第14話 救済を剥がしたら、少女は泣き出した
俺は膝をつき、くーちゃんへボーロを差し出した。
「くーちゃん、頼む」
「きゅ!」
もぐ、と食べる。
白い光が弾け、視界が切り替わった。
世界の表面が、また一枚めくれる。
血を流しながら笑う少女の身体に、黒いラベルが浮かび上がる。一枚じゃない。胸元から傷ついた脚まで、幾重にも重なっていた。
【貼付効果:痛覚遮断】
【貼付効果:危機認識鈍化】
【認識誘導:救済済み】
【剥離可能】
隣で微笑む母親にも、黒いラベルがあった。
【貼付効果:不安鈍化】
【認識誘導:救済済み】
【剥離可能】
……治療じゃない。
治ったと、思わせているだけだ。
「……何が見えてる」
ガイの声だった。
「痛みも怖さも、危ないって感覚まで消されてる。その上で、救われたって思い込まされてる」
「治しちゃいねえのか」
「ああ。傷はそのままだ」
ガイは黙ったまま、胸ポケットから小さな櫛を取り出した。乱れてもいない前髪を一度だけ撫でて、しまう。
「……胸糞悪ぃ奇跡だな」
「同感だ」
少女は笑ったまま首を傾げる。
「大丈夫だよ。セラフィナ様が救ってくれたから」
黒いラベルへ指を伸ばして、止まった。
これを剥がせば、痛みが戻る。
この子は、きっと苦しむ。
赤く染まった靴下を見る。
……いや、このまま歩かせるわけにはいかない。
黒いラベルを掴む。
「……ごめん。痛くなる」
一気に引いた。
べり、と紙を剥がすような感触が指先に残る。
黒いラベルが白い光の中で砕けた。
少女の笑顔が止まった。
「あ……」
自分の膝へ目を落とす。
「いた……痛い」
声が震えている。
「痛い、痛いよ……お母さん……!」
堰を切ったように泣き出した。
母親は、まだ困ったように笑っていた。
「大丈夫よ。あなたは救われたんだから――」
今度は、母親の不安を鈍らせているラベルを掴む。
べりっ。
母親の目が瞬いた。
視線が、娘の足元へ落ちる。
赤く染まった靴下。腫れた足首。血の流れる膝。
「……え?」
笑顔が消えた。
「血……? どうして、私……」
「ごめんなさい……痛かったのに、私……」
リリアナが、母親の肩へすぐ手を置いた。
「あなたのせいではありません」
くーちゃんも泣きじゃくる少女へ近づき、頬へそっと鼻先を寄せる。
「きゅーん」
「わんちゃん……」
「話は後です」
リリアナが少女の足を確認する。
「まず、この子を横に」
ガイが何も言わず大盾を地面へ置き、買い出し袋の布をその上へ広げた。
傷だらけの盾が、即席の担架になった。
「盾って、そういう使い方もするのか」
「守れりゃ何でもいいんだよ」
雑な説明だった。でも、ガイらしい。
***
旧施療所へ戻ると、アリアが寝台から半身を起こしていた。
「寝てろって言ったのに、ずっと落ち着かなくてねえ」
薬草屋のおばあさんが呆れたように言う。
アリアは言い返さず、俺たちの後ろの少女を見て表情を変えた。
「……何があったの?」
「救われた子が、救われてなかった」
その一言で、アリアの眠気が消えた。
その間も、リリアナの手は止まらない。 傷を洗い、血を止め、腫れた足首を固定して、熱と呼吸を確かめていく。
「痛い……」
少女が、また泣いた。
リリアナが、その手を握る。
「痛いと言えて、よかったです。痛みは、身体が『助けて』と教えてくれているものですから」
少女の顔がくしゃりと歪んだ。
「我慢しなくていいですよ」
その一言で、少女は声を上げて泣いた。
広場では、あんなに笑っていた。
今は痛いと泣いている。なのに、こっちの方がずっと安心できた。
セラフィナの救済には、美しい光があった。歓声も、配信もあった。
リリアナの手元にあるのは、薬草と包帯と、握った手だけだった。
それでも今、目の前の患者を救っているのは、こっちだ。
***
少女が眠った頃には、隣の寝台でアリアも眠っていた。
