⑩やっぱり……そういう事だったのね
神殿長との面会から数時間後。
私たちはエフロック上級神官に、詩の作成のためにもう一度宝物殿を閲覧したいと願いでた。
「ミュゼッタ殿……神殿長から宝物殿閲覧の許可が降りたというのは間違いないのですよね?」
再び宝物殿に戻って扉開けるエフロックの目は泳いでいた。最初に宝物殿を案内していた時の誇らしさはどこへやら。所作はぎこちなく、これ以上、自分の管轄で揉め事が起きて欲しくない、といったビビリの表情である。
私はニッコリと微笑みかけて見せる。
「ご心配なく、エフロックさん。エイワン神殿長からは、神殿の皆さんに歌を披露する代わりに、英雄譚の題材を探すための滞在許可をしっかりといただいています! だから宝物殿への立ち入りも許されているはずなのです」
アルフレッドが「それは拡大解釈が過ぎるんじゃ無いか?」という顔をしているが、それを無視して部屋をぐるっと巡る。
宝物殿の中は、先程入った時と何も変わらない。
誰も入っていないのだから当然だ。
翻って考えれば、誰も証拠を処分したりしていない状態であるとも言える。
宝物殿の内部をざっと一周したが、特に何も摑めなかった。ただの遺物の集まりにしか見えなかった。
二周目に入ったとき、私は意識的に歩みを遅らせた。この空間に潜む違和感とでも呼ぶべきもの。それを見つけなければならない。詩人としての観察眼が問われる。
絵画が消えた壁の前で、私はしばらく足を止めた。壁に残る微かな色の滲み。長年、額縁が壁に触れていた跡だろう。
この痕跡が、確かに「ここに絵があった」と物語っている。
だが、犯人はどうやって持ち出したのか。
宝物殿の出入口には常に警備の騎士が立っている。
さらに宝物殿に続く回廊には、昼夜問わず神官達が歩き回っている。大きな絵画を抱えて通り抜けたりすれば、必ず誰かの目に留まるはずだ。
そんな事を考えながら、聖剣の台座に戻ったとき、ふと、剣の刃に付着したあるものに目が留まった。小指の先ほどの大きさの微細な欠片。
それが何かはすぐにわかった。
「これ……乾いた絵の具の欠片だ」
私は身をかがめ、目を凝らした。欠片の断面に、色の層が幾重にも重なっているのが見える。描かれてから年月の経った絵画特有の積層だ。
──聖剣と絵画。この二つが触れる機会があったという事?
瞬間、頭の中でカチリと何かが噛み合うような感覚があった。
「エフロックさん」
私は神官の名を呼ぶ。声は平静を装う。しかし心の中では若干の興奮気味である。
「盗まれた絵画の額縁って、木製でした?」
エフロックは一瞬たじろぎ、目を泳がせてから肯いた。
「ええ。木の枠に薄板を張っただけの簡素なものでした。禁忌の絵画ですからね。華美な装飾が施された額縁が用意される事はありませんよ」
「真鍮や銅のような金属製ではなかった、と」
私は念を押すように続ける。
エフロックは強く頷いた。
……確証が得られた。
私の視線は聖剣の刃へと戻る。
アルフレッドに向き直ると、彼は壁にもたれ、私の様子をぼんやりと見つめていた。
「アル、『切れ味増強』が付与された剣だったら、私でも太い木の枝を切れる?」
彼は剣身をちらりと見て、淡々と答えた。
「ああ。付与が有効なら、バターを裂くように斬れるだろうな。しかも力はほとんど要らない。木の枝くらいなら刃こぼれもしないだろう」
霧が一気に晴れていく感覚。
でも、まだ完全に全てが明らかにはなっていない。
私の視線は自然と神殿長の法衣へと吸い寄せられていた。
そして、その視線は、袖口と胸元の裏側に縫い込まれた大きなポケットに移っていく。
切れ味が増強された聖剣。
剣に付着した絵の具の欠片。
法衣の大きなポケット。
