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京都陰陽師・真琴の怪異譚  作者: K3
大学生編

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第8話 となりの優等生(前編)


 その晩の電話は、めずらしく刑事さんの声が困っていた。


「視てもらいたい家があんねん。事件性は、たぶん、ない。ただ……気味が悪うてな」


 わたしは布団の中で漫画アプリを閉じた。窓の外は、もう冬の匂いがする。


 布団から出るのが、世界でいちばんつらい季節になっていた。それでも、知らない番号は、季節を選んでくれない。


「気味が悪い、というのは」


「母親が、いもせん子どもに毎日話しかけとる。ごはんも、ふたりぶん作る。塾の送り迎えも、いない子のぶんまで車のドアを開けてやるんや」


 近所では、気を病んだとも変な宗教だとも言われているらしい。


「子どもは、ひとりだけや。ちゃんと生きとる。なのに母親は、もうひとりおる、いう顔して暮らしとる」


 わたしは起き上がった。


 ……ふつうのアルバイトが、してみたかった。けれど今月も、家賃のほうがわたしの理想より先にやってくる。


「報酬は」


「出す出す。今度はちゃんと、出るほうの財布から」


 わたしは、ため息をついた。


 ふつうの女子大生は、こんな時間に、墓みたいな話で起こされたりしない。カフェのバイトの面接にでも行くのだろう。


 わたしには、その面接の順番は、たぶん一生まわってこない。



 真壁さんの家は、坂をのぼった先の、ごく普通の一戸建てだった。


 表札の字はていねいだった。庭の植木も、きれいに刈り込まれている。どこから見ても、ちゃんとした家だ。


 ただ、二階の窓に、カーテンの引かれたままの部屋がひとつあった。昼なのに、そこだけ夜のままみたいに見えた。


 使われていない部屋というのは、家のなかでいちばん念がたまる。わたしは、なんとなく、その窓から目をそらした。


 玄関には、子ども靴が二足あった。同じ大きさのものが、きちんとそろえて並べてある。


 わたしは、その二足をしばらく見た。


 片方には、うっすらと土ぼこりがついていた。もう片方は、買ったばかりみたいにきれいなままだった。


 誰も履かない靴は、いつまでも汚れない。


 わたしは、その新しいほうの靴を、もう一度見た。サイズは、土のついた靴とまったく同じだった。同じ大きさの足の子が、この家にふたりいることに、なっていた。


 母親の律子さんは、にこやかな人だった。お茶を出して、座布団をすすめて、それから当たり前みたいに、わたしの隣にもうひとつ座布団を整えた。


 四角く、きちんと、誰かのために。


「すず。先生がいらしたわよ。ごあいさつは」


 律子さんが声をかけたのは、テーブルの向こうの、誰も座っていない座布団だった。


 その斜め後ろに、本物のすずさんがいた。


 小学六年生の女の子。うつむいて、自分の膝を見ている。お母さんに名前を呼ばれても、顔を上げなかった。


 呼ばれたのは自分ではないと、もう知っているみたいだった。


 わたしは手袋を嵌めた。


 冷たくはない。死のにおいもしない。けれど、空っぽの座布団の上に、たしかに何かが座っていた。


 念の像だ。


 すずさんによく似た女の子。けれど、すずさんより少しだけ背すじが伸びていて、少しだけ髪が整っていて、こちらを見て、ちょうどいい角度で微笑んでいた。


 誰かが「こうあってほしい」と願った形に、寸分たがわず作られた、子どもだった。


(……出た)


 わたしは、顔には出さなかった。こういうとき表情を動かすと、相手に気づかれる。気づかれると、ややこしくなる。


 平気な顔で、お茶をひとくち飲んだ。よく出た、いいお茶だった。



 お茶を飲みながら、律子さんはたくさん話した。


「うちのすずは、ほんとうに、よくできた子なんです。模試もいつも上のほうで、先生にもほめられて。ね、すず」


 律子さんは、像のほうに笑いかけた。像が、こくりとうなずいた。


 本物のすずさんは、畳の上で、自分の指を握っていた。爪が白くなるくらい、強く。


 テーブルには、湯のみが三つ出ていた。わたしのと、律子さんのと、もうひとつ。


 誰も座っていない座布団の前の湯のみだけ、湯気がまっすぐ立っていた。口をつける者がいないから、いつまでも冷めない。


 わたしは、その指先を見た。


 細い念の緒が、一本のびている。生きている子の、生霊の緒だ。


 その緒は、お母さんのほうへ伸びようとしていた。何度も、何度も。


 けれど律子さんの目はいつも像のほうを向いていて、すずさんの緒は、お母さんに届く手前で行き場をなくし、ふわりとほどけてしまう。


 宛先に届かない手紙みたいに。


「すずさん」


 わたしは、本物のほうに声をかけた。


 すずさんが、はっと顔を上げた。自分の名前で呼ばれたことに、驚いたみたいだった。


「となりの席の子は、いつからいます?」


 すずさんの唇が、震えた。


「……二年生の、おわりごろ。わたしがはじめてテストで、悪い点を取った日から」


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