⑥例えば『泥棒』とかね
エフロックは腰の革袋から、年季の入った黄銅色の鍵を取り出した。
長年使い込まれて艶を失った金属の鍵。
だが、逆にその古びた意匠が歴史を物語っているようにも思える。
「それが、宝物殿の鍵なんですね!」
私の声は自分でも驚くほど弾んでいた。
神官は扉の中央の錠前へと鍵を差し込み、ぐっと回した。
乾いた金属音が響くと、すぐに扉の複雑な模様に光の筋が走る。
鍵穴から迸った魔法の光は幾重にも広がり、まるで蜘蛛の巣のような紋章を描きながら扉全体を這い巡っていく。
……おお、これぞ秘宝を守る結界魔法!
毎回こんなのを見られるエフロック神官が正直羨ましい。
もし私が神官だったら、一日に五回くらいは「ちょっと中身を確認」とか言いながら扉を開け閉めしてしまうに違いない。
内部の機構が作動する重い音が、奥から響いてくる。まるで大地そのものが唸っているかのようだった。
エフロックが両手をかけて押すと、巨大な扉が、鈍く軋みながらゆっくりと開いていく。
隙間から、ひんやりとした冷気が流れ出してくる。
私は思わず息を呑んだ。
隣のアルフレッドは眉ひとつ動かさない。
足を踏み入れた先の部屋は薄暗く、湿り気を含んだ空気が肌にまとわりついてきた。漂ってきたのは乾いた埃の匂いと、石造りの地下に特有の冷たい気配。
そんな中でアルフレッドがぼそりと呟いた。
「宝物殿といっても、雰囲気はその辺の地下倉庫とあまり変わらんな」
……この男はどうしていちいち夢を打ち砕くようなことを言うのか。この中にあるのは歴史的な価値のある宝物の数々だというのに!
その辺の倉庫扱いされてもエフロックは表情ひとつ変えず、壁に取り付けられた魔石に手をかざす。
すると、ぽっと目の前の魔石に光が点った。それは次の石へ、さらに次へと伝わり、連鎖するように光が走っていった。
やがて部屋全体がやわらかな輝きに包まれた。
「なんという演出……! 素晴らしいわ! さすがはロウクス大神殿が誇る宝物殿!」
私は思わず声を漏らした。これならアルフレッドだって「倉庫」だなんて言わないだろう。
私はうんうんと頷きながら、ちらりと隣を見る。
……アルフレッドはあくびをしていた。
この騎士は一体何を目にしたら感動するのだろうか。
部屋の中央には、ひときわ存在感を放つ石の台座があった。
そしてその台座の上に鎮座している、ひと振りの剣。
「こちらが、悪魔を討ったと伝えられる聖騎士イーゴの聖剣でございます」
エフロックが自慢気に言う。
私は思わず声を失った。まるで意識が剣に吸い寄せられるみたいだ。
剣身は銀色に輝き、魔石の光を受けて淡く艶かしく揺らめいている。柄には緻密な装飾が施され、古代の職人が全身全霊を込めて作ったことが、素人の私にすら伝わってくる。
その隣には、人の頭ほどもある歪んだ真っ黒い角が安置されていた。
黒光りする表面は滑らかで、しかし目にした途端に背筋をぞわりとさせる邪悪な気配を放っている。まるで角そのものが、いまでも憎悪を吐き出し続けているようだ。
「そしてこちらが、聖騎士イーゴが切り落としたとされる悪魔の角です」
エフロックはニヤリと笑いながら言った。
「これが聖剣! そしてこれが悪魔の角!」
思わず私は叫んでいた。子供の頃から耳にしていた伝説。その断片が、いま目の前にこうして実体を持っているなんて!
