⑦こんな謎を私が見逃すはずがないでしょ?
「ここにあったのはどのような絵だったのですか?」
私の質問にエフロックは口篭った。彼はしばらくは視線を泳がせていたが、観念したように深く息を吐き出すと重々しく語り始めた。
「……実は、少々、特殊な扱いの絵画でして」
「特殊な扱い?」私がおうむ返しに聞き返す」
エフロックはしばし唇を噛み、言いよどむ。
その様子は、秘密を抱え込んだ子供が叱られるのを恐れているような印象を受けた。
「言えないような話なんですか?」つい強めの口調で聞いてしまう。
「おい、ミュゼッタ」
アルフレッドが嗜めるように言う。しかし私はエフロックから視線を外さない。
やがて観念したようにエフロックは重々しく口を開いた。
「……ここにあったのは、滅びた国の王妃の肖像画です」
「滅びた国の……もしかして、スケイズ国の王妃ですか?」
「そうです」エフロックの声は震えていた。
「かの王妃の肖像画は……この神殿においては……存在しないものとして扱っていました」
「どういうことだ?」アルフレッドが眉をひそめる。
「誰も触れたがらない、目を逸らすような……。まあいわば、『禁忌』という扱いをされていた絵画なのです」
アルフレッドが首を捻りながら言った。
「宝物というより厄介者の扱いじゃないか」
エフロックは神妙な顔で頷く。
「そうですね……このように宝物殿の奥の誰も寄りつかない一角に置かれ、布を被せられたまま十年以上……埃を被り……そしていつしか誰も気にも止めなくなっていた絵画です。そのように思われても仕方がありません。事実、私自身、無くなったと言われるまで気にも留めなくなっていたほどです」
私は壁の釘跡をもう一度見やった。そこに掛けられていたはずの肖像画。
どんな絵だったのだろう。気品あふれる王妃の姿か、それとも憂いに満ちた横顔か。想像してみるが、具体的な姿は浮かんでこない。
「消えた王妃の肖像画。なかなかに面白そうな謎じゃない? 物語の匂いがする!」
隣のアルフレッドが私を横目で見た。
「面倒ごとの匂いの間違いだろ……」
私たちのふざけたやり取りをよそに、エフロックは言葉を失い、ただうつむき続けていた。指先はわずかに震えている。彼が動揺しているのは明らかだった。
「……で、何故、この絵は目を背けられていたんだ?」
アルフレッドの質問に、エフロックはびくりと肩を震わせた。俯いたまま、しばらく答えを探すように沈黙する。
アルフレッドは無表情のまま腕を組み、様子を見守っていた。
やがて神官は、苦渋を滲ませた声で語り始めた。
「それは、肖像画のモデルとなった妃が『紫眼の狂王』の妃、ファリス妃だからです。狂王に関する全てがエリクス教の中でタブーとされていることはご存知でしょう」
狂王。
その忌むべき名に思わず息を飲んだ。
「紫眼の狂王……なるほど、ファリス妃の絵なら、タブー視されるのも納得だわ」
「……誰だって? 狂王? ファリス妃?」
とんでもない事を言い出すアルフレッド。物を知らないにも程がある。
「あなた王国の騎士なのに知らないの? 信じられないわ。王国の歴史とか学ばないの?」
「歴史にはあまり興味がない」
平然とそんなことを言ってのける。
エフロックも驚いた顔をしている。
「紫眼の狂王っていうのは、元々この地を収めていた『ハイエイト・スケイズ』王のことよ。優秀な戦闘魔術師の部隊を抱え、強大な軍事力を誇っていた大国スケイズの最後の王。十五年前の戦争の原因となった人物よ。そして、その妃がファリス・スケイズ。こっちは悲劇の王妃として有名だけどね」
少し芝居がかった口調で話して聞かせる。
「スケイズ王家は、古代種の血を色濃く受け継いでいると言われていて、その瞳の色は紫水晶のように輝く紫色をしているのだとか。とても特徴的な瞳の色だったと言われているわ」
