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京都陰陽師・真琴の怪異譚 ~怪異より先に、人の事情が視えてしまう~  作者: K3/KASANE
犬神の里編  ※大学生編からでも読めます。

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第10話 人の顔をした子犬

千年続く陰陽師の家に生まれたお嬢様・真琴が、父の代わりに踏み込んだのは、地図から消えた村でした。

蛙も鳥も鳴かない。風さえ入らない。


——けれど、臭いだけがある。


見えないものが、いちばん怖い。


 巨大な白犬が、暗い穴の底に横たわっていた。


 前脚。


 後ろ脚。


 四本とも、黒い杭で床へ打ちつけられている。


 腹は裂かれたまま、閉じていない。


 その傷口へ、何十匹もの子犬が群がっていた。


 乳を飲んでいるのではなかった。


 裂けた腹の奥へ顔を入れ、黒い血をすすっている。


 子犬たちの顔は、人だった。


 老人。


 若い男。


 泣いている女。


 目を閉じた子ども。


 身体だけが犬で、首から上には失踪者たちの顔がついている。


 四十七人ではない。


 もっと多い。


 何世代も前から、この穴へ落とされた人たちだ。


「これが、犬神大明神……?」


 坂東先生の声が、低く響く。


「いいえ」


 わたくしは、首を振った。


 白犬からは、神の気配がしない。


 清浄でも、邪悪でもない。


 ただ、痛い。


 苦しい。


 逃げたい。


 それだけが、穴の底から押し寄せてくる。


「この犬は、神ではありません」


 床下へ下りる梯子があった。


 木は新しい。


 誰かが、いまも使っている。


 坂東先生が先に下りた。


 わたくしも続く。


「足元へお気をつけください」


「はい」


 最後に、慈恩様が梯子へ手をかけた。


「あなたも来ますの?」


「置いていかれると、迷いますので」


「ここまで迷わず来た方が?」


「運がよかったんですねえ」


 また語尾が伸びた。


 隠している。


 けれど、いま問い詰めても答えないだろう。


 穴の底へ足をつける。


 冷たい泥が、足袋へ染み込んだ。


 床だと思っていたものは、土だった。


 壁は石で組まれている。


 古い地下祭壇。


 中央に白犬。


 その周囲を囲むように、石柱が八本立っていた。


 柱には、人の名前が刻まれている。


 藤原。


 片桐。


 森下。


 野上。


 失踪者名簿にあった名字だ。


 ただし、刻まれた年月は古い。


 明治。


 大正。


 昭和。


 同じ名字が、何度も現れる。


「家ごとの柱です」


 わたくしは、一つずつ文字を追った。


「この村では、犬神へ捧げる家が決められていました」


「捧げる家?」


「いいえ」


 言い直す。


 柱の並びは、供物を示していない。


 八本の柱から伸びた溝が、すべて白犬へつながっている。


 その溝の中に、黒い血が残っていた。


「捧げられる家ではありません。捧げる側の家です」


 八つの家が、代々、村人をここへ連れてきた。


 白犬へ血を流し込む。


 人を犬へ変える。


 変えた犬に、次の家族を食わせる。


 その繰り返しで、何かを得ていた。


「村の繁栄」


 坂東先生が言った。


 記録にあった。


 犬へ食わせれば、村は栄える。


「林業だけで、この山中の村が長く残れた理由ですわね」


「人を差し出して、山の恵みを得ていた」


「そう見せていた、だけかもしれません」


 白犬を見る。


 骨が浮くほど痩せている。


 何百人もの血を飲まされてきたのに、力に満ちてはいない。


 むしろ、すべてを奪われている。


 神として村を栄えさせた存在には見えなかった。


 人面の子犬が、一匹、こちらへ顔を上げた。


 若い男の顔。


 目が合う。


「たすけて」


 口だけが動いた。


 その声に、ほかの子犬たちも顔を上げる。


「たすけて」


「かえりたい」


「おなかがすいた」


「おかあさん」


 人の声が重なった。


 子犬たちが、白犬の腹から離れる。


 こちらへ近づいてくる。


 坂東先生が、桃木剣を構えた。


「待ってください」


「襲われます」


「この方々は、助けを求めています」


「同じ言葉を使って誘ったのを、忘れたのですか」


 忘れてはいない。


 まこっちゃん。


 父の顔。


 声も記憶も、罠に使う。


 けれど、今度は違う。


 真似をしている声ではない。


 言葉と目が同じものを訴えている。


「坂東先生。あの方の右手を」


 若い男の顔をした子犬。


