第16話 聖女の皮を剥がしたら、人間じゃなかった
救済されたはずの三人の顔から、同時に笑みが消えた。
老人の膝が崩れる。
「痛い……治ってない……!」
女性は、腕に残った黒い呪傷を見て青ざめた。
「消えてない……」
男は胸を押さえ、荒い息を吐いた。
「怖い……なんで、今まで気づかなかったんだ……」
広場から、音が消えた。
《え、痛がってる?》
《さっき歩いてたよな》
《救済って何だったの》
「妨害だ!」
セラフィナの信者が声を張り上げる。
「あのFランクが、セラフィナ様の奇跡を壊したんだ!」
「違う」
三人を見た。
「傷も呪いも、まだ残ってる」
「消されてたのは、痛みと危機感だけだ。治ったと、思わされてたんだよ」
《じゃあ痛み消してただけ?》
《他の被害者もいるんじゃ……》
「でしたら、今度こそ確実に救済いたします」
セラフィナが両手を広げた。
白金の《祈光ヴェール》が広がり、強く光り始める。
……また、これか。
ヴェールへ鑑定を向けた。
【祈光ヴェール】
【本来性質:認識遮蔽】
【付随効果:救済認識誘導】
……やっぱりだ。
この光が、救済を本物に見せていた。
俺の思考に混ざったノイズも――これの仕業だったのか。
白い光がさらに膨らみ、三人の患者へ伸びていく。
その光の中で、何かが動いた。
「……ん?」
三人へ向かう光とは逆に、一本だけ――リリアナからセラフィナへ流れている。
……待て。
流れが、逆じゃないか?
「……っ」
リリアナの身体が揺れた。膝が崩れ、アリアがとっさに支える。
「リリアナ?」
……なんでだ?
目を凝らす。白金のヴェールの下、光に紛れるように細い黒いものが伸びていた。
【未解析器官】
【接続先:リリアナ聖印】
【状態:吸収中】
……吸ってる。
こいつが、リリアナから何かを吸い上げている。
足元から聞こえていた唸り声が、ふっと止まった。
「……くーちゃん?」
尻尾が下がっている。
俺の足へ身体を押しつけ、小さく震えていた。
「きゅ……」
……くーちゃんが、怖がってる?
視線を追う。見ているのは、ヴェールじゃない――セラフィナだ。
白い光の中で、もう一度見る。今度は、見えた。
白金のヴェールの一部が、セラフィナの身体に沿って薄い黒い膜のように張りついている。腕から肩へ、首筋へ、さらにその全身を包むように。
【祈光ヴェール】
【被覆対象:セラフィナ】
【剥離可能】
……被覆。
患者を包むはずのヴェールが、なんでセラフィナ自身まで覆ってる?
セラフィナを見る。
金色の髪に、澄んだ瞳。
慈愛に満ちた微笑み。
何も変わっていない。
なのに、足元の影だけが、人の形をしていなかった。
そして、一瞬。
金色の瞳が、縦に裂けた。
……待て。
そもそも、こいつ。
人間なのか?
視界の端には、まだ文字が浮かんでいる。
【剥離可能】
いつもなら、待ち望んでいた文字だった。
なのに今は、押したくないボタンにしか見えない。
今までは、偽物を剥がせば、本来の姿へ戻った。
今回は、その先が見えない。
この聖女の下に、何がいる?
「……あなた、何を見ているのです?」
セラフィナが、まだ聖女の顔で微笑んでいる。
ぞっとした。
……逃げたい。本能が、そう言っている。
だが、その間にもリリアナから光が吸われ続けている。
「……っ」
アリアの腕の中で、身体がさらに傾いた。
剥がすのは危険。剥がさなければ、もっと危険。
――選択肢なんて、最初からなかった。
セラフィナの目が、細くなる。
「……そこまで、見えているのですね」
笑みが、消えた。
「なら――仕方ありません」
セラフィナが手のひらを俺へ向ける。
そこに、黒い光が集まった。
……まずい。これ、殺す気だ。
光が放たれる。身体が動かない。
間に合わない――そう思った瞬間。
視界いっぱいに、傷だらけの大盾が飛び込んできた。
ごっ――!
黒い光が、盾へ叩きつけられた。
「ぐっ……!」
ガイの両足が石床を削る。それでも、盾は退かない。
「おい!」
ガイが盾越しに吠える。
「お前、何しやがる!」
俺とセラフィナの間に、大盾を叩きつけるように立つ。
「今、こいつを殺そうとしたな?」
……助かった。こういう時、この男は本当に頼りになる。
大盾の古傷に、白い光が走る。
「――返すぞ」
盾を押し返すと、黒い光が表面で弾け、そのまま来た軌道を逆に走った。
「なっ……!」
セラフィナが咄嗟に《祈光ヴェール》を広げる。
間に合わない。
黒い光が白金のヴェールへ食い込み、そのままセラフィナの肩口で爆ぜた。
「ぎ、ぁ……っ!」
人の喉から出たとは思えない、濁った悲鳴が漏れた。白い光が乱れ、セラフィナを覆っていた黒い膜まで大きく揺らいだ。
「今だ、行け!」
ガイの声に押されるように、俺は石床を蹴った。距離が、一気に縮まる。
「触るな!」
さっきまでの柔らかな声じゃない。
……触られたくないんだ。ここを。
白い光の中で、セラフィナの首筋を覆う黒い膜が浮かび上がる。
反射を受けたせいか、そこだけわずかにめくれていた。
【剥離可能】
……ここだ。
指を伸ばし、その端を掴む。
「……その化けの皮、剥がすぞ」
べりっ。
聖女の皮が、裂けた。
金色の髪から色が抜け、純白の聖女衣が黒い霧へ崩れていく。
白い肌に亀裂が走り、胸元の聖印が砕けた。
《は?》
《なにこれ》
《配信事故?》
《これ演出だよな?》
それでも、顔だけは残っていた。
慈愛に満ちた、聖女セラフィナの顔。
その瞳が、縦に裂ける。
次の瞬間、背中が大きく膨れ上がった。
聖衣の残骸を突き破り、黒い身体が一気に巨大化する。
腕は長く伸び、下半身は太い四本脚へ変わった。
さらに背中から、何本もの黒い管が伸びる。
管は生き物のようにうねり、裂けた先端を広場へ向けた。
気づけば、そこにいたのは三メートル近い黒い魔獣だった。
その身体の一番上にだけ、セラフィナの顔が残っている。
《待って待って》
《何出てきた!?》
《セラフィナ様どこ!?》
《いやそれセラフィナ様だろ》
《魔物!?》
《広場のやつ逃げろ!!》
《本来評価》の表示が切り替わった。
【聖女擬態:剥離完了】
【本来状態:聖女喰い《サンクトイーター》】
……最悪だ。
本当に、魔物だった。
セラフィナだったものが、ゆっくり顔を上げる。
「……見たな」
セラフィナの声に、低い獣の声が重なった。
背中の黒い管が、一斉に持ち上がる。その先端が、逃げ惑う人々へ向けて開いた。
「もういい」
縦に裂けた瞳が、広場を見渡す。
「この聖都ごと、喰らい尽くしてやる」