悪魔の角の方はずっと前に王国の博物館で見た貝に似た古代の貝に似た生き物の化石にしか見えないが、そんなことはどうだっていい。物語性が重要なのだ。
詩人としての血が騒ぐ。想像力が羽ばたこうとしているのを感じる。今なら、いくつもの旋律と詩片を生み出せそうな気がする。
一方のアルフレッドは、静かに剣を覗き込んでいた。柄の根元に刻まれた魔術の紋様をじっと観察し、やがて低い声で言った。
「……なるほど」
「アル、この剣が気になるの? やっぱり聖剣だし、欲しいんでしょ? そうよね。聖剣だものね。騎士としての憧れよね」
しかし彼は顔を上げて眉を寄せた。
「いや、いらん。この剣には切れ味増強の魔法がかけられているな、と思っただけだ」
「魔法剣ってこと? すごいじゃない!」
「別にすごくはない」
彼はあっさり否定する。
「熟練したドワーフの鍛冶師と優秀な付与魔術師がいれば、ある程度の魔法を剣に付与するのは容易だ。金と人脈さえあれば比較的簡単に手に入る代物だ」
なんて夢のないことを。せっかくの聖剣なのに。
アルフレッドは自分の腰の剣を鞘から少し抜いて見せた。柄に刻まれた紋様が、光を反射して浮かび上がる。
「俺の剣には頑丈さを高める魔法が付与されている」
首をかしげて尋ねる。
「頑丈さ?」
「そうだ。俺の戦い方は剣で相手の刃を受ける事が多い。後の先という奴だ。だから全く刃こぼれしない頑強さが必要だ。継戦能力を高めている。一方、切れ味を増した剣は、細身でも致命傷を与えられる代わりに、強打するには弱い。叩きつけると折れることもある。俺の戦い方には向かない」
彼は顎をしゃくって聖剣を指し示した。
「巫女姫の横に女騎士がいただろう。あの女の剣も切れ味増強の魔法がかけられたものだった。おそらくこの聖剣と同等かそれ以上の業物だ。打ち合いをする事よりも一撃で相手を斬り伏せる戦い方を得意とするんだろう。持ち主の戦い方によって、相性が良い剣と悪い剣がある。この聖剣は俺の手には余る代物だ」
なるほど……いやいや、そんな冷静に分析しなくていいから! と心の中で突っ込みを入れる。アルフレッドは武器のことになると意外と饒舌になるようだ。しかし、この人にとっては「伝説」より「実用性」なんだなあ……としみじみと思ってしまう。
「じゃあ、この聖剣はどちらかといえば私向きって事ね。腕力じゃなくて鋭さで勝負できるんだから。身軽な私にぴったりじゃない!」
わざと聖剣の柄に手を伸ばしてみせると、アルフレッドが慌ててその手を掴んだ。
「やめろ。切れ味が強化された剣は扱いが難しい。ミュゼッタのような不慣れな人間の場合、不用意に刃に触れると指を失う事もある。自慢のリュートを引くための大事な指がなくなるかもしれんぞ。だから、刀身には絶対に触れるなよ?」
思わず口を尖らせる。
「いくら私でも、神殿の宝物に勝手に触ったりしないわよ」
その真剣さの裏に、ほんの少し私を気遣う優しさが混じっているのを感じてしまい、黙るしかなかった。
「しかし、少し残念だ」
アルフレッドがそれまでじっと見つめていた聖剣から目を外す。
「俺が想像していた『英雄の聖剣』というものは、もっと特別な力を宿すものだと思っていた。だが、実際はただの強化剣に過ぎなかったからな」
私は首を振った。
「アル、それは違うわ。あなたにとっては『よくある強化剣』でも、この剣には英雄の物語が宿っている。あなたの剣にも、あなたなりの物語があるようにね」
「……剣の物語か」
彼は短く息を吐いた。納得したのか、諦めたのか、判断はつかない。ただ、彼の視線はもう一度聖剣に戻り、しばし無言で佇んでいた。
さらに宝物殿の奥へと進む。
光を放つ魔石に照らされて、次々と新たな宝が姿を現していく。
古びた布に包まれた謎の箱。
厳重な封印が施された黄金色に輝く鍵。
何に使うのかわからない魔導具。
無数の巻物。
人の頭ほどもある大きな魔石。
銀色の錫杖。
そして、ひときわ目を引いたのは、豪奢なつくりの法衣だった。純白の布地に金糸の刺繍がびっしりと施され、見るからに荘厳な気配を放っている。
「この法衣は祭事がある度に、神殿長がここにいらして直接その身に纏い、儀式に臨まれるのです。今も決して形骸化したものではなく、現役で使われております。最後に使われたのは、そう、ふた月ほど前でしたか」
エフロック神官の声には深い畏敬の念が込められていた。神殿長に対するものか、この伝統ある法衣に対するものかはわからなかったけれど。
私は感心しながら法衣をさまざまな角度から見つめた。
「はあ……まるで光そのものを縫い留めたかのような美しさ……。この金糸の一本一本に、どれほどの祈りが宿っているのでしょう。纏うたびに、神がこの布へと降りてくるのではないかとさえ思えてしまいます」
