⑨明るく楽しい歌を、心を込めてお届けいたします!
エフロック神官に先導されて案内されたのは、神殿の中でもかなり格式高い一室だった。天井は高く、中央には豪奢な赤い絨毯が敷かれている。
同じ神殿内の部屋であるにも関わらず、シスリィの私室とはまた趣がかなり違っている。
部屋の奥。重厚な造りの机の向こうに深紅の法衣に身を包んだ人物が座していた。
この神殿の最高責任者——エイワン神殿長である。
容姿端麗で、思いのほか若い。エフロックの話では、狂王と親交があったという。だとすれば十五年前にはすでに神殿長の座についていたはずだ。少なくとも五十歳は超えているだろう。にも関わらず、見た目は二十歳後半にしか見えない。
となれば、エルフ族などの長命種族の血を引いているのかもしれない。
流れるような銀髪と深い緑色の瞳。陶磁器のような透き通った肌が、見るものに畏敬の念を抱かせる。なるほど、まさに大神殿の神殿長にふさわしい佇まいだ。
エフロック神官が恐縮しきった様子で状況を説明すると、神殿長はゆっくりと顔を上げた。その視線は、まず私を通り過ぎ、アルフレッドで一瞬止まり、それから再び私へと戻ってきた。値踏みするような視線だった。
「エフロック、少し席を外してもらえますか?」
エフロックは、恭しく頭を垂れると、そのまま音もなく部屋を出て行った。扉が控えめな音を立てて閉じる。
「ミュゼッタ殿。そして、アルフレッド殿ですね」
神殿長の声は予想に反して静かで穏やかだった。
「まず、このような形でお呼び立てした失礼をお詫び申し上げます。あなた方の来訪の目的も聞き及んでおります。……しかし、このような事になろうとは」
「まさか窃盗の第一発見者になってしまうとは、私も正直驚いています」
そう答え、少し愛嬌のある笑みを浮かべてみせる。とりあえず偉い人には笑顔を向ける。それが詩人の処世術である。
神殿長は、微動だにせず私を見つめた。
「……おおよその内容は聞いてはおりますが、改めて詳しい経緯をお聞きしたい。何故ミュゼッタ殿は、絵画が盗まれたのだと判断したのですかな」
穏やかな物言いだけど、まるで、私を値踏みするような、測っているような、そんな視線である。
突然やってきた外部の人間だ。警戒されるのは仕方がないとはいえ、そんな不躾な視線を向けられるのは心外だ。だが、ここで怯んでいては話にならない。
私は気圧されぬようにあえて堂々と答えた。
「かしこまりました。順を追ってご説明いたします」
私は両腕を腰の位置に置き、あえて胸を張って語り始める。
「まず、宝物殿の一部の壁の色が四角く変わっていることから、つい最近までそこに絵画が飾られていたのではないかと考えました」
神殿長は黙って聞いている。
「そして、その場所にある釘がおかしな方向に曲がっていることに気づきました。おそらく、それは額縁を留めていた釘で、普通に絵画が外されたのであれば、そのような曲がり方はしないはずだと考えました」
私はまっすぐに神殿長を見つめる。彼は軽く目を瞑って、私の声だけを聞いていた。
「つまり、何者かが急いでいるあまり、乱暴に引き剥がした。そのような外し方をする必要に迫られるのは、絵画を盗み出そうとする泥棒しかいないのではないか──そう考えました」
私の説明を聞いている間、神殿長はぴくりとも動かなかった。その表情は、私の語りに感心しているのか、それとも別のことに気を取られているのか、いまいち読み取れない。
やがて、神殿長はゆっくりと目線を落とし、机の上の書類に手を置いた。
「なるほど。一応、筋は通っているように思えますね」
彼はそう言い、微かに口元を緩めて頷く。
それまで私を値踏みしていた眼差しが、わずかに和らいだように見えた。
「それで、犯人の目星はついているのですか?」
その問いに対しては、正直に答えるしかない。
「……申し訳ありません、神殿長様。現時点では、犯人の目星も、動機の見当もついておりません。加えて、どうやって盗み出されたのか、その手口もさっぱり。まったくもって不明です」