──そうか、それならば、扉の前の騎士も、廊下の神官も、何ら疑わずに絵画を通すだろう。公然と悠々と持ち出しができる人物がいるではないか。
「物語が繋がったわ」
私は小さく呟いて、そっとアルフレッドの近くに駆け寄った。
「ねえアル、お願いがあるんだけど」
「なんだ」
私はアルフレッドに耳打ちする。
「エフロック神官の注意を引いて。何か彼がおしゃべりを始めそうな質問をして、意識を完全にそちらに向けて欲しいのよ」
彼は一瞬眉をひそめた。
「何でそんな事を」
「いいから! 事件の謎を解き明かすためよ!」
彼はしばらく嫌そうに眉間に皺を寄せていたが、やがて深いため息をついて頷いた。
舞台は整った。
私はそっと法衣に向かって歩き始めた。
「……エフロック上級神官」
アルフレッドが低い声でエフロックを呼び止める。
名を呼ばれたエフロックは、すぐにアルフレッドへ向き直った。
「アルフレッド殿。いかがなされましたか?」
「その……」
アルフレッドは詩人の私と違って、会話の引き出しを一つも持っていない。だから普段から感動を言葉にしなきゃって言っているのに。
アルフレッドは額に汗をかきながら、なんとか言葉を紡ぎ出そうと必死だ。
「その……そこの聖剣は……その、切れ味とかはどうなんだ」
「はい?」エフロック神官は完全に虚を突かれた顔をした。
「切れ味ですか? 少し前にご自分で解説なさっていたような……」
「……いや、あれは、その、護衛騎士としての意見だ。神官である貴殿の意見が聞きたい」
アルフレッドの発言内容は、ますます不器用になる。
「神官としての意見?」
「あ、いや、どうだろうか。神殿騎士達が使っている剣も切れ味は聖剣と同じくらいなんだろうか」
「それはわかりかねます」
エフロック神官は、困ったように答えた。かなり訝しんでいるようである。もう少し頑張れ、アルフレッド!
「ええと、じゃあ、こっちのこの鍵はなんだ? この黄金色の鍵」
彼は黄金色の鍵を指さした。
「こいつは他の宝と比べても明らかに扱いが違うな! 随分と厳重に保管されているじゃあないか」
「ああ、その鍵が気になりますか」
エフロックはニヤリと笑みを浮かべる。
「その鍵は、この神殿のあらゆる扉を開閉できる『ロウクスの主鍵』です。神官たちの私室や執務室といった物理的な扉だけではありません。この宝物殿のような魔術的な封印が施された扉であっても、この鍵の前では意味を成しません」
アルフレッドはわざとらしく驚いたふりをして見せる。
「……なんと! それはつまり、神殿の『すべての部屋』に入ることができるってことか?」
「ええ。開くも閉じるも自由自在。ただし、これを扱うことが許されるのはただ一人。現職の神殿長だけです。この鍵には、代々の神殿長に継承される魔術的な認証が施されています。形が同じでも、他の者が手にしても反応しませんし、無理に使用しようとすれば錠のほうが壊れます」
「なるほど、それはすごい鍵なんだな!」
言いながら、アルフレッドが私のほうをちらりと見る。
私は少しずつ目的の法衣に近づいているが、まだ少し距離がある。
ジェスチャーで「まだ引き延ばして」と伝える。アルフレッドは目を丸くしたが、すぐに苦虫を噛み潰したような顔で頷いた。
「じゃ、じゃあ、あの石だ! あの魔石! あの大きな奴! 人の頭より大きいな! すごいな! 今度はあれについて教えてくれ!」
「あ、ああ、あれですか。あれは、一説によると竜の体内から摘出されたといわれる巨大魔石で……」
エフロック神官が魔石の方を向いた。ちょうど私に背を向けた状態になる。
アルフレッドが魔石を覗き込む振りをして、神官と私の間に入った。
ちょうど彼の身体が壁のような位置どりになる。
ナイス! やればできるじゃない!
