第4話「数が合わない」
時間ができた時にも随時更新します!
ぜひお楽しみに!
朝いちばんに、わたしは仮説を一つ潰した。
恨みの念という線だ。
もしも圭吾さんが四人を恨んでいるなら、跡は逆を向く。
連れて行く念は、陸から海へ引く跡を残す。
砂を掻いた形になったり、爪先が水を向いたりする。
この足跡は、四列とも陸を向いていた。
誰かを引くのではなく、上がってきている。
連れに来ているのではない。
見せに来ている。
念にできることは、そんなに多くない。
言葉が使えないなら、順番と向きで伝える。
わたしはそれを、そう読んだ。
◆
漁協の朝は、五時から始まっていた。
わたしが行った八時には、もう終わりかけていた。
氷を崩す音がする。
水で流したコンクリートの匂いがする。
魚の匂いは、思っていたより薄かった。
冷たいものは、あまり匂わない。
鵜飼さんは長靴で立ったまま、番重を洗っていた。
わたしを見て、目だけで会釈をした。
「おはようございます」
「……おはようございます」
「よく眠れましたの」
水の音が、少しだけ止まった。
「寝てます」
「そうですか」
わたしは、それ以上聞かなかった。
鵜飼さんも、それ以上は言わなかった。
かけられない人の背中だった。
◆
漁協の二階の倉庫に、写真の箱があった。
紙焼きの写真が輪ゴムで束ねてある。
夏の浜の写真ばかりだった。
海の家の前で、日焼けした人たちが並んで笑っている。
水着の写真も混ざっていた。
塩見さんが一枚を抜いて、しばらく眺めた。
「昔の浜は、ようけ人が来たわ」
わたしは束のほうを見ていることにした。
「これは、いつのですか」
わたしは一枚を持ち上げた。
「そら、毎年撮っとるからな」
塩見さんは輪ゴムを外した。
「裏に書いてあるわ」
「毎年、同じ場所で撮っていらしたんですの」
「同じ場所や。海の家の前でな」
塩見さんは束をこちらへ寄せた。
「昔は、店の壁に貼り出しとった。誰が来たか、ひと目で分かるようにな」
「今は」
「やめた」
鉛筆で年が書いてある。
わたしは四年前の八月の束を選んだ。
海の家の前。
パイプ椅子と、かき氷の旗。
高校生が五人、並んで写っていた。
真ん中に、背の高い男の子。
顔が濃くて、笑い方が大きい。
その左に、細い男の子。
右に、髪を後ろで結んだ女の子。
端に、二人。
五人とも、日に焼けていた。
濡れた髪のままの子が二人いる。
撮ったのは、泳いだあとだ。
真ん中の男の子だけ、腕を横の二人へ回していた。
人を引き寄せる癖のある子の立ち方だった。
わたしは女の子の足を見た。
左の足首に、白い包帯が巻かれている。
サンダルを引きずるように履いていた。
包帯は新しかった。
巻いたばかりの、まだ白いものだ。
「この写真、誰が撮ったんですか」
「室井さんやろ。毎年、海の家の前で撮ってた」
「この年で、やめられたんですのね」
「やめた」
「なぜですの」
「……写っとる子が、一人おらんようになったからやろ」
塩見さんは写真を覗き込んで、それから黙った。
黙り方が、昨日の鵜飼さんと同じだった。
「この真ん中の子は」
「……圭吾くんや」
「隣の四人は」
塩見さんは湯呑みを持って、口をつけなかった。
「知らんな」
「四年前まで、毎年撮っていらした浜ですのに」
「知らんもんは知らん」
「塩見さん」
先に、名を呼ばれた。
「学生さん」
「はい」
「浜だけ見といてくれたら、ええんやけどな」
二回目だ。
この人は、二回言った。
「写真、一枚だけ貸していただけますか」
塩見さんは、返事の代わりに輪ゴムをかけ直した。
そして、束の上から一枚だけ抜いて、机に置いた。
置いて、階段を下りていった。
◆
わたしは砂の上に並べた。
揃えたものを、一つずつ。
一つ。
足跡は満潮の水位より上だ。
そこから始まっている。
水が運んだ跡ではない。
二つ。
緒の折り返す場所。
西へ百メートルずれている。
流された場所でも、上がった場所でもない。
三つ。
四列のうち一つが、左足を引いている。
四年前の八月。
左足首に包帯を巻いていた人が、写真に一人いる。
四つ。
消防団の走り書き。
通報者は三名と書いてある。
清書は、一名になっている。
けれど浜へ上がったのは、四人だ。
走り書きの時点で、もう一人足りない。
五つ。