「へえ」と興味が薄い感じにアルフレッドは頷く。「だから紫眼か」
続くように、エフロックは語り始めた。
「ある日突然、ハイエイト王は辺境の小さな神殿を襲撃しました。……たとえどれほど小さな神殿であろうと、そこは女神エリクスドットを祀る神聖不可侵の聖域です。その神殿を、王は一片の躊躇もなく襲ったのです。理由は定かではありません。ただ、神殿の誰かが王を激昂させる何かをしてしまったのだと、そう囁かれています。そして……神殿にいた者たちは、一人残らず殺されました。神官も、聖騎士も、巫女も……老いも若きも、男も女も、分け隔てなく。最後に王は神殿に火を放ち……すべてを灰燼に帰しました。これはまさに女神に弓引くが如き暴挙です」
空気が張り詰める。その話はあまりにも有名であるが、神殿関係者の口から聞けば、より一層、悲劇の色が濃くなる。
エフロックは続ける。
「そしてその事件の後、王は常軌を逸した行動に出ます。王宮に戻った彼は、突然自らの后と王子を処刑しました。さらにその後、王を諌めようとする重臣たちも、ことごとく謀反の疑いがあるなどと決めつけ、その手にかけていったのです」
「狂ってるな」アルフレッドが呟く。
「だから狂王なのよ」私が言うとアルフレッドは納得したように頷いた。
それにしても、神殿を焼いただけではなく、家族や重臣までも処刑してしまうとは。狂気とは、まさにこのことを指すのだろう。紫眼の狂王の話は何度も聞いた。それは歌にもなっている。私の歌のレパートリーには入っていないが、巷の吟遊詩人達は好んで歌う。狂った王が世界を壊し、それを各国の王が協力して打倒した事で、大陸にいっときの平和が訪れたのだと最後に締めくくられる歌だ。
正直、私はあまりこの歌が好きではない。どこか物語に違和感があるからだ。その違和感の正体はわからないのだけど。それに紫眼の狂王が残酷の限りを尽くすシーンを歌いたくないというのもあるが。
「王の暴挙でスケイズ国は混乱し、国は大いに乱れた。それを機に、エリクス教の総本山の聖都エリクシスの大神官たちが、ハイエイト王を大罪人として『神敵』と認定した。そして各国の王に討伐を呼びかけた。大義を得た周辺国は一斉に攻め込み、スケイズ国を滅ぼした」
私の説明に、エフロックは眉間にしわを寄せた。苦々しい顔だ。無理もない。彼ら神殿に属する神官たちにとって、狂王は忌み嫌われる存在以外の何者でも無い。
「スケイズの周辺の国々は、これは好機とばかりに戦に加わった。大義名分をもって攻め込めるし、混乱して内乱状態の国を侵略するのは赤子の手をひねるよりも簡単だから。パイの奪い合い状態よ。結果、ハイエイト王は討たれ、スケイズは滅んだ。領土は戦勝国によって分割統治されることになった。……今、私たちがいるここロウクス神殿も私たちの国に併合された元スケイズの領地よ」
狂王、虐殺、神殿の炎。すべては物語の断片。けれど、それは私が望むような輝ける英雄の物語ではない。狂気に飲まれた怪物の物語。こんな物語、私はあまり語りたくはない。
でも、実際この話は歌になって市井に流れている。誰もが知る、戦争終結に至る物語だ。子供でも知っている話である。……アルフレッド以外は。
しかし同時に、もう一つの疑問が湧き上がる。
「でも……どうしてそんな王に関わる絵画がこの神殿に? 神敵にかかわるものが廃棄されずに残っているなんて」
そこでエフロックは、長く抑えてきた秘密を語るように口を開いた。
「……狂気に飲まれる前の王は、実はとても敬虔な信徒だったのです。この神殿にも多額の寄付をしており、現神殿長とも交流がありました」
私は目を瞬いた。そんな話は初耳だ。物語で語られる狂王は最初から最後まで残虐で非道な人物として歌われているからだ。
「狂王が……敬虔な信徒? それに、神殿長様と交流があった?」
