第13話 奇跡に救われた少女は、血を流して笑う
翌朝。
昨夜は、そのままリリアナの施療所に泊めてもらった。
アリアが起き上がろうとして、二度失敗した。
三度目、両腕で支えた身体が、肘から崩れる。
「……大丈夫よ」
言葉とは裏腹に、寝台へ沈んでいく。 めくれた袖口の黒紋は、昨日よりも伸びていた。
【血統呪詛:死蝕】
【余命推定:三日】
残り、三日。
昨夜のうちに、リリアナにはアリアのことを相談した。
聖女の奇跡は、本来なら呪いにも効く。
ただ、アリアの《死蝕》まで消し切れるかは分からない。
リリアナの聖印そのものは、今も残っている。
奇跡を起こす力だけが、そこから失われていた。
何か剥がせないかと、リリアナの聖印へ《本来評価》を向けた。
だが、黒いラベルはなかった。
……俺の力では、リリアナの奇跡は戻せない。
リリアナが、力の抜けたアリアへ布団を掛け直す。
「今日は休んでください」
「……まだ、動けるわ」
もう一度腕に力を込めるが、身体はほとんど持ち上がらない。
「動けるかどうかじゃありません。休んでください」
くーちゃんも寝台へ前足をかけ、アリアの手に顎を乗せた。
「……あなたまで?」
「きゅーん」
動くな、と言いたいらしい。 そのくせ、窓際の焼きたてパンを、さっきから横目でちらちら見ている。
……どっちが気になるんだ、お前は。
くーちゃんを見て、昨日のことを思い出す。
ガイの言葉が、まだ耳に残っていた。
『犬まで前に出た。お前は後ろで見てただけだ』
あの瞬間、俺には何もできなかった。だからって、立ち止まっている暇もない。
見ているだけじゃ、アリアの時間は増えない。
昨夜、端末越しに見たセラフィナの《祈光ヴェール》。
鑑定では【慈愛の聖具】としか出なかったのに、くーちゃんは唸っていた。映像越しでは、それ以上分からない。
――なら、直接見ればいい。
くーちゃんと目が合う。
「お前も、あれが気になるよな」
「きゅ」
……話は決まりだ。
「リリアナ。アリアを頼めるか」
「透矢さんは?」
「セラフィナを、直接見てくる」
***
外へ出ると、買い出し帰りのガイと鉢合わせた。肩から薬箱を下げ、片手には包帯の束を抱えている。
「どこ行くんだ?」
「中央広場だ」
短く答えると、ガイの足が止まった。
「……セラフィナか」
「そのつもりだ」
ガイが、足元のくーちゃんを見る。
「昨日、こいつが唸ってたやつか」
「映像じゃ分からなかった。今度は近くで見る」
ガイは胸ポケットから櫛を抜き、前髪をひと撫でした。
「……ちょうど俺も、散歩がてら救済ショーでも冷やかそうと思ってたところだ」
嘘だ。
買い出しから戻ったばかりの男が、今からまた散歩に出るわけがない。
だが、指摘はしなかった。
支度をしていると、リリアナも出てきた。
「私も、行きます」
「アリアは?」
「薬草屋さんにお願いしました」
リリアナは中央聖堂の方を見る。
「セラフィナ様を暴きたいわけではありません」
少しだけ間を置く。
「本当に、あの方の救済で患者さんが救われているのか。それを、自分の目で確かめたいんです」
「なら、一緒に見よう」
リリアナが頷いた。 ガイは何も言わず、その隣に並ぶ。
俺たちは中央広場へ向かった。
***
広場は、すでに人で埋まっていた。
白い舞台。浮かぶ魔導カメラ。聖歌に、舞う花びら。
広場の端では、セラフィナの肖像入りグッズを売る屋台まで出ていた。
「お守り、一つで奇跡が二割増しになりますよ!」
……そんな奇跡があってたまるか。
リリアナに気づいた人々がざわついた。
「前の聖女だ」
「まだ町にいたの?」
「奇跡、使えないんだろ」
リリアナの名前は、まだこの町から消え切っていない。
ガイの拳に力が入る。
「ガイ、ダメです」
リリアナが、その手にそっと触れた。
「まだ、何もしてねえ」
「今からしそうでした」
そのとき、司会役の聖務官が声を張り上げる。
「本日の救済、まいります!」
歓声が上がった。
セラフィナが舞台へ現れる。
金色の髪が揺れ、白い聖衣の金刺繍が陽を弾く。 遠目にも華やかで、広場の視線が一斉に吸い寄せられた。
今日の救済対象は、小さな少女だった。母親に支えられ、片脚を引きずっている。
セラフィナは少女の前へ膝をついた。
「怖くありませんよ」
白いヴェールを広げる。
「祈りなさい。あなたは、もう救われています」
金色の光が少女を包み、脚に残っていた黒い呪傷が薄くなっていく。
少女は母親の手を借りながら、ゆっくりと立ち上がった。
一歩、二歩と、確かめるように足を前へ出す。
「歩けた……!」
母親がその場に泣き崩れた。
《立った!》
《聖女の奇跡だ》
《セラフィナ様すごい》
「……歩けました」
リリアナが、小さく息を吐いた。
本当に歩いている。黒かった呪傷も薄くなった。
ああ。これが聖女の奇跡なんだ。
セラフィナ様は、本当に素晴らしい。
アリアも、この人に救ってもらえばいい――
「…………は?」
今、俺は、何を考えた?
