表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
京都陰陽師・真琴の怪異譚  作者: K3
大学生編

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

24/39

第1話 空席のノート(後編)

犬の大群と、坂東先生。噛まれた腕に、黒いもの。


 刑事さんは「学生の幽霊」と言った。たぶん、間違っている。


 わたしが指先で拾った念には、死の匂いがなかった。あれは、生きている誰かの念だ。

 生きた人間の念が、本人のいない場所に、あんなに濃く溜まる――その理屈を、わたしは一つしか知らない。


 けれど、それを確かめるには、順番がある。

 当てずっぽうで札を切るほど、わたしの護符は安くない。



 まず、いちばん単純な線から潰す。

 本人が、夜こっそり来て書いているだけ。幽霊でも怪異でもなく、ただの不法侵入。――これがいちばん、ありそうだ。


 わたしは刑事さんに頼んで、休学した学生の今を当ててもらった。高木里奈。

 隣の県で、生きて、働いている。先週も、職場に出ていた。


 月曜の朝、ノートが増える時刻、あの子は確かに県境の向こうにいた。


 それに、カメラには誰も映らない。ドアの埃も乱れていない。

 生身が毎週通っている痕跡は、どこにもなかった。


 ――本人ではない。線を一本、消す。



 次の線。予言、あるいは予知。


 まだ行われていない講義が書いてある以上、誰かが未来を視ている。

 そう考えるのが、いちばん『それっぽい』。お祓いの相場も、いちばん高く取れる。


 わたしは図書館にこもって、近藤秀志という教授の、ここ数年ぶんのシラバスを漁った。

 それから、先輩から先輩へ流れていく、歴代の講義ノートのコピーも。


 ――同じだった。


 板書も、蕎麦がまずかった話も、「休講にするか迷っている」の一言も、毎年、判で押したように繰り返されている。

 近藤教授は、何年も、寸分たがわず同じ講義をしていた。


 だから、あのノートの「来週」は、予言なんかじゃない。

 この講義が、来年も再来年も変わらないだけ。決まりきった未来を、誰かが先回りで写しているだけだ。


 ……でも、それは「なぜ未来が書けるか」の答えにすぎない。

「誰の念が、あの席に座っているのか」は、まだ、何も答えていない。


 線は、二本消えた。残ったのは、いちばん面倒な一本。

 生きている人間の念が、本人を置き去りにして、あの席に通っている。


 その緒が、どこから伸びているのか。確かめる方法は、一つしかない。



 その夜、わたしはもう一度、あの講義室に立った。


 蛍光灯は落とした。式盤を、後ろから三列目の机に据える。

 暗がりに目が慣れてくると、藍色の闇の底に、机の段がゆっくり浮かび上がってきた。


 ――かさ。


 めくれた。誰もいない席で、ノートのページが、一枚。


 わたしは動かない。動いたら、負ける。

 式盤の十二支が、ことり、と一つぶん回った。


 かさ。かさ。律儀な手つきだ。

 一字も飛ばさず、聞き漏らさず、いちばん前の席よりも熱心に、誰かが板書を待っている。


 椅子が、ぎ、と鳴った。座り直したのだ。窓際の、いちばん視線の通る席で。


 ……見てますわね。

 ……いえ。見てる。誰もいないのに、こっちを、見てる。


 背中の産毛が、一本残らず立った。

 喉の奥で悲鳴を噛み殺しながら、わたしは式盤の上に式神を放った。念の緒を、辿らせる。


 緒は、机から立ち上がり、窓をすり抜け、夜の街を西へ、西へと伸びていった。

 県境を越えて、隣の県の、小さなアパートの一室まで。


 そこで、ひとりの女が眠っている。高木里奈。

 生きて、疲れて、布団の中で、たぶん今も、あの席の夢を見ている。


 生霊だ。


 あの子の魂の、いちばん飢えた一片が、夜ごと身体を抜け出して、古巣の席に通っている。

 本人も、気づかないまま。



 研究室を訪ねると、近藤教授は、思っていたよりずっと小さな人だった。


 白髪まじりの、痩せた肩。机の端に、新しい大学ノートが一冊、ビニールも外さないまま積んである。

 同じ銘柄の、同じ罫線。あの席に毎週置かれていたのと、寸分違わない。


「……先生が、置いているんですね」


