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京都陰陽師・真琴の怪異譚  作者: K3
犬神の里

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第16話 四十七人目

何度消えても、無傷で戻る。真琴の疲れも、父の結界札の消耗まで、見抜いてしまう。

「ぼく、ただの相談屋ですからー」

——その言葉を、真琴はもう、信じていません。

では、この男は、いったい何をしにこの村へ来たのでしょう。


 地上へ上がると、境内は人で埋まっていた。


 裸の者。


 破れた服を着た者。


 四つん這いのまま、立ち方を思い出せない者。


 誰も声を出さない。


 人の喉へ戻ったばかりで、使い方が分からないのだ。


 朝の冷たい空気に、荒い呼吸だけが重なっていた。


「こちらです!」


 隼くんが手を上げる。


 美咲さんのそばに、若い女性が倒れていた。


 片桐奈緒さん。


 最初に神社で見た犬だ。


 美咲さんが、奈緒さんの胸へ耳を当てている。


「息をしていません」


「脈は?」


「分かりません」


 奈緒さんの首へ指を当てる。


 冷たい。


 脈を探す。


 ない。


「坂東先生、救急車を」


「もう呼んでいます。ただ、この村まで――」


「分かっています」


 二十分以上かかる。


 待てない。


 奈緒さんの顎を上げ、胸の中央へ両手を置いた。


「真琴ちゃん」


 慈恩様が、隣へ膝をつく。


「心肺蘇生の経験は?」


「講習だけです」


「十分です。押して」


 胸を押す。


 一。


 二。


 三。


 硬い。


 思っていたより、ずっと力がいる。


 肋骨が折れそうで怖い。


「もっと強く」


 慈恩様の声。


 押す。


 奈緒さんの口から、水のようなものが流れた。


 黒く濁っている。


 犬の毛が混じっていた。


「術が残っています」


 喉の奥に、黒い影が見えた。


 身体は人へ戻った。


 だが、犬として過ごした時間が長すぎたのだ。


 人の心臓が、自分の動き方を忘れている。


「代わります」


 黒瀬様が、わたくしの向かいへ座った。


「できますの?」


「救命講習は毎年受ける」


「意外です」


「黙って数えろ」


 黒瀬様の手が、一定の速さで胸を押す。


 わたくしは奈緒さんの口元を確認した。


 息は戻らない。


 周囲の人々が、こちらを見ている。


 四十六人。


 助かった者たち。


 でも、顔に喜びはなかった。


 奈緒さんが戻らなければ、自分たちだけ助かったことを責めるだろう。


 また、誰か一人が生贄になる。


 形を変えて、術が続く。


「奈緒さん」


 耳元で呼ぶ。


「片桐奈緒さん」


 反応はない。


「戻ってください」


 返事はない。


 名前さえ呼べば戻る。


 そんな都合のよい話ではなかった。


「何か、聞こえませんか?」


 慈恩様へ尋ねる。


「何も」


「魂の声は?」


「聞こえません」


 胸の奥が冷えた。


「もう、いないのですか?」


「それをぼくに決めさせます?」


 優しくない返事だった。


 けれど、必要な返事だった。


 慈恩様は、わたくしが諦める理由になってくれない。


「代われ」


 黒瀬様の息が上がっている。


 再び胸を押す。


 一。


 二。


 三。


 腕が痛い。


 汗が目へ入る。


 何も変わらない。


「真琴さん」


 美咲さんが呼んだ。


「この人、ずっと私たちを見ていました」


「え?」


「犬だったときです。食べろって声がすると、この人だけ反対を向いた」


 美咲さんは隼くんから距離を空けたまま、奈緒さんを見る。


「私が隼へ近づくたび、間へ入ってくれた」


 奈緒さんは最初に変えられた者ではない。


 わたくしが村へ来たとき、先頭にいた犬でもなかった。


 いつも群れの端にいた。


 攻撃せず、こちらを見ていた。


 あの目。


 怖がっていたのではない。


 何かを伝えようとしていた。


「この方が、犬たちを止めていた」


 四十六人が生きている理由。


 ひなた一人の力ではなかった。


 奈緒さんも、犬の中から抗っていた。


 そのぶん、術を強く受けたのかもしれない。


「奈緒さん」


 胸を押しながら話す。


「あなたが守った方々は、戻りました」


 返事はない。


「ですから、もう頑張らなくていい」


 自分で言って、違うと思った。


 もう頑張らなくていい。


 それは、ときに死んでもいいという言葉になる。


「いいえ」


 言い直す。


「頑張るかどうかは、あなたが決めてください」


 胸を押す。


「戻りたいなら、お手伝いします」


 押す。


「戻りたくないほど苦しいなら、それも聞きます」


 何も起きない。


 それでも押す。


「だから、一度だけ、返事をしてください」


 わたくしの手の下で、かすかな音がした。


 とくん。


 気のせいかもしれない。


「黒瀬様」


「続けろ」


 とくん。


 今度は、確かに感じた。


「脈があります!」


「まだ止めるな」


 胸を押し続ける。


 奈緒さんの身体が跳ねた。


 口から黒い水を吐き出す。


「がっ……」


 空気を求める音。


 自分で息を吸った。


「奈緒さん!」


 目は開かない。


 だが、胸が上下している。


 生きている。


 力が抜けた。


 その場へ座り込む。


 手が震えていた。


「戻った……」


「まだ安心するな」


 黒瀬様が奈緒さんを横向きにする。


「呼吸が浅い。救急隊が来るまで見ていろ」


「はい」


 四十六人の中から、一人の男性が這ってきた。


 野上雅人さん。


 人の顔をした子犬だった人。


 まだ声は出ない。


 それでも奈緒さんのそばへ座り、冷えた肩へ自分の上着をかけた。


 次の人が来た。


 また次も。


 自分の服を脱ぎ、奈緒さんと、裸で震える者へ渡していく。


 誰か一人に守らせない。


 助かった者が、助からなかったかもしれない者を囲む。


 それでいい。


「救急車の音です!」


 隼くんが鳥居の向こうを指す。


 遠くから、サイレンが近づいてくる。


 朝の山道へ、赤い光がちらついた。


 けれど、一台ではない。


 二台。


 三台。


 さらに後ろから、灰色の車列が続いていた。


「自衛隊ですか?」


「違う」


 黒瀬様の顔が険しくなる。


「内閣霊災対策室だ」


 政府の車が、鳥居の前で止まった。


 防護服の者たちが降りてくる。


 担架より先に、黒い箱を運んでいた。


 箱の側面に、赤い文字がある。


 《霊的汚染物収容用》


「救助では、ありませんの?」


 黒瀬様は答えなかった。


 車から、白いスーツの女性が降りた。


 四十七人を見渡す。


 奈緒さんを見ても、表情を変えない。


「生存個体、四十七」


 手元の端末へ入力する。


「全個体を収容します」


「個体ではありません」


 わたくしは立ち上がった。


 膝が震えている。


 それでも、女性の前へ出た。


「この方々は、人です」


 女性は、わたくしを一度だけ見た。


「人かどうかは、検査後に決定します」



「あの方は、我々が待っていた増援かもしれません」


坂東のその一言に、真琴の頭の中で、何かが繋がりかけます。

糸目の、ぐったりした、サンダル履きの——この人が、父の代わりに来たベテラン?


「廃村、面白いですよね」


実は、一番てんぱっていたのは坂東さんだった ( ´∀`)


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