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京都陰陽師・真琴の怪異譚 ~怖がりな女子大生陰陽師は、怪異より先に人間を調べる~  作者: K3/KASANE
白衣を着る骨

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白衣を着る骨 前編


 骨に、白衣が掛かっていた。


 畳んで、襟を内側にして。


 掛けた人は、いない。



 電話は、朝の八時に鳴った。


 下宿の電話は枕元にない。


 廊下の壁にある。


 冬でなくても、朝の板は冷たい。


「大津さん。白衣って、盗みますかね」


 私服の刑事さんは、いつも用件から話す。


「値段によります」


「値段はつきません。十年以上前の型です」


 わたしは受話器を持ち替えた。


 窓の外は、まだ薄い。


 電線に雀が三羽いた。


「毎朝、一枚ずつ減ってるんですよ。倉庫の在庫が」


「減った先は」


「骨に掛かってます」


 わたしは背を伸ばした。


「報酬は」


「交通費と、缶コーヒー二本」


「二本」


「自販機が二台あるんです」


 安い。


 受けた。


 家賃の前では、缶コーヒー二本も二本だ。


 自転車の鍵を探すのに、五分かかった。


 鍵は炊飯器の横にあった。


 なぜ。


 坂を下って、橋を渡って、北の門から入った。


 朝の構内は、人より鳥が多い。


 部の立て看板が、夜の雨で反っている。


 医学部の棟は、いちばん奥にある。


 着くまでに、缶コーヒー二本の価値を三回考えた。



 医学部の建物は、ほかの棟より天井が高い。


 廊下が長い。


 床の艶が、途中から変わる。


 増築の継ぎ目だと、あとで聞いた。


 消毒の匂いと、古い木の匂いが半分ずつ。


 換気扇が、どこかで低く回っている。


 止まらない音は、しばらくすると聞こえなくなる。


 聞こえなくなってから、また気づく。


 解剖学教室の隅に、骨が立っていた。


 組み立てた標本だ。


 金具の台に載って、片腕を少し前に出している。


 その骨に、白衣が掛かっていた。


 肩からではない。


 畳んだものを、胸のあたりに載せてある。


 供えるように。


「これを、毎朝」


「毎朝です」


 刑事さんが手帳を開いた。


「学生の悪戯だと思うんですがね」


「倉庫の鍵の話ではありません」


 わたしは白衣に顔を近づけた。


 糊のにおいがしない。


 洗って、干して、そのまま畳んだ布のにおいがする。


 襟の型が古い。


 名札を留めていた糸のあとが、二つ残っている。


「古い型の在庫が、どこの棚にあるか。それを知っている人が何人いますか」


「……三人ですね。掃除の担当と、教室の長と、事務」


「では悪戯の線は、いちばん単純ですけれど、いちばん人が足りません」


 刑事さんが手帳を閉じた。


 閉じるとき、少しだけ残念そうな顔をする。


 単純な線が好きな人だ。


 わたしも好きだ。


 通ったことは、あまりない。


 わたしは骨を見た。


 骨は、部位ごとに色が違った。


 右の腕はやや黄色く、左の腕は白い。


 肋のあたりは灰色に近い。


 継ぎ目に細い針金が通っている。


 巻き方が場所ごとに違う。


 組んだ人が、何人かいたのだろう。


 前歯が二本欠けていた。


 欠けた縁が丸い。


 長いあいだ、こすれてきた形だ。


 左の腕だけ、ほかより白い。


 土のつかない場所に置かれていたのだろう。


 その腕が、ここで左に使われている。


 誰かの左ではなく、この標本の左として。


(同じ人の体では、ないですわね)


 舌打ちした。


(ないですね)



 掃除の担当だった人は、三年前に辞めていた。


 電話番号は事務が持っていた。


 事務の人は、番号を書いた紙を伏せて渡した。


 伏せて渡す人だった。


 それだけで、少し気が楽になった。


「ああ、あれ、わし掛けてましたわ」


 国分さんという人の声は、思ったより元気だった。


「掛けていた、理由は」


「理由て。裸で立ってはるんやもん」


 受話器の向こうで、湯を注ぐ音がした。


「寒そうやん」


「寒そう」


「そら寒そうやろ。冬は窓際やで、あれ」


 骨に、寒いという感覚はない。


 あるとしたら、掛けた人の側にある。


「あれ、誰かの体やから」


 誰か、と言った。


 誰々さん、とは言わなかった。


「辞めてから、掛けに行かれたことは」


「ないない。行けませんやろ、部外者やし」


「一度も」


「一度も。あんな、鍵のいる部屋やもん」


 礼を言って切った。


 受話器を置いた手が、少し汗ばんでいた。


 これで、いちばん単純な線が消えた。


 三年前に辞めた人の習慣が、三年ぶん続くことはない。


 教室に戻ると、刑事さんが骨に軽く頭を下げていた。


「癖ですか」


「いや……なんか、見られてる気がして」


 正しい感覚だ。


 言わなかった。



 朝いちばんに教室へ来るのは、波多野さんという院生だった。


 白衣の袖が、両方とも短い。


 背が高い。


 目の下に、寝ていない色がある。


「僕です」


 最初の質問で、そう言った。


「掛けているのは、僕です」


「なぜ」


「わからないんです」


 波多野さんは自分の右手を見た。


 見る目つきが、他人の手を見る目つきだった。


「気がついたら、畳んでるんです」


「覚えていないのですか」


「覚えてます。それが、いやなんです」


 手が動く。


 自分の手が、自分の順番で動いていない。


 止めようとすると、指が遅れて動く。


 全部見えているのに、止まらない。


「先生には」


「言いました。疲れてるんやろって」


 そう言われた人の顔だった。


 わたしは畳まれた白衣を持ち上げた。


 布は、思ったより重い。


 襟が、内側に折り込まれている。


「この畳み方は、どなたに教わりました」


「……教わってません」


 見て覚える畳み方だ。


 これは、布を人に掛けるときの手つきだ。


 死んだ人に。


 家で何度も見た。


 祖母の手つきが、いちばん速かった。



 式札を一枚出した。


 紙は薄い。


 朝の湿気で、少しやわらかくなっている。


 波多野さんの手のそばで指を切ると、札が紙の鳥になって、手首のあたりで止まった。


 緒が見えた。


 一本。


 細い。


 向きが、逆だった。


 念の緒は、たいてい人から物へ伸びる。


 残したい人が、残したい物へ手を伸ばすからだ。


 この一本は、物から人へ入っていた。


(入られている)


(それも、朝のいちばんに来る人から)


 鳥に辿らせた。


 緒は骨へ戻った。


 骨のところで、束になった。


 一本で終わらなかった。


 何本あるのか、数えられない。


 紙の鳥が、骨の前で止まって、羽をたたんだ。


 辿る先を選べないときの止まり方だ。


 こんな止まり方は、はじめて見た。


 呼び戻すと、鳥は羽の先から紙に戻った。


 戻り方が遅い。


 嫌がっている。


「大津さん」


 刑事さんが小声で言った。


「その骨、朝は、どっち向いてました」


 わたしは覚えていた。


 入ったとき、骨は窓を向いていた。


 いまは、こちらを向いている。


 台は動いていない。


 床の埃に、車輪のあとがない。


 首だけが、こちらにある。


「――こちら、もう見られていますわ」


 舌打ちした。


「……見られています」


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