 犬の前脚の先に、人の指が一本だけ残っている。


 爪の間に、青い塗料がついていた。


 失踪者資料に、同じ写真があった。


 二年前、廃村へ入った塗装工。


 作業帰りに立ち寄り、そのまま消えた。


「記憶だけでは作れません。身体も、まだ本人です」


 桃木剣を下ろす。


 子犬が、わたくしの足元まで来た。


 鼻先を足袋へつける。


 噛まない。


 震えている。


 しゃがみ、手を近づける。


 十二歳の冬と同じだった。


 犬の姿。


 人の怯え。


 あのとき、剣を振れなかった。


 それを弱さだと思ってきた。


 でも。


 もし、振っていたら。


 この人を斬っていた。


「あなたのお名前は?」


 子犬の口が震えた。


「……まさ……と」


「野上雅人さん」


 失踪者名簿の二十六人目。


 子犬が、目を閉じた。


 名前を呼ばれたことに、安心したように。


「まだ、戻れます」


 今度は、軽々しく言ったのではない。


 名前が残っている。


 身体の一部も残っている。


 この術は、人を完全な犬へ変えられてはいない。


 何度も上書きし、家族を食わせ、本人に自分を諦めさせることで、ようやく完成する。


 なら、完成する前なら戻せる。


 完成したあとも、名前を取り戻せれば。


「慈恩様」


 返事がない。


 振り返る。


 慈恩様は、白犬の前に立っていた。


 糸目を閉じたまま。


 片手を、犬の額へ置いている。


 白犬は暴れない。


 杭で止められているからではない。


 慈恩様の手へ、自分から頭を預けていた。


「何を、していますの?」


「話を、聞いてます」


「犬と?」


「まあ、ね」


 語尾は伸びなかった。


 嘘ではない。


 本当に、この犬と話している。


「何と?」


 慈恩様は、しばらく答えなかった。


 白犬の呼吸が、少しずつ静かになる。


「この子、誰も食べてませんよ」


「ですが、村の記録には」


「食べさせられた。でも、飲み込まなかった」


 慈恩様が、裂けた腹を見る。


「全部、自分の中に残してる」


 人面の子犬たち。


 食べられた人間ではない。


 白犬が、飲み込まずに守ってきた魂だった。


 自分の腹を裂いて。


 血を与えて。


 何十年も。


 何百年も。


「では、この犬は」


「犬神大明神じゃないです」


 慈恩様の声から、いつもの軽さが消えた。


「最初の、生贄です」


 地下の空気が、重くなった。


 白犬の目から、涙が一筋こぼれた。


 犬神へ人を捧げたのではない。


 最初に犬を捧げ。


 その犬へ、村の罪をすべて押しつけた。


 神という名前まで与えて。


「誰が、この術を」


 石柱を見る。


 八つの名字。


 その一つに、藤原がある。


 美咲と隼の家。


 姉弟は、被害者であると同時に、術を継いだ家の子孫でもある。


「真琴様」


 坂東先生が、一本の柱を指した。


 藤原の名の下。


 新しい文字が刻まれている。


 昨日、彫られたばかりの白い傷。


 《美咲》


 その下に。


 いま、見ている間にも、文字が浮かび始めた。


 《隼》


「止めないと」


 柱へ駆け寄る。


 桃木剣を振り上げる。


 石柱そのものを壊せば、家と術のつながりを切れるかもしれない。


「待って」


 慈恩様の声。


 剣を止める。


「なぜですの?」


「それ、壊したら、この子も死にます」


 白犬が、こちらを見ていた。


 八本の柱は、術を維持する杭。


 同時に、白犬の命をつなぐものでもある。


 壊せば、美咲と隼を救える。


 代わりに、何百人もの魂を守ってきた白犬が死ぬ。


「では、どうすれば」


「それを、決めるのが」


 慈恩様は、わたくしを見た。


 細い目が、ほんの少しだけ開いていた。


「陰陽師さんのお役目じゃないですかね」


 また、わたくしへ返した。


 白犬か、姉弟か。


 いま決めれば、どちらかを見捨てる。


 だから、決めない。両方を救う道を先に探す。


 そのとき。


 地下の入口で、拍手がした。


 ぱち。


 ぱち。


 ゆっくりと。


「よく調べた」


 知らない男の声だった。


 黒い狩衣を着た男が、梯子の下に立っている。


 胸には、政府の金色の印。


 あとから来る、本命。


 男は、白犬を見て笑った。


「そこまで分かれば、もう十分だ」


 右手に、赤い護符を持っている。


「あとは、その化け物ごと焼けばいい」



最後までお読みいただき、ありがとうございました。


時間ができた時随時更新します!

ぜひお楽しみに!


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