四列とも、生きている人の跡だ。
死の匂いは砂にない。
沖に一つだけある。
上がってきたのが四人。
上がってこないのが、沖にもう一人。
あの日、浜には五人いた。
四人が上がって、一人が上がらなかった。
順番まで分かる。
足跡が出た順が、上がった順だ。
わたしは砂を払って、立ち上がった。
この先は、わたしの仕事ではない。
誰かに数え直してもらう仕事だ。
◆
鵜飼さんは、夕方の浜へ来た。
仕事着のまま、軍手を片方だけ外していた。
外した手のほうが、白かった。
夕方の風は、まだ陸から吹いていた。
もう少しで、海からに変わる時間だ。
わたしは何も言わずに、写真を渡した。
鵜飼さんは受け取って、長いあいだ見ていた。
持つ手が、少しずつ下がっていった。
写真の端が、風で鳴った。
「どこで」
「漁協の、二階です」
「……まだ、ありましたか」
「ありました」
それから、写真の端の一人を指した。
「これが、俺です」
声は掠れていた。
「歩幅の広い方ですわね」
「……たぶん」
「ご自分の歩き方は、お分かりになりませんの」
「分かります」
鵜飼さんは、写真を握った。
「分かるから、たぶんと言いました」
「いちばん先に上がった方でもあります」
鵜飼さんの肩が、はっきり落ちた。
わたしは砂の上の四列を、順に指した。
「一列目が、あなた」
指を動かす。
「二列目が、この細い方」
もう一つ動かす。
「三列目が、左足を痛めていた方」
最後の列を指した。
「四列目が、この端の方」
「……涼です」
鵜飼さんは、指の先を追わなかった。
「真鍋涼。あいつだけ、今どこにおるか知りません」
海を見ていた。
「四人です」
自分から言った。
「あの日、圭吾と、俺と、あと三人いました」
わたしは黙っていた。
こういうときは、黙るのが仕事だ。
「泳ごうという話は、どなたから」
鵜飼さんは答えなかった。
「何時ごろでしたの」
「昼過ぎです。いちばん潮が上がってる時分でした」
「その時分に、沖へ」
「浅いと思ってたんです。上がってるときは、いつもより遠くまで行けるので」
「行けたのですか」
「行けました」
鵜飼さんは、そこで一度息をついた。
「帰るぶんを、誰も数えてませんでした」
「俺らは上がりました」
「圭吾さんは」
「上がらんかった」
波が寄って、引いた。
「呼んだんです。何回も呼びました」
鵜飼さんは軍手を握った。
握った手が、そのまま止まった。
波が三つ寄るくらい、止まっていた。
「声、届かないんです。海の上は」
鵜飼さんは海を見た。
「近いように見えて、届かないんです」
「どのくらい離れておりましたの」
「三十メートルか、四十か」
「顔は」
「見えてました」
鵜飼さんは、海から目を離さなかった。
「見えてて、届かんのです」
「でも、走って人を呼びに行ったのは、俺じゃない」
「誰です」
「ゆきです。足、痛かったのに」
三列目。
順番が合う。
念は、嘘をつかない。
嘘をつけないから、順番でしか喋れない。
「そのあと、どうなりました」
「大人が来ました」
「どなたが」
「消防団と、漁協の人と、室井さんです」
「室井さんは、いつ来られましたの」
「いちばん最後です」
鵜飼さんは、軍手を握り直した。
「いちばん最後に来て、いちばん先に喋りました」
鵜飼さんは、そこで言葉を選んだ。
選び方が、下手だった。
「……次の日に、圭吾は一人で泳ぎに行った子になってました」
わたしは、その言い方を聞き逃さなかった。
なっていた。
誰かがした、と言わない形だ。
「どなたから、そう聞かれましたの」
「親からです」
「四人とも」
「四人ともです。同じ日に、同じことを言われました」
「あなたたちは、それに」
「はい」
早い返事だった。
「反対しませんでした」
鵜飼さんは、初めてわたしを見た。
目が赤い。
四年ぶんの赤さだった。
「でも」
鵜飼さんは、言い足した。
「圭吾が誘ったんじゃないです」
風が変わった。
わたしは、ゆっくり息を吸った。
「鵜飼さん」
「はい」
「誰も、誘った話はしていませんけれど」
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
時間ができた時随時更新します!
ぜひお楽しみに!
★感想・評価をいただけると、執筆の励みになります。