これならば、エフロック神官に見とがめられる心配はない。
私はその隙を見逃さなかった。
チャンスは今しかない!
私は、一気に神殿長の法衣に近づいた。
そのまま、法衣の内側、胸元の異常に大きなポケットにそっと手を伸ばす。
ポケットの入り口はかなり大きい。手を滑り込ませれば、簡単に中身を探ることができる。
──あった!
指先に触れたのは、布地の繊維とは異なる、硬くて薄いカケラだった。
急いでそれを摘み出し、手のひらに隠す。
背後でアルフレッドの声が途切れた。どうやら『大きな魔石』の話題はもう限界だったようだ。
「……ええと、ええと、あー、次は、そこの悪魔の角だ! その、あれは、なんだか石みたいだが、やはり硬いのか?」
アルフレッドは、もはや無理やり話題を捻り出している。
エフロック神官は、悪魔の角が持つ伝説を語りたかったのだろう。困惑の色を深めたが、アルフレッドの真面目な顔を見て、必死に答えを探そうとする。
その間にも、私は手のひらの中のカケラを確認した。
それは、聖剣の刀身に付着していたものと全く同じ物だった。わずかに緑がかった黄色と、黒っぽい土のような色の層が混ざった、硬い絵の具の破片。
「やっぱり……そういう事だったのね」
推理が裏付けられた。
ふと見ると、アルフレッドの額には、大粒の汗が滲んでいる。
私はゆっくりとアルフレッドの方へと歩いた。
「……ええと、で、では、その角と鉄とだとどっちが固いのかな? 悪魔の角といえど鉄より硬いということはなかろう」
「……もう良いわよ、アル」
私は、アルフレッドの尊厳が完全に失われる前に声をかけた。そして、エフロック神官に向き直る。
「エフロックさん、おかげで素晴らしい詩の着想が得られそうです! 神殿の皆様に素敵な歌をご披露できそうです! どうもありがとうございました!」
私は最高の笑顔で感謝を述べた。
「では、わたくしどもは、一旦この辺で失礼させていただきます!」
私はアルフレッドを連れて宝物殿を出た。
二人の扉番の神殿騎士の横を通り、回廊をしばらく進んだところで、アルフレッドが強い抗議の視線を私に向けてくる。
「……二度と俺に悪魔の角の硬さなどというわけのわからん質問をさせるなよ」
「いや〜? またいつかお願いするかも」
「絶対にやめろ」
アルフレッドは不機嫌そうな顔のまま、私を追い越して一歩前を歩いた。
部屋に帰ると、私はカバンからハンカチを取り出し、机に広げた。次に小さな絵の具のカケラを取り出し、ハンカチの上に並べる。
隣ではアルフレッドが、まるで呪われた品でも見ているかのように、顔をしかめて立っている。
「……で、どうなんだ? お前がやりたかった事は成功したのか?」
「もちろん、大成功よ! なにしろ、絵画を盗んだ犯人が特定できたんだもの」
私は満面の笑みで頷いて見せる。
「何? 犯人がわかった? そいつは誰なんだ?」
私は、カケラに指先で軽く触れながら、声をひそめた。
「絵画を盗んだのは、あなたも会ったことがある人よ」
アルフレッドは、一瞬何を言われたかわから無かったようで、しばらく固まった。
「……俺が窃盗犯に会ったことがある、だと?」
「窃盗犯じゃないわ。正確にいうと『絵画破壊犯』ね」
「絵画破壊犯? どういうことだ」
私は、ひとつひとつ推理を組み立てていった。
「まず、あの大きさの絵画をそのまま外に持ち出すのは不可能。宝物殿の入り口を守る神殿騎士やすれ違う神官達は、大きな荷物を持っていればすぐにわかってしまうもの。だから、犯人は、絵画を『細断』することを選んだ」
「細断……?」
「ええ。そこで使われたのが、あなたが『ただの強化武器』と評価した、あのイーゴの聖剣よ」