 問いではなかった。

 教授は長いあいだ黙って、それから、観念したように頷いた。


「高木さん、いう学生でね」


 ノートの山を見つめたまま、教授は言った。


「いつも、後ろから三列目の窓際に座っとった。質問はせん。けど、誰よりよう書く子でした」


 親御さんが、女に学はいらん、という人だった。

 下に弟がいて、そっちに金をかけたい、と。


 本人は泣いて頼んだが、聞いてもらえなかった。二年の冬に、休学。理由は、家。


「あの席に、ノートを置くとね」


 教授は声を落とした。


「次の週、増えとるんです。あの子の字で。……わたしは、それがこわくて。けど、やめられんかった」


 置けば、来る。

 教授のノートが、あの子の生霊を呼ぶ呼び水になっていた。


 罪悪感が、毎週、あの子の魂の飢えた一片を、ここへ手招きしていたのだ。



 わたしの家は、お金には困っていなかった。視える、なんて余計なものまで持っていた。

 それでも、言われたことは結局、同じ形をしていた。


 お前の居場所はもう決まっている、外にお前の知りたいものなんて無い、と。


 わたしは「ありません」と言い返して、家を出た。

 高木里奈は、「わかりました」と言って、筆を置いた。


 あのノートに、何度も書かれていた一行。

 わかりました。わかりました。わかりました。――あれは、講義の書き取りなんかじゃない。


 あの子が最後に飲み込んだ、たった一つの言葉だ。



「祓いません」


 わたしは教授に言った。


「わたしには、できません。……いえ。しません」


 教授は戸惑った顔をした。

 お金を払う相手が「やらない」と言うのだから、当然だ。


「祓えますわ。ひと晩で。気配を散らして、ノートを白紙に戻して、ここをただの部屋にすることは、たぶん、できます」


 舌打ちして、言い直す。


「できます。――でも、あれは死んだ人じゃない。生きている人の、魂の一片です。あれを祓うのは、隣の県で眠っているあの子の、生身を削ることだ」


 生きた人の生霊を散らせば、本体に障る。最悪、本人が床に就く。

 学びたいと願った罰が、それでは、あんまりだ。


「あの席に座っているのは、幽霊じゃありません。あの子が置いていった『学びたかった』そのものだから。消したら、駄目です」


 わたしは、積まれた新しいノートを指した。


「先生がノートを置き続けるのは、たぶん、償いなんでしょう。でも、それは里奈さんには届きません。届けたいなら、ノートじゃなくて――」


 言いかけて、わたしは口をつぐんだ。

 ここから先は、わたしの仕事じゃない。


 気づかせるところまでが、視て、読んで、納める家の娘の役目だ。決めるのは。


「あなたが、決めてください」



 近藤教授がそのあとどうしたのか、わたしは詳しくは知らない。


 ただ、しばらくして、刑事さんが報酬の封筒と一緒に、短い報告をくれた。

 教授が大学の事務で「復学相談」の窓口を調べ、高木里奈の実家あてに、一通の封筒を出した、と。


 返事が来たかは、わからない。あの子が戻ってくるかも、わからない。

 わからないことだらけだ。


 でも、次の月曜、あの席のノートは、もう増えていなかった。呼び水が、止まったからだ。

 隣の県で、あの子の魂は、たぶん少しだけ、ぐっすり眠れるようになった。


 空席は、空席のまま。けれど、そこで延々と続いていた講義は、どうやら終わったらしい。

 誰か一人が、やっと「あなたの席は、まだある」と言ったからかもしれない。


 わたしは、もやしを茹でながら――また、もやしだ――ぼんやり思う。


「ありません」と言って出てきたわたしと、「わかりました」と言って留まったあの子。

 たった一語の違いで、ずいぶん遠くまで来てしまった。


 ……いえ。違う。あの子だって、まだ終わってなんかいない。

 封筒は、もう、出されたのだから。


 窓の外で、街灯がひとつ、今度はちゃんと、理由があって灯っていた。


腐った鉄のような臭い。


大人の職業ドラマが読みたくなったら、

noteの無料マガジン〈働く人間の物語〉へ。


→ https://note.com/happy_duck8972/m/m87f735c2539e

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