「そうでしょう、そうでしょう」
満足げに頷いているエフロック。やたらと上機嫌である。
そこで、ふと目に入った法衣の内側。ちらりと見えた布の影。そこに不自然に大きな縫い目があった。袋のようなものが縫い付けられている。
「あの、この法衣……内側にポケットがあるんですか?」
「おお、よくお気づきになりましたな」
エフロック神官は少し驚いたように頷いた。彼は法衣の内側を開いて見せてくれる。
「その通りです。儀式の際には経典や護符を携える必要がありますので、それらを収めるための大きな内ポケットが仕立てられております」
私は法衣に視線を戻す。ポケットというにはかなり大きい。
「……ずいぶん大きいのね」
「儀式で用いる経典は、かなりの大きさになりますので」
エフロックは当然のように答える。そしてそのまますぐ隣に展示されている錫杖を指し示す。
「そしてこちらが、その法衣と共に用いられる錫杖です。神殿長が儀式で祈りを捧げる際、必ず手になさるものです」
杖の先には親指の先ほどもある大粒の透明な石が嵌め込まれており、光を受けて虹色に輝いていた。その美しさに思わず見惚れてしまう。輝きを増すように石の形が計算して整えられているのだろう。作った職人の腕の良さに脱帽である。この宝石にどれほどの価値があるのか検討もつかない。
「美しいでしょう。この錫杖の石は、神殿の権威そのものを表しているのです」
エフロック神官が自慢げに言った。確かに、これほどの宝石ならば、例え自分の物でなくても誰かに自慢したくなる気持ちもわかる。
そうして一通り見て回った後、部屋の最奥にひっそりと展示されている美しい竪琴が目に止まった。
思わずエフロック神官から離れて竪琴に向かって惹きつけられるように歩きだした。
近づいて見ると、竪琴は想像以上に素晴らしいものだった。磨き抜かれた木材の艶、繊細な細工。孤独で優雅な佇まい。弦の一本一本まで丁寧に手入れされ、見ただけで美しい音色が聴こえてくるようだった。
ため息を漏らす。アルフレッドにもこの竪琴を見てもらおう。
目線を竪琴からそのすぐ上の壁に移した時、ふと、違和感を覚えた。
他の石壁と色がわずかに違う。その部分だけ長年何かに覆われていた跡がうっすらと残っているのだ。
そして、壁には釘が一本だけ歪んで残っている。それは、単に古くなったことによる劣化ではなさそうだった。強引に引き抜かれたような痕跡である。
「……あれ?」
私は釘の跡をじっと観察した。
「どうした、ミュゼッタ」
壁と睨めっこをしている私を訝しんだのか、アルフレッドが低い声で問いかけてきた。私は彼を呼び寄せ、釘の跡を指さした。
「ねえ、これ、なんか変じゃない?」
アルフレッドも壁を見る。
「いや。壁に曲がった釘が刺さっているだけにしか見えないが」
「よく見て。この壁の色。うっすら色が変わっているでしょう? そしてこの釘の位置。これは多分、紐をひっかけるために壁に打ち付けられた釘よ。多分……ここには絵が飾られていたんだわ」
アルフレッドは壁に顔を近づける。眉間に皺を寄せながら言う。
「なるほど。確かに。言われてみればそうかもしれん」
「それだけじゃない。この釘を見て。普通に絵画を外したのなら、こんなふうに曲がったりはしない。誰かが、台を使わずに無理矢理引っ張る形で外したんだと思う」
「ふむ」頷いてはいるが、いまいち状況を呑み込めないといった表情のアルフレッド。
「そんな乱暴な外し方をするのは、どんな人だと思う?」
「わからん」
「後のことなんて考えずに、急いで外そうとする人物」
「せっかちな奴か」
まったく回答にたどり着けそうにないので、直接答えを口にする。
「例えば『泥棒』とかね」
アルフレッドがようやく驚いた顔をする。
「……ええと、それはつまり、誰か絵を盗んだ奴がいるって事か?」
その言葉を聞きつけたエフロック神官が、ぎょっとした顔で私たちの方へ駆け寄ってきた。
「絵が盗まれたですって⁉︎ そ、そんなはずは! この宝物殿は、厳重に施錠されています。それに入り口を常に神殿騎士が守っているんです。物が盗まれるなどありえません!」
慌てている神官に対して、私は冷静に壁の釘を指さして言った。
「でも、エフロックさん。この釘の曲がり方を見てください。どう見ても絵を丁寧に外した跡ではありません。力任せに引き剥がしたような曲がり方です。神殿の宝物を正式な手続きで移動させるなら、こんな乱暴な痕跡を残すはずがない。何者かが持ち去ったと考えた方が自然でしょう」
エフロックは顔色を変えて壁を見据えた。しばらく何も無い壁をそこに絵画があるかのように見つめていた。




