの胸へ両手を押し当てた。
さっきより強い白い光が、指の隙間から溢れ出す。
「戻ったんです。私の力、戻ったんです……!」
白い光が、もう一度ガイの身体を包む。
傷は、もう閉じている。
それでも、ガイは目を開けない。
「だから……」
リリアナの頬から、涙が落ちた。
「起きて……お願いだから……」
何度光を注いでも、胸は動かなかった。
「ガイ……ガイ、しっかりして……!」
リリアナが、その手を握る。
握り返す力はなかった。
「返す量は、借りた側が決めるんでしょう……?」
掠れた声でそう言って、ガイの手を両手で包み込む。
「だったら……まだ返し終わってません……!」
涙が、その手へ落ちた。
「私が、まだ足りないって言ってるんです……!」
ガイは、何も答えなかった。
俺も、恐る恐るガイの顔を見た。
焼けた傷は、もう消えている。
それなのに、そこに生きている人間の気配がなかった。
まるで、全部を使い切ってしまったみたいに。
「きゅ……」
くーちゃんが、ガイの頬へ鼻先を寄せる。
ガイは動かない。
くーちゃんが顔を上げた。
何かに気づいたように石畳へ駆けていき、さっき落ちた櫛の前で止まる。
小さな口で咥え、そのまま戻ってきた。
そして、ガイの胸元へそっと置く。
鼻先で、櫛を軽く押した。
「きゅーん……」
いつもみたいに、直して。
そう言っているみたいだった。
リリアナは、まだ手を握っていた。
「ガイ……」
何度呼んでも、目は開かない。
「ガイ、お願い、返事して……」
俺は、何も言えなかった。
何か言おうとしても、喉の奥で全部つかえて、出てこなかった。
くーちゃんだけが、ガイの頬に鼻先を押しつけたまま、離れなかった。
「きゅーん……」
その小さな声だけが、静まり返った広場に残った。




