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京都陰陽師・真琴の怪異譚 ~怪異より先に、人の事情が視えてしまう~  作者: K3/KASANE
大学生編

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第15話 送り火のあとで(後編)


 男は玄関の戸を勝手に開けて、入ってきた。


 仕立てのいいスーツに、人の好さそうな笑み。どこにでもいる営業マンみたいな顔だ。差し出された名刺には、当たり障りのない便利屋の屋号と、たぶん本物ではない名前が刷ってあった。


「不動産の整理だの、特殊清掃だの。いろいろと片づける仕事をしてましてね」


「……人も、片づけるんですか」


 わたしは平らな声で言った。男は、にこにこと笑った。


「人聞きの悪い。送る、と言ってほしいですね。縁の切れたものを、あるべき場所へ。お代をいただいて」


 この男だ。桑原を送ったのは。久野さんに緒を結んだのは。


「地上げ屋さんだの、その筋の方々だの。お得意さんはいろいろでしてね」


 男は、勝手に座布団へ腰を下ろした。


「邪魔な人がひとり消えてくれたら助かる。そういう依頼は、世の中に絶えません」


 久野さんは、青い顔でうつむいている。


「このおばあさんも、お客さんでしたか」


「ええ。なけなしのお金を握りしめて、いらしてね」


 男は、軽く肩をすくめた。


「ご主人をあの桑原に騙されて、亡くされた。気の毒に。私のお客は、たいてい気の毒な人ですよ」


 わたしは、久野さんを見た。久野さんは、震える声でぽつりと言った。


「……うちの人は桑原に騙されて、ぜんぶ取られて。それでも、わたしには謝って、笑って逝きました」


 久野さんの目から、涙がこぼれた。


「あの人が悪いんじゃない、よくある話だ、って。……でも、わたしは許せなかった」


 すっきりした顔の奥にあったものが、いま溢れていた。


「桑原はのうのうと、次のカモを探してた。法律は何もしてくれない。だから、この方に頼んだんです」



 わたしは、男のほうへ向き直った。


 めったに腹は立てない。怪異には動じないし、人の下心も最初から勘定に入れて生きている。でも、このときは、すこし声が低くなった。


「人ひとりを向こうへ送るお代が。このおばあさんの、残りの何もかも、ですか」


 久野さんから向こうへ垂れた、あの緒。あれがお代だ。桑原を送った代わりに、久野さん自身の残りの寿命と、死んだあとの行き先までが、この男に抜き取られていく。


「呪わば穴二つ、と言いますでしょう」


 男は、悪びれもせず言った。


「人をひとり向こうへやれば、送ったほうも半分、向こうへ引かれる。昔から決まっている。私は、その運び賃をいただくだけだ」


「便利な、言いようですわね」


 舌打ちして、わたしは言い直した。


「……便利な言い分です。手を下したのは頼んだ人。汚れるのも頼んだ人。あなたはお代をもらって、きれいなまま。よくできた商売ですこと」


 男は、声を上げて笑った。それから、ふとわたしの顔を覗き込んで、その笑みがすこし変わった。


「……ああ。お嬢さん、あんた」


 値踏みするような目が、わたしの奥のほうを見ていた。


「あの拝み屋の。……なるほど。あの人に縁のある子か」


 わたしは、答えなかった。


 幼い日に、わたしを犬神の里から救い出してくれた人がいる。表からも裏からも敬われて、けれど、どちらにも属さない人。あの人なら、たぶんこう言う。個人が何をしようと勝手だ。自分の領分さえ荒らさなければ、と。


「無粋はしませんよ」


 男は、肩をすくめた。


「あの人の縁には、手を出さない。それに、私の仕事はもう済んでいる。お代もいただいた」


 男は、立ち上がりかけて、付け加えた。


「このあと、あんたが何をしようと、私の知ったことじゃない。好きになさい」



 好きになさい。


 その言葉に、わたしは久野さんの緒を、もう一度視た。


 桑原を送った緒は、もう向こうで切れている。あれは戻らない。この男の仕事は、雑なまじないとは違う。一度送ったものを引き戻すことは、わたしにはできない。


 でも、久野さんから垂れたお代の緒は、まだ切れていなかった。向こうへ引かれながら、ぎりぎり、この世に繋がっている。


「久野さん」


 わたしは、できるだけ静かに言った。


「送り火を焚けば、お盆は明けます。明ければ、この緒は向こうで結ばれて、もうほどけません」


「…………」


「でも、今夜まだ燃えているうちなら。あなたが本気で望めば、わたしはこれを断てます」


「断つ、と」


「あなたのお代を返してもらう。残りの寿命も、行き先も、あなたのものに戻す。……ただし」


 わたしは、言葉を切った。これは言わなければ噓になる。


「断てば、送りも巻き戻ります。桑原は戻ってきます。また、のうのうと次の誰かを探すでしょう。法律は、やっぱり何もしてくれない」


 久野さんが、顔を上げた。


「あなたの地獄を引き受けて、桑原を向こうに留めておくか。あなたが助かる代わりに、桑原をこの世へ戻すか。決めるのは、わたしじゃありません。あなたです」


 わたしは、桃木剣の先を、お代の緒にそっと当てた。いつでも断てる。あとは久野さんが、ひとこと望むだけだ。


 久野さんは、長いあいだ動かなかった。仏壇の、おじいさんの遺影を見ていた。よくある話だ、と笑って逝った人を。



 わたしは、久野さんの答えを聞かずに、その家を出た。


 聞いてはいけない気がした。あれは、わたしが立ち会っていい選択ではなかった。


 男は、もういなかった。いつ消えたのかも、わからない。来たときと同じだ。


 あの男はたぶん、また、どこかの誰かのなけなしの金と引き換えに、誰かを送る。地上げ屋の、その筋の、あるいは久野さんのような、追い詰められた気の毒な人の。


 久野さんが緒を断ったのか、断たなかったのか。桑原が戻ってきたのか、来なかったのか。久野さんの残りの日々が、長いのか、短いのか。


 視えなかった。


 視える目を持っていても、人が自分の地獄をどう選んだかは、いつも靄の向こうだ。



 帰り道、お盆のぬるい夜を自転車で抜けながら、わたしは思った。


 わたしにも、力はある。あの男ほど器用ではないけれど、憎い相手を向こうへ押しやることくらい、できるのかもしれない。


 でも、わたしはしない。送る側にはならない。


 送ってしまえば、楽になる。それを、いちばんよく知っているから、しないのだ。


 どこかの家から、送り火の細い煙が立ちのぼっていた。ちゃんと迎えて、ちゃんと送る。境目を守っている、誰かの家の煙だ。


 寝不足は、肌に出る。わたしは首をすくめて、ペダルを踏みなおした。


 レポートの締切は、たぶん、もう過ぎている。


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