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京都陰陽師・真琴の怪異譚  作者: K3
大学生編

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第5話 定期券(後編)

血のつながりを知らないまま、助け合っていた二人。


 結城七海さんじゃない。

 そう言うと、刑事さんは眉を寄せた。


「ほな、誰やねん」


「それを、これから視ます」



 その夜、わたしは霞ヶ原の改札の前に立った。


 終電が出たあとの駅は、しんと冷えていた。

 蛍光灯は半分落ちて、自動改札の青いランプだけが、規則正しく光っている。


 わたしは式盤を据えて、定期券をその中央に置いた。

 式神を一体、放つ。念の緒を辿らせるのだ。


 糸電話の糸のようなものだ。

 生きた人の生霊なら、その糸はかならず、本体まで繋がっている。


 緒は改札から立ち上がって、線路の上を西へ伸びた。

 わたしはてっきり、隣の県へ向かうと思っていた。中退した七海さんのほうへ。


 違った。


 緒は途中で折れて、駅前のほうへ曲がった。

 古い住宅街の、一軒の家。その二階の窓に、糸の先は吸い込まれていった。


 そこで、ひとりの女の人が眠っていた。

 五十がらみの、痩せた人だ。


 七海さんでは、ない。

 でも、顔のつくりが、よく似ていた。


 ――お母さん。



 次の日、わたしは、その家を訪ねた。


 結城さんは、思っていたよりずっと穏やかな人だった。

 玄関先に、洗濯物がきれいに干してある。几帳面な家だ、と思った。


「七海の、定期のことですか」


 わたしが用件を言うと、結城さんはすこし困ったように笑った。


「あの子ったら、何度言っても、落としてくるんですよ」


 わたしは黙っていた。

 落としているのは、七海さんではない。


「あの……立ち入ったことを、訊きます」


 わたしは、つとめて平らな声で言った。


「毎朝、その定期で電車に乗っていらっしゃいますね。霞ヶ原から、洛都大学前まで」


 結城さんの穏やかな笑みが、止まった。



 長い沈黙だった。


「……いけませんか」


 やがて、結城さんは小さく言った。


「あの子が毎朝、乗っていた電車です。七時十二分の。あの子の座っていた席に座ると……行ってきます、って声が、聞こえる気がして」


 毎朝、結城さんは、娘の定期で電車に乗る。

 洛都大学前で降りて、門のところまで歩いて、それから引き返してくる。


 娘が半年前まで毎朝していたことを、そっくりそのまま、なぞって。


 わたしは、ようやくわかった。

 あの定期に憑いていたのは、七海さんの念じゃない。


 結城さん自身の念だ。

 娘に通ってほしかった、という願いが、本人も気づかないまま、娘の道に焼きついていた。


 生きている人の、生霊だった。



「いい大学でした」


 結城さんは、写真立てを撫でながら言った。


「あの子、頑張って受かったんです。わたしがずっと、行きなさいって。いい大学に行けば、いい人生が待ってるからって」


「でも、半年で辞めてしまって」


 そこだけ、声がすこし硬くなった。


「もったいない。せっかく、あんなにいい大学に入れたのに」


 いい大学。

 その言葉を、結城さんは何度も繰り返した。


 わたしはめったに腹を立てない。

 怪異には動じないし、人の事情も、最初から勘定に入れて生きている。


 でも、このときは、すこしだけ声が低くなった。


「結城さん。その道は」


 わたしは、券面の『洛都大学前』を指でさした。


「七海さんが、通いたかった道ですか。それとも、あなたが、通わせたかった道ですか」


 結城さんは口を開けた。

 何か言いかけて、けれど言葉は出てこなかった。


 ずいぶん経ってから、絞り出すようにその人は言った。


「……あの子の人生だってことは、頭では、わかってるんです」


 頭では。

 その二文字に、この人の二十年がぜんぶ詰まっている気がした。



 わたしは、毎朝の記録の紙を机に置いた。


 几帳面に並んだ、同じ時刻の列。その中に、ひと月にいちどだけまじった、寄り道。


「汐見駅。海の見える、ふたつ手前の駅です」


 わたしは、その一行を指でさした。


「七海さんは月にいちど、ここで降りていました。大学とは反対方向に、すこし戻って。たぶん、誰にも言わずに」


 結城さんが、その駅名を見つめた。


「……知りません。そんな駅で、降りてたなんて」


「ええ。あなたの知らない、七海さんの時間です」


 几帳面に大学へ通うふりをしながら、あの子は月にいちどだけ、海を見に行っていた。

 親の敷いた一本道から、すこしだけ、はみ出して。


 それが、あの子のほんとうの息継ぎだったのかもしれない。



 わたしは、桃木の剣も護符も出さなかった。


 散らそうと思えば、散らせる。結城さんの生霊をほどいて、定期券をただのカードに戻すことは、たぶんできる。

 でも、それは、この人の「娘に通ってほしい」を、無理やり剥がすことだ。


 生きた人の念を散らせば、本体に障る。

 それは、やってはいけない類のことだった。


「あれを、どうするかは」


 わたしは定期券を、結城さんの手のひらにそっと戻した。


「わたしの仕事じゃ、ありません。決めるのは、あなたです」


 気づかせるところまでが、視て、読んで、納める家の娘の役目だ。

 その先の一歩は、いつだって、本人にしか踏めない。



 数日して、刑事さんが、報酬の封筒と一緒に、短い報告をくれた。


 結城七海の定期券は、もう落とし物で届かなくなったという。

 改札の記録も、増えていない。


 結城さんが毎朝の電車をやめたのか。

 娘の道を手放せたのか、それとも、ただ視られるのが怖くなっただけなのか。

 それは刑事さんも教えてくれなかったし、わたしも訊かなかった。


 七海さんが隣の県で、いま幸せにやっているのかもわからない。

 月にいちど、まだ海を見に行っているのかも。


 視える目で、いちばん見えないのは、いつだって、その先だ。



 帰り道、わたしは汐見駅でいちど電車を降りてみた。


 改札を出ると、潮の匂いがした。

 坂を下りた先に、灰色の海がのっぺりと広がっている。


 べつに、きれいな海じゃない。

 だけど、ここで降りた七海さんの気持ちは、わたしにもすこしだけ、わかる気がした。


 親の敷いた線路の、ふたつ手前。

 誰にも言わずに降りる駅がひとつあるだけで、人はたぶん、息ができる。


 わたしには、それがなかった。

 だから、まるごと、線路から降りた。


 ……ちがう道だっただけ、ですわ。

 ……いえ。ちがう道だっただけ、だ。


 わたしは券売機で、洛都大学前までの切符を買った。

 帰って、レポートの続きをしなければならない。


 その締切も、たぶん、もう過ぎている。


相談屋は、静かに去ります。

( ゜Д゜)ノ 近親相姦かい!


少し難しめの“お仕事もの”は、noteにまとめてあります。よかったらどうぞ。

〈働く人間の物語〉→ https://note.com/happy_duck8972/m/m87f735c2539e

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