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京都陰陽師・真琴の怪異譚  作者: K3
大学生編

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第5話 定期券(前編)


 その朝、わたしは珍しく、約束より早く家を出ていた。


 理由は単純で、財布の中身が心細かったからだ。

 朝いちばんの仕事は、報酬がその場で、現金で出る。月末のわたしには、それがすべてだった。


 待ち合わせは、私鉄の小さな駅だった。

 霞ヶ原。郊外の、各駅停車しか止まらない駅だ。


 改札の脇に、見覚えのあるくたびれたコートが立っていた。

 先月も小銭仕事を回してきた、私服の刑事さんだ。


「悪いね、朝早うに」


「報酬は、出ますの。……出ますよね」


 わたしは舌打ちして言い直し、念のため、二度訊いた。

 すれているわけではない。今月の家賃が、わたしの預金を冷たい目で見ているだけだ。


「出る出る。駅の落とし物係の、知り合いの口利きでな」


 駅の落とし物係。

 つまり今回も、警察の正式な仕事ではない。



 通されたのは、改札の裏手の、狭い事務室だった。


 古い棚に、傘や手袋や、持ち主に忘れられた物が並んでいる。

 その一角の小さなトレイに、定期券が一枚だけ置かれていた。


 ICの、よくある通学定期だ。

 券面に、名前が刷ってある。


『結城 七海』


 区間は、ここ霞ヶ原から、洛都大学前まで。

 わたしの通う大学だ。


「これがな」


 刑事さんが声を落とした。


「先月から、もう四回も落とし物で届いとる。誰かが拾うて、係が持ち主に連絡する。けど――」


「持ち主が、受け取りに来ない」


「ちゃう。受け取りに来るんや。ちゃんと、結城さん本人が。なのに何日かしたら、また落とし物で届く」


 わたしは手袋を嵌めてから、定期券に指先を触れた。


 ――ぞわり。


 念が昇ってくる。

 几帳面で、まじめな手つきだ。


 毎朝、同じ電車に乗る念。同じ吊り革、同じ窓、同じ景色。

 行かなきゃ、という、急かされるような念だった。


 でも、その底に、死の匂いはなかった。

 錆びた水の匂いがしない。


 この定期の持ち主は、生きている。



「もうひとつ、妙なことがあってな」


 刑事さんが、一枚の紙を出した。改札の、入出場の記録だ。


 結城七海の定期券は、先月、解約されていた。

 もう使えないはずのカードだ。


 なのに記録は、毎朝、増えていた。

 霞ヶ原、七時十二分入場。洛都大学前、七時四十八分出場。

 判で押したように、同じ時刻。一日も欠かさず。


「解約したカードで、改札は通れへん。通れへんはずのカードが、毎朝きっちり記録を残しとる。改札のカメラには――」


「誰も、映っていない」


 (――気色が悪いのは、わたしじゃなくて、こっちの現象のほうですわ)


 胸の内でだけ、わたしは言い返した。表情は、動かさない。


「……あんた、ほんまに肝が据わっとるな」


 刑事さんは、半分本気で、そう言った。



 わたしは、まず、いちばん単純な線から潰すことにした。


 本人が解約したと嘘をついて、こっそり使っている。

 あるいは、誰かが拾った定期で、毎朝通っている。


 刑事さんに頼んで、結城七海の今を当ててもらった。

 彼女は、隣の県にいた。


 半年前に洛都大学を中退して、いまは地元の専門学校に通っている。

 毎朝七時には、隣県の駅で、別の電車に乗っていた。


 改札の記録が増える、その時刻。

 彼女は確かに、県境の向こうにいた。


 ――本人ではない。線を、一本消す。


 それに、改札のカメラには誰も映らない。

 生身の人間が毎朝通っている痕跡は、どこにもなかった。



 わたしは、もう一度、記録の紙を眺めた。


 毎朝、霞ヶ原から洛都大学前まで。同じ時刻の列が、几帳面に並んでいる。

 あの定期の念と、同じ手つきだった。


 けれど、ひとつだけ。

 ひと月にいちど、その記録は、途中の駅で途切れていた。


 汐見駅。

 海の見える、ふたつ手前の駅だ。

 そこで一度だけ、改札を出た記録がまじっている。


 几帳面な毎朝の中に、ひと月にいちどだけ紛れた、寄り道。

 わたしは、その一行を、しばらく見ていた。


「……刑事さん」


 わたしは、つとめて平らな声を出した。


「この定期で毎朝通っているのは、たぶん、結城七海さんじゃ、ありません」


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