私が得意げに言うと、アルフレッドは眉をひそめた。意味がわからない、という表情である。
「あの聖剣は、切れ味増強の魔法がかかっている。非力な人間でも木の枝もバターのように切ることができる。あなたはそう言っていたわよね? なら、額縁ごと絵画を切り刻むのも訳ないはずよ。そして、絵を細かくバラバラにすれば、あとは宝物殿から持ち出すだけ」
アルフレッドが片手をあげて私を制する。
「待て。細かくして目立たなくなったかもしれんが、切った絵もそれなりの量があるだろう。どうやって持ち出したっていうんだ」
私は、ニヤリと笑った。
「そこで、あの神殿長が儀式で使う法衣についていた大きなポケットの出番なのよ。エフロックさんは『経典用だ』と言っていたけれど、あれだけ深く平たいポケットは、裁断された絵画の破片を運ぶのにもってつけの隠し場所になるわ」
アルフレッドは首を傾げた。
「あの法衣? あれは神殿長だけが着れる物だろう? それを犯人はどうやって──」
「鈍いわね。その犯人が、『神殿長』だって言っているのよ」
アルフレッドは驚いた顔で聞き返してくる。
「何だって? 神殿長が窃盗犯だっていうのか?」
「神殿長が儀式の際に宝物殿の中で法衣を着てそのまま自室に戻るのは皆知っていること。おそらく、着替える時はエフロックも宝物殿には立ち入らないのでしょう。だから、彼は堂々と宝物殿を出て、そのまま自室まで帰る。誰一人として、彼がポケットに『絵の残骸』を詰めこんでいるなんて疑わない」
アルフレッドは、しばらく黙って私の推理を反芻し、やがて呆然と呟いた。
「……あの神殿長が絵画をバラバラにして持ち出したと?」
「そうよ。持ち出した後は、暖炉に焚べるなりして証拠を消せばいい。絵画そのものの存在を消した後は、元々誰も見向きもしなかった絵画なのだから、皆が忘れるまでほっとけばいい。私が紛失に気がついたのは誤算だったみたいだけど。だから無理矢理、自分の権力を使って『元から存在しなかった』ことにしたんじゃないかしら」
「だが、なんで神殿長はそんな事をしたんだ?」
アルフレッドの質問に、私は言葉に詰まる。
確かに、絵画持ち出しのトリックについては、犯人、道具、方法、すべてが繋がった。
しかし、肝心の動機だけはどうしてもわからない。
「それについては、今の情報だけじゃわからないわ」
アルフレッドに答えたものの、ほとんど自問のように呟く。
「彼はあの絵を『戒め』だと言った。十五年間も、狂王の変貌の理由を探るためだと称して保管していた。そんな彼が、どうして突然、絵を破壊する必要があったの? もし彼が狂王を憎んでいるなら、もっと早く破壊していたはず」
神殿長が隠している秘密。妃から神殿長個人に贈られたという絵画。その裏には一体どんな秘密があるというのだろうか。
私は、机を手のひらでバンバンと叩いた。
「このままじゃ帰れないわ! 謎の真相までをひとつの物語として完結させなきゃ気が済まない!」
アルフレッドは、私の興奮を見て、諦めたような顔をした。
「……確かに神殿長が何でそんな事をしたのか、その理由は気になるな」
「でしょ! アルフレッドもそう思うわよね」
私は勢いよく彼の手を握りしめた。
アルフレッドは一瞬だけ顔を赤らめ、反射的にその手を振り払うと、誤魔化すように咳払いをした。
「しかし、だ、お前が大っぴらに犯人は神殿長だと騒ぎ立てたところで、誰も相手にはしないだろう。どうするんだ?」
「情報を集めるわ。謎の真相に迫るのよ! なにしろ、私はこの神殿にしばらく滞在していいというお墨付きをもらってるんだから!」
アルフレッドがまた一段と大きなため息をついた。