横に立つアルフレッドが、ちらりとこちらを見て小さくうなずく。知ったかぶりをしなかったのは偉いぞ、褒めてやる、とでも言いたげな顔だ。まったく、なんで偉そうなんだろう。
「つまり、現段階では盗まれたということだけで、他は『何もわかっていない』と、そういうことですね」
「はい……」
「そうですか。わかりました」
少しだけ冷たい響きの声色だった。
怒っている? いや、ただの発見者である私に対して不機嫌になられても困るのだが。
「……では、ミュゼッタ殿、アルフレッド殿。ここから先は他言無用に願います」
その声には、有無を言わせぬ威圧感と、少しばかりの緊張が混じっていた。
「エフロックからも聞いたでしょうが、あの絵は神殿にとって『禁忌』です。もともと人目に触れてはならないものとして保管してきました。それ自体、あまり公にできる話ではない。ましてや、その禁忌を紛失したともなれば、かなり厄介な事になります。……言っていることは、わかりますね?」
神殿長はゆっくりと立ち上がり、窓辺に歩み寄った。陽光が彼の肩を照らし、銀髪が淡く輝く。彼はそのままこちらを振り返った。逆光になったその顔ははっきりと見えず、表情が読み取れない。
「万が一、このことが神官たちに知られれば、『神殿内の誰かが盗んだのでは無いか』と、あらぬ疑いを持つ者が出るかもしれません。善良なる信徒たちにおいて、互いに猜疑心に苛まれながら暮らす事は、耐え難い苦しみでしょう。……私は、そのような不信の種を撒きたくはない」
彼は再びこちらを振り向き、きっぱりと言った。
「──ゆえに、あの絵は『もとより存在しなかった』ことにします。エフロックにも、宝物殿の目録から削除するように指示を出すことにします」
耳を疑う言葉だった。
これって不祥事の隠蔽?
いや、この人は絵画の存在そのものを無かったものとすると言っている。
不隠蔽どころか、ほぼ事実の改竄だ。
それは流石に無茶がすぎる。
「……エイワン神殿長様」
私は思わずその名を呼んだ。
「エフロック上級神官から伺いました。あの絵画を神殿に残すようお命じになったのは、あなただと。そんなあなたが、何故、絵画を存在しなかった事にするなど……」
神殿長の目が私を見据えた。
「そうですね……不思議に思っても仕方がない話かもしれません。説明は難しいのですが……あの絵は私にとって『戒め』でした」
「戒め?」鸚鵡返しに聞き返す。
「表向きは、狂王の狂気を読み解く史料として保管するよう命じていました。しかし私にとってあの絵には別の意味があったのです。あの絵を見るたびに、私は自らの過ちを思い出し、己の無力を恥じる。そのような役割があったのですよ」
「……時折、絵を見て自戒するために残した、ということですか?」
問い返すと、神殿長は小さく頷いた。
「そう。ハイエイト王が狂気に飲まれる前、私は彼と互いに尊敬しあう『友』でした」
それは予想以上にショッキングな告白である。狂王と交流があっただけではない。神殿長は、狂王と友人だった。それは、エリクス教に所属する者としては確かに隠したい過去だろう。
私の表情から察したのか、神殿長は言い訳をするように続けた。
「昔は彼もとても敬虔なエリクス教徒だったのですよ」
彼はしばらく目を瞑った。何かを思い出している様子だった。
「だが、ご存じの通り、彼は変わってしまった。道を踏み外し、狂気に呑まれた。……私は友として何もできなかった。女神の教えを伝える者として、なんと情けない話でしょうか」
神殿長はほんの僅かに口元を歪めた。
「では、なおのこと、何故、絵画をなかったことにするのですか?」
「理解し難いでしょうが……長年、自戒のために保管していた絵画が煙のように消え失せた。これは、私が戒めから解き放たれる時が来たのだという女神の思召しなのだ、と、そう思ったからです」
そう言って、薄く微笑む神殿長。
