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京都陰陽師・真琴の怪異譚 ~怖がりな女子大生陰陽師は、怪異より先に人間を調べる~  作者: K3/KASANE
大学生編

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第1話 空席のノート(前編)

ここから大学生編です。


犬神の里編を未読でも、物語に必要なことは本編内で分かります。


女子大生陰陽師・真琴が、大学や京都に潜む怪異の謎を一件ずつ解き、納めていく連作謎解きホラーです。


 待ち合わせは、講義棟の裏手だった。


 最後の講義を終えて自転車置き場へ歩いていくと、街灯の手前に見覚えのある背広が立っている。

 先日の夜、電話をかけてきた私服の刑事さんだ。

 昼の光で見ると、思っていたよりくたびれたコートを着ていた。


「悪いね、講義終わりに」


「短時間で終わるなら、お受けしますわ。……いえ、受けます」


 わたしは小さく舌打ちして言い直した。


「明日は一限から実験ですので。寝不足は、肌に出ますから」


 刑事さんは曖昧に笑った。

 十九の小娘が真顔で報酬と睡眠時間の話をするのに、まだ慣れていないらしい。


 コートの肩に、粉っぽい白いものがうっすら付いている。チョークの粉だ。

 ついさっきまで、黒板のある部屋で誰かと話していた。たぶん、今から行く場所の主と。


「報酬は、ちゃんと出るんですよね」


「出る出る。大学の、まあ……研究室の自腹やけどな」


 研究室の自腹。つまり、警察の正式な案件ではない。

 表に出せない、誰かの私的な困りごとだ。


 わかってはいたけれど、念のため言質は取っておく。

 すれているのではない。お金がないだけだ。


◆


 通されたのは、百人は入りそうな大講義室だった。


 夜の講義室というのは、どうしてこう、昼と別の生き物になるのだろう。

 長机が段になって下りていき、いちばん下に黒板と教卓。


 蛍光灯は半分だけ点いていて、点いていない側の席は、薄い藍色の闇に沈んでいる。


「これなんやけどね」


 刑事さんが指したのは、後ろから三列目、窓際のひと席だった。

 その机の上に、ノートが一冊、きちんと置かれている。


 よくある、罫線の入った安物の大学ノート。表紙には何も書かれていない。

 けれど角はひとつも折れておらず、机の縁ときっちり平行に、定規でも当てたみたいに真っ直ぐ置かれていた。


 誰かが、とても丁寧に置いたのだ。


「毎週なんや。月曜の朝に来ると、この席にノートが増えとる。中身が、な」


 わたしは手袋を嵌めてから、ノートに指先を触れた。


 ――ぞわり。


 指の腹から、何かが昇ってくる。書いた者の念だ。

 紙には、書き手の心が薄く染みつく。墨より深い層に、たいていは本人も気づかないまま。


 わたしは、その層を読める。


 几帳面。律儀。それから――飢え。

 学びたい、という、焦げつくような飢えだ。


 息を整えてから、ノートを開いた。

 ぎっしりだった。几帳面な、丸い文字。一字も乱れていない。


 書いてあるのは、この大学の講義の内容だった。それも、板書をただ写したのではない。

 教授がついでに零した雑談――先週の学会で食べた蕎麦がまずかった、来週は休講にするか迷っている、そういう、ノートに取る必要のないことまで、全部、丁寧に書き留めてある。


「カメラには?」


 わたしは訊いた。


「映らへん。廊下のも、講義室のも。誰も入っとらん。なのに、増える」


 誰もいない部屋で、誰かが、講義を受けている。


「学生の幽霊やろか」


 刑事さんが、声を落とした。


 わたしは答えなかった。――違う。

 さっき指先が拾った念には、死の匂いがしなかった。


 死んだ人間の念には、必ず、冷えて湿った匂いが混じる。これには、それがない。

 なのに、生きた人がここに座っている気配もない。


 じゃあ、これは何ですの。

 ……いえ。これは、何だ。


 表情は動かさない。けれど内心では――ひっ、と短く息を呑んでいる。

 姿の視えるものより、こういう「気配だけ濃いもの」のほうが、わたしは苦手だ。


 見えないぶん、想像が勝手に走り出す。


◆


「この席な」


 刑事さんが続けた。


「去年まで、ひとりの学生がいつも座っとった席なんやと」


「いつも、同じ席に?」


「そう。几帳面な子でな。一限でも、いちばんに来て、ここに座る。窓際の、後ろから三列目」


 わたしはもう一度、ノートの文字を見た。

 丸い、几帳面な字。一字も乱れていない。


 さっき念から拾った「飢え」と、同じ手つきだ。


「その子は、今は」


「家の事情で、休学した。去年の冬や。……それきり、戻ってきてへん」


 家の、事情。

 その四文字が、やけに耳の奥に残った。


◆


 ノートを閉じようとして、最後のページで指が止まった。


 日付が振ってある。来週の、月曜。――まだ、来ていない日付だ。

 そこには、来週の講義の内容が、すでに書かれていた。


 板書も、教授の雑談も。

「来週は休講にするか迷っている」と書いたその人が、まだ口にしてもいない来週の話が、几帳面な丸い字で、もう、待っている。


「……刑事さん」


 わたしは、つとめて平らな声を出した。


「この講義の先生、来週、休講にします?」


「いや、聞いてへんけど……なんで」


 わたしは答えなかった。

 答える代わりに、もう一度だけ、最後の行に指を触れた。


 念は、まだ温かい。死者のものではない、温かい念が、来週その人が話すはずの言葉を、もう、ここで待っていた。


 死んでいないのに、ここにいる。――それが、いちばん、こわい。


挿絵(By みてみん)

エンジョイ真琴ちゃん

https://youtu.be/cyRZps6grtM


最後までお読みいただき、ありがとうございました。

時間ができた時随時更新します!

ぜひお楽しみに!


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