「ええ。王妃の肖像画は、王家から神殿長が譲り受けたものだと聞いています」
「それで、王妃の肖像画がこの宝物殿に」
「そうです。しかし国が滅んだ後、人々はハイエイト王の名を口にすることすら恐れるようになりました。まるで災厄を呼ぶ呪いの言葉のように忌み言葉のように避けるようになっていったのです」
エフロック神官は慎重に言葉を選びながら続けた。
「その王の妃を描いた絵画も同様です。廃棄すべきだという声が上がりました。ですが、神殿長はそれをお許しにならなかった。『狂王の狂気の由来を知ることは、同じ過ちを繰り返さぬための務めだ』とおっしゃっていました」
私は息を詰めて耳を傾ける。
「それで絵画は宝物殿の奥深くにしまい込まれました。しかし、忌み嫌われる絵画は誰にも顧みられることはなく、次第に忘れられていったのです」
エフロックが静かに言葉を結んだその瞬間、私は思わず息を吐いた。
──それが今になって忽然と姿を消したというわけだ。
「興味深いわね」
思わず笑みを浮かべる。
アルフレッドが横からぼそりと突っ込む。
「……頼むから、興味を持つだけで終わらせてくれ」
私は肩をすくめてみせる。
「封印されし絵画の消失。こんな謎を私が見逃すはずがないでしょ?」
彼は呆れたように大きなため息をついた。しかし私には、その音がまるで『これから大冒険に出発する軍馬の勇ましき鼻息』のように聞こえて、内心ますますわくわくしてしまった。
エフロック神官は血の気が引いている。さっきまであれほど丁寧に宝物の説明をしてくれていた口が、今はもう固く結ばれて全く開きそうにない。
彼はしばらく黙って宝物殿の内部を見回っていたが、やがて大きく息を吸い込み、胸の前で両手を組んだ。
「……幸い、例の肖像画の他には無くなった物は無いようです」
その姿勢は心の奥にしまっていた覚悟を引き出しているように見えた。
「……しかし、宝物殿からの盗難があったなど、あってはならない事です。全ては管理者である私の責任です。直ちに神殿長にご報告をせねば」
神官は項垂れながらもキッパリと言った。
アルフレッドが小さく息を吐いた。
「……随分と大ごとになりそうだな」
その声には、少しうんざりした響きが混じっていた。また旅が長引いてしまう。王都に帰るのはいつになることやら。その顔にはそう書いてある。
けれど、エフロックはそんなアルフレッドの表情を伺う余裕なんて無さそうだった。
「お二方には、申し訳ありませんが……」
彼は少しだけ視線を落とし、それでも丁寧な口調で続けた。
「いったん宝物殿からご退出をお願いいたします。……そうですね、中庭でお待ちください。外の空気に触れて気持ちを切り替えていただければと存じます」
その言葉を聞いた瞬間、私は小さく肩を落とした。
――あぁ、やっぱり追い出されるのね。
まだまだ見たい宝物はたくさんあった。
それよりなにより、絵が消えた謎についてはまだ何もわかっていないというのに。
私は未練がましく、壁の釘跡を振り返る。あの小さな歪みが、私にはどうしても気になって仕方なかった。
けれど、神官の顔には「頼むから早く出ていってくれ」と書いてある。こういう時こそ、善良な詩人は空気を読むべきだ。……たぶん。
エフロック神官は早足で私たちを扉の方へ導いた。
宝物殿の巨大な扉が、ゆっくりと開かれる。扉の外には、先ほどと同じように二人の神殿騎士が立っていた。彼らは相変わらず微動だにしない。ずっとここで立ち尽くして扉を守っていたのだろう。
ふと疑問が湧き上がる。この人達の目を掻い潜って、どうやって犯人は絵を持ち出したのか。
そんな事を考えていると、背後で扉が閉まる音がした。
ごうん、と、腹の底に響く重い音。
それは単なる扉が閉まる音ではなく、何かが封じられていくような、そんな響きだった。