これまで絵画を大切に保管しておきながら、今になって急に存在をなかった事にしようとしている。
どこか説明が場当たり的で、所々に嘘を交えて語っているような気がする。
──エイワン神殿長は、何かを隠している。
そう感じた。
「……王は変わってしまったとおっしゃいましたが、何が原因で変わってしまったのですか?」
私の問いかけに、神殿長は視線を窓の外へと向けた。
「……彼は『裏切り』を極端に嫌っていました」
窓の外では、雲が静かに流れていた。ゆっくりと神殿長が振り返る。
「かの王は、幼い頃、人質として生きていました。国同士の盟約を保つため、継承順位の低い王族が人質として別の国の庇護下に置かれる——そんなことは、戦争が激しい時代には珍しくないことです。賓客としての扱いは受けるでしょうが、いつ命が奪われてもおかしくない。そんな毎日を過ごす心労は、我々には計り知れないものです」
私は何も言えずに神殿長の話を聞いていた。
「——心の傷というものは、深いほど静かに膿んでいくもの」
神殿長は天井を仰いだ。何かを思い出しているかのようだった。
「詳しい内容は語りませんでしたが、幼い頃から何度も裏切られたと本人は語っていました。そして彼は『裏切り』そのものを憎み、恐れるようになった、そう語っていました」
そこで言葉が途切れる。言うか言うまいかを悩んでいる様子だった。
「彼の二人の兄が相次いで流行病で亡くなり、人質状態から急遽呼び戻されて王位を継承することになった——そしてそれまで彼を疎んで来た者たちが、手のひらを返して傅くようになった。そんな運命の転換すら、彼にとっては世界の裏切りだと感じられたのかもしれません」
狂王にまつわる、そんな話は初めて聞いた。その数奇な運命が、彼の心を歪めて、恐ろしい暴君へと変貌させたというのだろうか。
望まれなかった者が、望まなかった場所へ連れていかれ、望まない人生を送り、望まない形で故郷に帰ってきた。詩にすれば悲劇だ。
しかし、私はそれを歌にする気には到底ならなかった。
「つまり、誰かに裏切られ、それが引き金となって王は変貌したと、そういうことでしょうか」
神殿長は深く頷いた。
「誰に、どのように裏切られたのかはわかりません。……ですが、たとえ誰かに裏切られたのだとしても、妻や子、家臣、民までもを手にかける理由にはなりません」
この件について彼はかなりの怒りを感じている。そう思えた。
「あまつさえ——罪なき神官や巫女たちの命を奪い神殿に火を放つなど……女神エリクスドットへの明白な冒涜。決して許されざる暴挙です」
彼の表情には、抑えようのない怒りが滲み出ていた。神殿長は、狂王を友として悼みながらも、同時に言いようのない怒りを彼に抱いている。相反する感情が、この人の中でせめぎ合っているのだ。
「彼とは確かに友でした」
神殿長は窓の外を見つめたまま、静かに続けた。
「しかし……思えば、彼の中にはいつも危うさがありました。あの頃の私は、その危うさを見抜きながらも、何もしなかった。……できなかった。それを懺悔し続けることこそが、私にとっての『戒め』です」
彼は何かを隠しながら話している。
決して核心には触れまいと曖昧に言葉を濁そうとしている。
そう思えた。
「……では、なぜ王はこの神殿に絵画を寄進したのですか?」
私は言葉を選びながら尋ねた。神殿長は少し考えたが、遠い目をして微かに微笑んだ。
「王ではなく、ファリス妃が私個人に肖像画を送ってくださったのです」
「妃様が、あなた個人に?」
「ええ。『王と私の友情の証に』——そう仰せられて」
やはり、どこか引っかかる。
王との友情のためなら、王自身が贈ればいい。なぜ妃が王の贈り物を神殿長個人に送るのだろう。
確実に神殿長は何かを隠している。
狂王の狂気、消えた絵画、そして神殿長の隠し事。物語が繋がりそうで、靄のように広がっている。
こんな面白そうな謎を放置して、平静でいられるはずがない。
