表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
京都陰陽師・真琴の怪異譚  作者: K3
大学生編

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

29/40

第3話 推薦状(後編)

二色の目をした相談屋が、廃村の真ん中に立ちます。祈りの時間です


 ずっと前に、この枠から外された誰か。

 そう言ったとき、須藤教授の柔らかい笑みが、はじめて消えた。


 心当たりのある人間の、顔だった。


  ◆


 念を確かめる前に、潰しておく線がある。

 当てずっぽうで札を切るほど、わたしの護符は安くない。


 いちばん単純な線。学生の誰かが、夜中にこっそり書き換えている。

 けれど、鍵は教授しか持たず、窓は嵌め殺し、廊下のカメラには誰も映らない。


 生身が毎晩通った痕跡は、どこにもなかった。


 ――線を、一本消す。


 残ったのは、紙に染みついた、あの古い念だ。

 わたしは、刑事さんに頼んで、古い名簿を当ててもらった。


 数年前。同じ研究室から、同じ給費留学枠に推された、ひとりの学生。

 三宅、という名だった。


 成績は文句なし。指導教員も本人に「君で決まりだ」と言っていた。書類は、ほとんど通っていた。

 なのに、締切の三日前。推薦は、別の学生に差し替えられた。


 大口の寄付をしている家の、息子に。


 三宅さんは、何も言わなかったらしい。「わかりました」と頭を下げて、それきり研究の道から、静かに降りた。


 今は隣の県で、ふつうに働いている。生きて、結婚して、子どももいるという。

 もう、留学のことなんて、思い出しもしないだろう。


 ――そこが、いちばんこたえた。


  ◆


 その夜、わたしは式盤を据えて、式神を放った。あの念の、緒を辿らせる。


 いつか似た念の緒を辿ったときは、緒は西へ伸びて、眠っている本人のところまで、まっすぐ繋がっていた。

 今度は、違った。


 緒は、机から立ち上がって、すぐにぷつりと切れていた。

 どこにも繋がっていない。本体に、還る先がない。


 ……ああ。

 本人は、とっくに手放しているのだ。


 悔しさも未練も、当の三宅さんは、もう畳んでしまった。

 ただ、当時あんまり強く願ったものだから、その願いの一片だけが、この紙に置き去りにされた。


 持ち主に忘れられた念が、たった独りで、何年も、あの席に座っている。


  ◆


 けれど、それだけでは、説明のつかないことがある。


 念は、気まぐれなものだ。機嫌で現れて、気分で消える。

 なのに、あの推薦状は、毎朝きっちりと書き換わり、毎昼きっちりと篠原の名に戻る。


 判で押したように。


 念ひとりに、そんな律儀な真似はできない。

 誰かが毎日、おなじ拍子を刻んでいる。念は、それをなぞっているだけだ。


 毎昼、篠原の名に戻しているのは――生身の手。

 鍵を持っている、ただ一人の人。


 わたしは、ようやく、いちばん大事なことに気づいた。

 この紙を毎日いちばん書き換えているのは、怪異じゃない。


  ◆


「須藤先生」


 わたしは、研究室で、教授に向き直った。


「毎昼、篠原さんの名前に書き戻しているのは、先生ですよね」


 教授の、撫でつけた白髪が、わずかに揺れた。


「……ええ。戻しても、朝には、また今村君に変わっている。気味が悪くて、何度も、何度も」


 認めた。

 この紙を書き換えていた手の半分は、この人自身だ。


「あの席にいるのは、ずっと前にここから外された人の、置き去りの念です」


 わたしは、机の上の推薦状を見た。


「でも、念は、きっかけがないと動けません」


 教授は、答えなかった。


「毎晩、先生が迷っている。その迷いを……たぶん、なぞっているんだと思います」


 わたしは、少し息を継いだ。


「だから、わたしが念を散らしても、たぶん無駄です。先生が迷うかぎり、念はまた、それをなぞります。何度でも」


 ここから先は、踏み込めなかった。

 わたしは、人の人生を決められるような、大人じゃない。


 家を出て、自分の人生ひとつ、まだ持て余している。


 だから、ひとつだけ、そっと置くように言った。


「先生は……もう、決めているように、見えます」


 舌打ちしたい気分を、こらえた。


「だから、書き換わるんじゃ、ないでしょうか」


 長い沈黙だった。空調の低い音だけが続いている。


 やがて、教授は、ひどく小さな声で言った。


「……今村君だと、思っているんです。ほんとうは。最初から」


 白髪の老人は、自分の手の甲を見つめていた。


「篠原君のお父さまには、ずいぶん世話になっている。だから、篠原君にしなければと……」


 そう言って、教授は、口をつぐんだ。


「そう書くたびに、朝になると、今村に戻っている」


 戻っている、とこの人は言った。篠原が正しくて、今村に「戻る」のだと。――いや、逆だ。


 この人の手は、ほんとうは毎晩、今村と書きたかった。

 書けないから、昼に、篠原と上書きする。


 夜のあいだに、置き去りの念が、この人の言えない本心を、代わりになぞって書く。


 綱引きをしていたのは、怪異と教授じゃない。

 この人の打算と、この人の良心だ。


 念は、ただ、良心のほうに、そっと肩を貸していただけ。


「決めるのは」


 わたしは、桃木の剣も、護符も、出さなかった。


「わたしじゃ、ありません。……いえ。わたしには、できません」


 気づかせるところまでが、視て、読んで、納める家の娘の役目だ。

 その先の一歩は、いつだって、本人にしか踏めない。


  ◆


 数日して、刑事さんが、報酬の封筒と一緒に、短い報告をくれた。


 推薦状は、もう書き換わらないという。

 一晩おいても、昼を過ぎても、宛名はひとつのまま。


 須藤教授が最後にどちらの名を書いたのかは、刑事さんも教えてくれなかった。わたしも、訊かなかった。

 訊いて、どうなるものでもない。


 ただ、ひとつだけ。


 古い推薦状の書式――何年も使い回されてきた、あの台紙の、いちばん下の隅に。

 薄い鉛筆で、几帳面な丸い字が、残っていたそうだ。


 日付がひとつ。数年前の春。そのとなりに、四文字。


 『ありがとうございました』


 まだ、外される前に。自分で決まりだと信じて、礼だけ先に書いておいたのだ。

 その律儀さだけが、何年も、あの紙に貼りついていた。


  ◆


 わたしは、もやしを茹でながら――またしても、もやしだ――ぼんやり考える。


 選ばれたのが今村さんだとして、その先で幸せになるかは、わたしには視えない。

 選ばれなかったほうが、それで終わるのかどうかも。


 三宅さんが、ぜんぶ忘れて暮らしているのが、救いなのか、諦めなのかも。


 視える目で、いちばん見えないのは、いつだって、その先だ。


 ……「ありません」と言って家を出たわたしが、これでよかったのかも、まだ視えていない。


 思って、それから、首を振った。ですわ、と漏れかけた語尾を、飲み込む。


 窓の外が、白みはじめていた。

 今朝の名前は、もう書き換わらない。誰かが一人、やっと、自分で選んだからだ。


 それが正しい一人だったかどうかは――まだ、誰にも、わからない。


悪霊を斬るのではなく、労って還す。慈恩のお仕事が、はじめて明かされた回でした。胸に残るものがあれば、★での評価を。

もう少し読み応えのある“働く人間”の物語がお好きな方は、

noteの無料マガジン〈働く人間の物語 ―名を呼ばれない人たちへ―〉もどうぞ。


→ https://note.com/happy_duck8972/m/m87f735c2539e

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