↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
京都陰陽師・真琴の怪異譚 ~怖がりな女子大生陰陽師は、怪異より先に人間を調べる~  作者: K3/KASANE
大学生編

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

33/144

第5話 定期券(後編)

血のつながりを知らないまま、助け合っていた二人。


 結城七海さんじゃない。

 そう言うと、刑事さんは眉を寄せた。


「ほな、誰やねん」


「それを、これから視ます」


◆


 その夜、わたしは霞ヶ原の改札の前に立った。


 終電が出たあとの駅は、しんと冷えていた。

 蛍光灯は半分落ちて、自動改札の青いランプだけが、規則正しく光っている。


 わたしは式盤を据えて、定期券をその中央に置いた。

 式神を一体、放つ。念の緒を辿らせるのだ。


 糸電話の糸のようなものだ。

 生きた人の生霊なら、その糸はかならず、本体まで繋がっている。


 緒は改札から立ち上がって、線路の上を西へ伸びた。

 わたしはてっきり、隣の県へ向かうと思っていた。中退した七海さんのほうへ。


 違った。


 緒は途中で折れて、駅前のほうへ曲がった。

 古い住宅街の、一軒の家。その二階の窓に、糸の先は吸い込まれていった。


 そこで、ひとりの女の人が眠っていた。

 五十がらみの、痩せた人だ。


 七海さんでは、ない。

 でも、顔のつくりが、よく似ていた。


 ――お母さん。


◆


 次の日、わたしは、その家を訪ねた。


 結城さんは、思っていたよりずっと穏やかな人だった。

 玄関先に、洗濯物がきれいに干してある。几帳面な家だ、と思った。


「七海の、定期のことですか」


 わたしが用件を言うと、結城さんはすこし困ったように笑った。


「あの子ったら、何度言っても、落としてくるんですよ」


 わたしは黙っていた。

 落としているのは、七海さんではない。


「あの……立ち入ったことを、訊きます」


 わたしは、つとめて平らな声で言った。


「毎朝、その定期で電車に乗っていらっしゃいますね。霞ヶ原から、洛都大学前まで」


 結城さんの穏やかな笑みが、止まった。


◆


 長い沈黙だった。


「……いけませんか」


 やがて、結城さんは小さく言った。


「あの子が毎朝、乗っていた電車です。七時十二分の。あの子の座っていた席に座ると……行ってきます、って声が、聞こえる気がして」


 毎朝、結城さんは、娘の定期で電車に乗る。

 洛都大学前で降りて、門のところまで歩いて、それから引き返してくる。


 娘が半年前まで毎朝していたことを、そっくりそのまま、なぞって。


 わたしは、ようやくわかった。

 あの定期に憑いていたのは、七海さんの念じゃない。


 結城さん自身の念だ。

 娘に通ってほしかった、という願いが、本人も気づかないまま、娘の道に焼きついていた。


 生きている人の、生霊だった。


◆


「いい大学でした」


 結城さんは、写真立てを撫でながら言った。


「あの子、頑張って受かったんです。わたしがずっと、行きなさいって。いい大学に行けば、いい人生が待ってるからって」


「でも、半年で辞めてしまって」


 そこだけ、声がすこし硬くなった。


「もったいない。せっかく、あんなにいい大学に入れたのに」


 いい大学。

 その言葉を、結城さんは何度も繰り返した。


 わたしはめったに腹を立てない。

 怪異には動じないし、人の事情も、最初から勘定に入れて生きている。


 でも、このときは、すこしだけ声が低くなった。


「結城さん。その道は」


 わたしは、券面の『洛都大学前』を指でさした。


「七海さんが、通いたかった道ですか。それとも、あなたが、通わせたかった道ですか」


 結城さんは口を開けた。

 何か言いかけて、けれど言葉は出てこなかった。


 ずいぶん経ってから、絞り出すようにその人は言った。


「……あの子の人生だってことは、頭では、わかってるんです」


 頭では。

 その二文字に、この人の二十年がぜんぶ詰まっている気がした。


◆


 わたしは、毎朝の記録の紙を机に置いた。


 几帳面に並んだ、同じ時刻の列。その中に、ひと月にいちどだけまじった、寄り道。


「汐見駅。海の見える、ふたつ手前の駅です」


 わたしは、その一行を指でさした。


「七海さんは月にいちど、ここで降りていました。大学とは反対方向に、すこし戻って。たぶん、誰にも言わずに」


 結城さんが、その駅名を見つめた。


「……知りません。そんな駅で、降りてたなんて」


「ええ。あなたの知らない、七海さんの時間です」


 几帳面に大学へ通うふりをしながら、あの子は月にいちどだけ、海を見に行っていた。

 親の敷いた一本道から、すこしだけ、はみ出して。


 それが、あの子のほんとうの息継ぎだったのかもしれない。


◆


 わたしは、桃木の剣も護符も出さなかった。


 散らそうと思えば、散らせる。結城さんの生霊をほどいて、定期券をただのカードに戻すことは、たぶんできる。

 でも、それは、この人の「娘に通ってほしい」を、無理やり剥がすことだ。


 生きた人の念を散らせば、本体に障る。

 それは、やってはいけない類のことだった。


「あれを、どうするかは」


 わたしは定期券を、結城さんの手のひらにそっと戻した。


「わたしの仕事じゃ、ありません。決めるのは、あなたです」


 気づかせるところまでが、視て、読んで、納める家の娘の役目だ。

 その先の一歩は、いつだって、本人にしか踏めない。


◆


 数日して、刑事さんが、報酬の封筒と一緒に、短い報告をくれた。


 結城七海の定期券は、もう落とし物で届かなくなったという。

 改札の記録も、増えていない。


 結城さんが毎朝の電車をやめたのか。

 娘の道を手放せたのか、それとも、ただ視られるのが怖くなっただけなのか。

 それは刑事さんも教えてくれなかったし、わたしも訊かなかった。


 七海さんが隣の県で、いま幸せにやっているのかもわからない。

 月にいちど、まだ海を見に行っているのかも。


 視える目で、いちばん見えないのは、いつだって、その先だ。


◆


 帰り道、わたしは汐見駅でいちど電車を降りてみた。


 改札を出ると、潮の匂いがした。

 坂を下りた先に、灰色の海がのっぺりと広がっている。


 べつに、きれいな海じゃない。

 だけど、ここで降りた七海さんの気持ちは、わたしにもすこしだけ、わかる気がした。


 親の敷いた線路の、ふたつ手前。

 誰にも言わずに降りる駅がひとつあるだけで、人はたぶん、息ができる。


 わたしには、それがなかった。

 だから、まるごと、線路から降りた。


 ……ちがう道だっただけ、ですわ。

 ……いえ。ちがう道だっただけ、だ。


 わたしは券売機で、洛都大学前までの切符を買った。

 帰って、レポートの続きをしなければならない。


 その締切も、たぶん、もう過ぎている。


相談屋は、静かに去ります。

( ゜Д゜)ノ 近親相姦かい!


少し難しめの“お仕事もの”は、noteにまとめてあります。よかったらどうぞ。

〈働く人間の物語〉→ https://note.com/happy_duck8972/m/m87f735c2539e

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。