私は心を決めた。この神殿に留まり、真実を探ろう。
しかし神殿長の態度からすると、彼は私たちが調べ回る事を好まないはずだ。
ならば、何らかの口実が必要だ。
「エイワン神殿長様」
私は努めて明るく声を上げ、にこやかに頭を下げた。
「このような時に不躾なお願いで恐縮ですが、しばらく神殿に滞在させていただけないでしょうか?」
隣でアルフレッドが、露骨に「やめろ」と目で訴えてくる。私は気づかぬふりを決め込んだ。
「巫女姫シスリィ様を題材にした新たな英雄譚を作りたいのですが、ご本人に断られてしまって……。しかし諦めきれないのです。今しばらく、説得を試みたいと思うのですが」
神殿長はしばし沈黙した後、ふっと口元を綻ばせた。
「そういえば、あなた方は元々そのような目的で当神殿を訪れたのでしたね」
彼は窓の外を一瞥してから、穏やかな声で続けた。
「先ほど、そこの窓から、あなたが中庭で歌っておられる様子が見えました」
彼の口元に、わずかな笑みが浮かんだ。
「あの時の皆の笑顔は印象的でした。滞在中は、ぜひ歌を神殿の者たちに聞かせてやってください」
内心で小躍りしたい気分だった。作戦成功だ。
「もちろんでございます、神殿長様。 明るく楽しい歌を、心を込めてお届けいたします!」
私は満面の笑みで答えた。
こうして、私たちの神殿での滞在が正式に許可された。
謎に迫るための時間が、これで確保できた。
退室の挨拶をし、扉へ向かおうとしたその時、不意に隣を歩くアルフレッドが視界から消えた。
振り返ると、彼は壁に掛けられた一本の大弓の前に立ち尽くしていた。
弧を描くようにしなやかに反った木。丁寧に手入れされた弦。随分と使い込まれているように見える。
アルフレッドはじっとその弓を見つめている。
「立派な弓ですね」
気がつけば、口をついて出ていた。
「幾度もの冬を越えてきたことをうかがわせる風合い。とても美しく力強いです。この弓が放つ矢が風を切る所を見てみたいものですね。……でも、こんなものが神殿長の執務室に飾ってあるなんて、少し意外です」
私の言葉に、神殿長が微笑む。
「意外、ですか。……そうかもしれませんね」
神殿長は、ふっと短く息を吐いて立ち上がった。壁際へ歩み寄り、静かに弓を指先でなぞる。
「見ての通り、私は少しばかりエルフ族の血を受け継いでいましてね。父がエルフ族でした。この弓は、その父の形見のようなものです。しかし、弓は武の象徴。女神に仕える者の部屋に飾るには相応しくないかもしれません。ですが、この弓だけは捨てる気にはなれませんでね」
「しっかりと手入れがなされている。今も使っているのでは?」
アルフレッドが尋ねる。
神殿長は少しだけ言葉に詰まったようだったが、微笑むと弓を手に取る。
「ええ。時折、神殿の周囲に魔物が出ることがあります。その魔物を追い払うときに使うこともありますのでね。そのための鍛錬は欠かさずに行っております」
そう言って、神殿長は弓を手に取ると引き絞って見せる。
思わず息をのむ。
無駄がない。迷いがない。弦を引き絞るその所作は、長い歳月をかけて研ぎ澄まされた熟達の技。今この時だけは、彼は神に仕える者というよりは、獲物を狙う熟練の射手のように見えた。
アルフレッドは思わず感心したように呟いた。
「見事な型です。相当な腕前とお見受けします」
「王家直属の騎士に褒めていただけるとは、光栄ですね」
神殿長は少しだけ照れくさそうに笑いながら弓を壁に掛け直すと、そっと指を離し、私たちの方へ向き直った。
「滞在中、必要なものがあれば遠慮なく言ってください」
神殿長は優しげに微笑む。その視線は、どこか探るように感じられて、居心地が悪かった。
「お心遣い、感謝いたします」
私とアルフレッドは頭を下げ、扉へ向かう。
振り返り、最後にもう一度軽く頭を下げた。
「では、失礼いたします」
私は小さく息をつき、長い廊下へ足を踏み出した。
廊下は随分と静かだった。




