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京都陰陽師・真琴の怪異譚  作者: K3
大学生編

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第6話 卒業写真(後編)

京都の書斎、いちばん静かな時間。そして、東京の夜空。

最終話です。


「では、想っている本人を辿りますわ」


 わたしは式札を一枚、机に置いた。

 白い和紙の形代が、ひとりでに小さな鳥の形へほどけていく。

 翼がひとつ羽ばたくと、それは写真の上をすうっと滑りはじめた。


 念には緒がある。

 糸電話の糸のようなもので、生きた人の生霊なら、その糸はかならず本体まで繋がっている。

 たどれば、誰の念かが知れる。


 鳥が、端の人物の上で止まった。

 くちばしの先で、見えない糸をつつくように、二度。

 そして、そのまま、ふっと札に戻ってしまった。


 わたしは息を止めた。


「……切れて、いますわ」


「切れて」


「糸の先が、どこにも結ばれていません」


 生霊なら、ありえない。

 緒は必ず本体に繋がっているはずだ。

 わたしは見立てを外していた。


「……外しましたわね。いえ、外した」


 わたしは小さく舌打ちした。

 さっき得意げに胸を張った自分を、後ろから蹴り倒してやりたい気分だった。


 では、死霊か。

 わたしはもう一度、念の底を探る。


 ……違う。

 やはり、錆びた水の匂いがしない。


 死霊でもない。

 生霊でもない。

 糸の切れた念。

 本体に還る先のない念だ。


 これは、第三のものだった。


「この人は生きています。よそで、ちゃんと生きている」


 わたしはゆっくり言った。


「そのうえで、もうこの写真のことを忘れているんです。なのに『ここにいたかった』という願いのひとかけらだけが、置いていかれて、この紙に残った」


 本人すら手放したものが、物のほうにぽつんと残る。

 置き去り、というやつだ。


「でも、置き去りの念はひとりでは動けません。きっかけが要る。……それが毎週、律儀に中央へ寄ってくる。誰かが毎週、この人の席を空け続けているからですわ」


 わたしは田所さんを見た。


「あなた、この写真を何回ご覧になりました」


 田所さんはしばらく黙っていた。

 それから目を逸らしたまま、絞り出すように言った。


「……でも、あの子も来なかったんです」


 来た。


「撮影の日、来なかったんですよ。中退の手前で、もうほとんど大学に出てきてなかった。呼んだところで、どうせ来やしません。ああいう子は」


 ああいう子。


「正直に言えば、来なくて助かったと思ってました。あの子がいると、写真がなんというか、しまらないでしょう」


 わたしは写真の端の人を見た。

 誰とも目を合わせず、それでもまっすぐ前を向いて立っている人を。


 わたしはめったに腹を立てない。

 怪異には動じないし、人の下心も最初から勘定に入れて生きている。

 でも、このときばかりは、すこし声が低くなった。


「『ああいう子』」


「は」


「その一言で、二十年、ひとり分の椅子を片づけてこられたんですのね」


 田所さんが口を開けた。


「片づけたものは、消えませんわ。あなたが空けた席に、ちゃんと来ています。――呼んでも来ない、とおっしゃった人が、二十年かけて、ご自分でいちばん前まで」


 書庫がしんとした。

 誰かが息を呑む音が、やけに大きく聞こえた。



 わたしは式盤を机に置き、桃木剣の切っ先で、写真の端にごく短い線を引いた。

 祓うのではない。

 倒すのでもない。

 糸の切れた念を、もう撫でられない場所へ、そっと置き直すだけだ。


 ぬるい念が、指の下でほどけていくのがわかった。

 最後に、ほんのかすかに、安堵に似た震えがひとつ。


「鎮めました。もう勝手には動きません」


 わたしは手袋を外した。


「この席をこれからどうなさるかは、ご勝手に。撮り直すのも、空けたままにするのも、あなたの自由です。……わたしは、片づける側の理屈には興味がありませんので」


 背中を押す気はなかった。

 この人の選択に寄り添ってやる義理も、わたしにはない。



 帰りぎわ、刑事さんが図書館の古い控えを一枚見つけてきた。

 複写依頼の記録だった。


 その人は――望月さん、というらしい――中退した次の年に一度だけ、遠くからこの集合写真のページの複写を取り寄せていた。


 外された写真を、それでも、もう一度だけ見たかったらしい。


 田所さんは、その控えを長いこと見ていた。


「……最近、この写真を見るのが、怖いんです」


 絞り出すような声だった。


「助かったと思ってたはずなのに。なんで、こんなに怖いのか」


 わたしは何も言わなかった。

 その怖さが悔いなのか、ただの保身なのか、わたしには視えない。

 たぶん、田所さん本人にも視えていない。



 通用口まで送りながら、刑事さんがふと声を落とした。


「ほんまはな、あんたの前に、いっぺん別の先生に視てもろたんや」


「別の」


「御厨さん、いう人でな。特級の」


 わたしの指先が、すこし冷えた。


 御厨。

 名前だけは知っている。

 家の者が、声をひそめて口にする名だ。


「えらい先生やった。写真を見るなり『こんなもん、祓えば済む』てな。……写真ごと焼こうとしはって、田所さんが慌てて止めたんや」


 わたしは机のアルバムへ戻り、もう一度、写真の端に指を寄せた。


 鎮めた念のすぐ脇。

 紙の繊維が、爪で引っかいたようにささくれ立っている。

 誰かが乱暴に、この念を毟り取ろうとした痕だ。

 そして、取りきれなかった痕。


 (――祓う。この念を)


 置いていかれたものを、もう一度捨てる。

 二十年かけていちばん前まで歩いてきた人を、こんどは灰にする。

 それで済む。

 あの人は、そう言ったのか。


 わたしは怪異には動じない。

 でも、このとき背すじを昇ってきたものは、たぶん怪異ではなかった。



 夜の道を、ママチャリで下りながら、わたしはすこしだけ考えた。


 わたしは自分で、家の写真から抜けた人間だ。

 外されたのと、出ていったのは、ちがう。

 ……ちがう、はずだ。


 坂の途中で、わたしは漕ぐのをやめた。

 風が頬を撫でていく。

 遠くで、始発を待つ踏切が、低く鳴っていた。


 ちがう、はずだ。


 ――あの人なら。

 わたしのことも、祓えと言うのだろうか。

最後までお読みくださり、ありがとうございました。


「犬神の里のまこっちゃん」は、相談屋・慈恩シリーズの一編です。

真琴と慈恩、それぞれの他の物語も、どこかで。


もう少し歯応えのある“働く人間”の物語がお好きな方は、noteの無料マガジン〈働く人間の物語 ―名を呼ばれない人たちへ―〉もどうぞ。

https://note.com/happy_duck8972/m/m87f735c2539e


またどこかの夏で。(´ー`)

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