「うう……」
くーちゃんが低く唸っていた。
視線は、セラフィナではなく少女の足元を捉えていた。 俺も、そちらへ目を凝らす。
……おかしい。
歩けてはいる。だが、膝が小刻みに揺れていた。足首も、踏み出すたびに外へ逃げている。
……本当に、治ってるのか?
「……何を見てるんだよ」
ガイが、俺の視線に気づいた。
「あの子の脚だ」
ガイはそれ以上聞かず、俺の視線の先を見た。
「皆様、ご覧ください!」
司会役が声を張る。
「救われた少女が、今、自分の足で――」
「待ってください!」
リリアナが前へ出た。
「その子を、これ以上歩かせてはいけません」
歓声が、ぴたりと止まる。
「奇跡を失った女が何を言う!」
「嫉妬か?」
「救済の邪魔をするな!」
リリアナは少女を見たまま言う。
「この子の脚は、まだ休ませなければ――」
だが、誰も少女の脚を見ようとはしなかった。 向けられる視線は、ただリリアナへの疑いだけだった。
「誰かと思えば、リリアナ様ではありませんか」
セラフィナが、いたわるような微笑みを浮かべて舞台から降りてくる。
「患者を案じるお気持ちは、私も尊いと思います」
観衆が静まった。
「ですが、このままでは今日救われた方々まで、不安になってしまいます」
リリアナは、少女から目を逸らさなかった。
「不安になっても構いません」
セラフィナの笑みが、わずかに止まる。
「この子の脚が、本当に治っているか確かめる方が先です」
ざわ、と広場が揺れた。
「おい」
ガイが一歩前へ出る。
「元聖女だろうが今の聖女だろうが関係ねえ。患者が危ねえって言ってんだ。まず診せろ」
《確かに》
《でもセラフィナ様の奇跡だぞ?》
《どっちが正しいんだ?》
セラフィナが、ゆっくりと観衆を見回す。
「……なるほど」
微笑みは崩れない。
「そこまで私の救済を疑われるのでしたら、言葉だけでは皆様も迷ってしまいますね」
リリアナが顔を上げる。
「ならば明日、この場所で示しましょう」
セラフィナが、魔導カメラへ微笑む。
「私の救済と、リリアナ様の救済。どちらが本当に人を救うのか」
コメント欄が爆発した。
《聖女対決!?》
《リリアナどうすんの》
《公開処刑では?》
奇跡を失ったリリアナに、勝ち目はない。
断れば、「逃げた聖女」扱いだ。
……厄介なことになった。
「では、明日。楽しみにしていますね、リリアナ様」
セラフィナは変わらぬ笑顔で観衆へ手を振ると、聖務官たちを連れて広場を後にした。
***
対決の話題で、広場はまだ騒然としていた。
その人波の向こうで、さっき救済された親子が広場を離れていくのが見えた。
「あ……」
声をかける間もなく、人が間を横切る。
次に見えた時には、親子は脇道へ入るところだった。
「きゃん!」
くーちゃんが突然駆け出した。
「くーちゃん!」
俺も追う。ガイとリリアナも続いた。
親子が入ったのは、配信カメラも歓声も届かない、細い裏路地だった。
追いついた時、少女は石畳に座り込んでいた。
白い靴下が、赤い。
足首は腫れ、転んだ膝から血が流れている。
「……あれ?」
少女が、不思議そうに自分の脚を見る。
「痛くない、のに」
母親が笑顔のまま、その頭を撫でる。
「大丈夫よ、あなたは救われたの」
焦点の合わない笑顔だった。
リリアナの顔から、血の気が引く。
「……さっきから、これ見てたのか」
ガイが低く言った。
「歩き方がおかしかった」
それだけ答えた。
血を流しながら、少女はまだ笑っている。
「セラフィナ様が、救ってくれたから」
救われたはずだった。
なのに、カメラの届かない場所で、親子は静かに壊れかけている。
ボーロ袋へ、手を入れる。
「くーちゃん、いくぞ」
「きゅ」
一粒つまんで、親子へ歩き出した。
もし、これが偽物なら――俺が剥がす。