リリアナが、ぽつりと言う
「……この子だけなのでしょうか」
俺も同じことを考えていた。
セラフィナは、これまで何人も救済している。
母親に救済を受けた時のことを聞くと、痛みだけでなく、怖さや不安まで一気に消えたという。
「今も少しだけ……またセラフィナ様に会えば、安心できるような気がして」
……やっぱり、あのラベルの影響は痛みだけじゃない。
足元のくーちゃんへ目を落とす。
あの配信で、こいつが唸っていたのは、セラフィナじゃない。患者を包んでいた、白いヴェールの方だ。
……これだったのか。
痛みを消し、危険を感じさせず、その上で「救われた」とまで思わせる。
救済を受けた全員に同じものが貼られているなら、セラフィナがここまで支持を集めた理由も、説明がつく。
リリアナも、眠る少女を見ていた。
「……他の方は、大丈夫なのでしょうか」
「分からない」
「確かめたいです。この子と同じことが起きているなら、放っておけません」
ガイが、薬棚の脇にある古い魔導端末へ顎をしゃくる。
「だったら、ちょうどいい」
「何が?」
「明日の救済対決だよ。もう予告まで流してやがる」
……救済対決。
少女のことで頭がいっぱいで、すっかり忘れていた。
明日、中央広場でリリアナと救済を競う――セラフィナは、そう言っていた。
【明日・中央広場】
【公開救済対決】
【全域配信予定】
画面の中で、セラフィナが静かに両手を組んだ。
『皆様は、聖女の奇跡とは何だと思われますか』
背後に、古い壁画が映し出される。
二つの古びた杯。
『古き時代。二つの聖杯、《ティア・カリス》と《オラ・カリス》に祈りを捧げ、死の淵にある方すら救った聖女がいたと伝えられています』
『ですが、その聖杯は今では失われました』
胸元へ、そっと手を添える。
『聖杯を失った今、聖女の奇跡も失われてしまったのでしょうか』
一拍置いて、微笑んだ。
『私は、そうは思いません』
『時代が変わっても、人を救いたいと願う祈りは変わらない。私たちは古き聖具に頼らずとも、より多くの方へ救いを届けられるよう努めてまいりました』
映像が切り替わった。
白いヴェールに包まれ、涙を流す患者たち。その周囲では、大勢の人間が歓声を上げている。
『ですが、その救済を疑う声もあります』
再び、セラフィナが映る。
『ですから明日、中央広場でお見せします』
『かつて聖女であったリリアナ様と、私。どちらの祈りが、本当に人々へ届くのか』
柔らかく微笑む。
『どうか、皆様の目でお確かめください』
映像が終わった。
俺は、眠っている少女の包帯が巻かれた膝を見る。
さっきまで、そこから血を流しながら笑っていた。
……よく言えるな。
救ったんじゃない。痛みも、危険も、分からなくしただけだ。
ガイが鼻を鳴らした。
「……口だけなら、立派な聖女様だな」
リリアナは何も言わず、眠る少女から端末へ視線を戻した。
「……明日、確かめたいです」
明日なら、もう一度セラフィナの救済を最初から見られる。
ガイがリリアナへ目を向けた。
「確かめるだけならいい。だが、勝負するってんなら話は別だ」
「……私は、もう奇跡を使えませんから」
「向こうは派手な奇跡を見せる。こっちは何も出ねえ。まともにやったら勝負にならねえ」
俺は、もう一度端末を見る。
大勢の観衆。その全部へ映像を届ける全域配信。
……待てよ。
「それなら、大丈夫だ」
二人が、俺を見た。
「俺に考えがある」
ガイが片眉を上げた。
「……何する気だ? お前」
「明日になれば分かる」
ガイが俺の顔をじっと見る。
「……そういう顔も、するんじゃねえか」
「きゅーん」
くーちゃんが、自分の手柄のように胸を張る。
……いや、おまえじゃないからな。
明日の勝負がどう転ぶかは分からない。
鬼が出るか、蛇が出るか。
何が出ても、剥がして確かめるだけだ。




